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永井和の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-04-15掲示板への投稿から―その2― このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

3b説でかつ2a説の実例

 3b説をとなえつつも、2a説に立つ論者として、下村氏の例をあげましたが、下村氏だけではないことを示すために、もう少し追加しておきましょう。

以下にあげるのは、ネットの世界ではよく知られているのではないかと思われます。

例2.依存症の独り言(坂真氏)

http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2005/06/post_b28a.html

以下引用

幻の従軍慰安婦2005/06/15

ところで、そもそも「従軍慰安婦」なるものが本当に存在したのだろうか?

答えは「否」である。存在しないのだから「従軍慰安婦」という言葉もない。

だから、中山文部科学相の「従軍慰安婦という言葉はなかった」との趣旨の発言は事実であり、非難される筋合いのものではない。

当時、日本には「公娼制度」があった。「公娼制度」とは、合法的な売春制度のことである。戦前は「遊郭」と呼ばれ、戦後は「赤線」と呼ばれた。

「女衒(ぜげん)」という職業もあった。女衒とは、女の売買を生業(なりわい)とするブローカーのことである。「衒」は売るの意味

貧しい農家などが、前借金の形(かた)に娘を遊郭などに年季奉公に出す。前借金は、600円(当時)。このうち着物代として200円、女衒に50円取られ、親の手許には350円しか残らなかった。悪い女衒にかかった親には、150円しか渡らなかったという話もある。

もちろん女衒は甘言を弄する。若い娘に「遊郭は、不特定多数の男に肉体を売るところ」などと、本当のことを云うわけがない。また、質(たち)の悪い女衒であれば、恫喝めいた文句を吐くことも多かったであろう。

とにかく戦前農家は貧しかった。特に、昭和9年、冷害に襲われた東北地方は悲惨極まりない状況だった。冷害ではなく「飢饉」と云う人もいるくらいである。

山形県のある地方では、9万人の人口があったが、そこで2000人もの娘が女衒に連れられて村々から消えたという。昭和恐慌東北地方を中心とする農村の壊滅的な貧困により、娘たちの身売りはピークを迎えていたのである。

昭和12年7月には日中戦争日華事変)が始まり、戦線が次第に中国全土に広がっていく。

「いわゆる従軍慰安婦」は、そういう時代背景の下に生まれた。

※この農村の悲惨な状況が、昭和11年の青年将校による2.26事件の原因の一つになったと云われる。兵隊の姉や妹が、続々と身売りされたからである。

引用終わり

 この坂氏が3b説であることは、あらためて説明するまでもないでしょう。また、慰安婦制度は当時の公娼制度に基づくものであり、それゆえ合法的であったと考えられていることも、また同様です。

 しかし同時に坂氏は、当時の公娼制度が、合法的ではあるが「事実上の強制売春」であったこと、すなわち「身売り」という名の事実上人身売買が横行していたことも、あわせて指摘しています。

 公娼制度のもとでそういうことが日常的におこなわれていたのだから、慰安婦についても人身売買売春の強制があるのはやむをえない、それが当時の状況だったのだから、と言っているのです。決して「一部には、売春を強制された例もあったが、基本的には従軍慰安婦の実態は、自由売春であった」などと言っているわけではありません。

 なお、「身売り」の横行が2・26事件という軍隊の叛乱の原因となったと認定されていることから、坂氏は、当時においても、「身売り」は非難されるべきことであり、そのような悲惨な社会をもたらした者たちは激しく糾弾されるべきであると考えが存在していたことを、いくぶん肯定的に認めておられるようです。

 次は、私の名前もあがっている池田信夫氏のブログです。

例2)人身売買 (池田信夫)

http://210.165.9.64/ikedanobuo/e/ea39407dbb4bac7fc038ef49d2cab134

2007-03-27 00:17:05

引用はじめ

 小倉さんの議論は、政府見解でいえば「広義の強制」があったという話ですね。それは一部にはあったと思います。人身売買で(本人の意に反して)慰安所に送り込まれた慰安婦がいたことは間違いありません。それをsex slaveと呼んでもいいでしょう。

 といっても人身売買は、文字どおり人間を売買するわけではなく、通常は売人が親に代金を支払い、娘は親の借金を背負って、それを完済するまで「足抜き」できないという形を取ります。慰安婦は異国で逃げても本国には帰れないので、暴力的に監禁する必要は通常ありません。秦氏の研究でも、文字どおり暴力的に売春を強要されたという信頼すべき証言はほとんどなく、待遇リスクの大きいぶん内地よりよかったと推定されています。

要するに、慰安婦を拘束していたのは軍の暴力ではなく、借金による「暗黙の強制」だったのです。もちろん、業者がそういう過酷な労働条件を強いるのを放置したたという意味では、軍の責任はあるでしょう。永井和氏などは、軍の責任はこういう監督責任だとしています。慰安婦は「兵站の一部」であり、軍の実質的な指揮下にあったというわけです。

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html

これも推測に過ぎないが、かりにそれを認めるとしても、日本軍責任は、業者が慰安婦を酷使しないように十分監督しなかったという不作為責任にとどまります。だから責任ゼロだとはいいませんが、戦後60年たってから外交ルートで騒ぎ立てるような問題でしょうか。

引用終わり

 私の論文を読んだうえで「これも推測に過ぎないが」と仰有っている点には、この際目をつぶることにいたしましょう。ともかく池田氏は、一部であれ、人身売買売春を強制された例があると、はっきり認めています。

 ただ、その人身売買は「身売り」によって債務で拘束するかたち(「借金による「暗黙の強制」)であって、軍が暴力的に女性拉致監禁していたのではない、というのが池田氏の反論です。

 池田氏は、「軍によるまたは軍中央の命令による慰安婦暴力的な強制連行はなかったが、軍の監督責任、不作為責任はあるかもしれない」という立場なので、同じ3b説といっても、他の論者とは少しちがうかもしれませんが、2b説でないことは、反論の論理が、人身売買といっても「借金による「暗黙の強制」であって、それには軍は直接にはタッチしていない」になっていて、決して「それは一部のことであって、基本的には従軍慰安婦の実態は、自由売春であった」という、論理にはなっていないことから明らかです。

 同じような3b説者による議論は、ネット上でいくらでもひろうことはできますが、同工異曲なのでこの3例で十分でしょう。いずれも2b説ではありません。

  

 私としては、是非2b説に立つ3b説論者の実例をebizoh様にあげていただきたいところです。

次は、ebizoh様が「秦説こそが2b3b混合説の元祖だと考えています」と評価される秦郁彦氏の議論を検討します。

2007/04/15 11:21:07

秦氏の説も3b・2a説***

次に、ebizoh様が「秦説こそが2b3b混合説の元祖だと考えています」と評価される秦郁彦氏の議論を検討してみましょう。秦氏が3b説であることは、私もebizoh様も等しく認めていますので、この場合検討すべきは、はたして秦氏は2b説であるのか、すなわち「一部には、売春を強制された例もあったが、基本的には従軍慰安婦の実態は、自由売春であった」と主張しているのかどうか、にしぼられます。

 秦『慰安婦と戦場の性』の第12章で秦氏は、元慰安婦の証言から「官憲による組織的な「強制連行」はなかったと断定できる」としたうえで、それでは実際に「慰安婦はどのように集められたのか」との問いをたてています。彼は「私が信頼性が高いと判断してえらんだ」9つの証言・回想をもとに検討を加え、以下のような結論を下しました。

 「このような一連の証言から観察すると、慰安婦になった動機は各人各様、千差万別としか言いようがない。「だまし」と言っても、女たちではなく業者自身も乗せられたらしいケースが混じるとすれば、詮索は不毛の作業になりそうだ。」(秦前掲書、386頁)

 慰安婦になるに際して、「自由意志」なのか、「欺騙」「拐取」のような「強制」がはたらいたのか、千差万別であると言っていますが、それは裏を返して言えば、「欺騙」「拐取」があったことは否定できないと、秦氏も考えていることを意味します。実際に秦氏があげている9証言のうち、「就業詐欺」や「威し」によって慰安婦となったとみられるのが6例あります。もっとも、そのうちの1例は、朝鮮人慰安所経営者の、自分ところは前借金を親に渡して雇い入れているが、他の業者は「悪どい手を打っているらしい」「軍命と称したり部隊名をかたったりする女衒が暗躍しているようです」という話を、その業者から聞いたという日本人憲兵の回想です。

 あとの3例は、

1)従軍看護婦慰安婦の職務をはたした例で、言い出したのは婦長(ただしすでに一人の将校がこの婦長を独占していた)ですが、しかし実際には「応じなければ食糧が与えられない」状態で、従軍看護婦が「一日に一人ずつ兵を相手にすることを強制された」とあります。

2)ビルマに駐屯していたある部隊が村長を通じてビルマ女性慰安婦に募集しようとしていたのを、「半強制的になっては治安対策上まずいと判断し」た憲兵連隊本部へ申し入れて中止させたという回想で、実際に募集はされませんでしたが、もしも実施されておれば、半強制的に行われたであろうと推測させる例です。

3)シンガポール陥落後に日本軍慰安婦を募集したところ、それまで英軍兵士を相手に商売をしていた現地の売春婦が多数応募したという回想。

 唯一これだけが、自発的に慰安婦を志願してなった例です。しかし、秦氏は回想のこの部分のあとに続くエピソードを引用していません。そのエピソードというのは、自発的に慰安婦に志願した売春婦たちが、あまりに過酷な労働だったので、もうやめたいと言い出したにもかかわらず、ベッドに縛り付けてそのまま兵士の相手をさせたというものです。該当箇所を示します。

「ところが慰安所へ着いてみると、彼女らが想像もしていなかった激務が待ち受けていた。昨年の一二月初めに仏印を発ってより、三ヵ月近くも溜りに溜った日本軍の兵士が、一度にどっと押し寄せてきたからである。・・・(中略)・・・英軍時代には一晩に一人ぐらいを相手にして自分も楽しんでいたらしい女性たちは、すっかり予想が狂って悲鳴を上げてしまった。四、五人すますと、

 『もうだめです。体が続かない』

と前を押さえしゃがみ込んでしまった。それで係りの兵が『今日はこれまで』と仕切ろうとしたら、待っていた兵士たちが騒然と猛り立ち、殴り殺されそうな情勢になってしまった。恐れをなした係りの兵は、止むを得ず女性の手足を寝台に縛り付け、

 『さあどうぞ』

と戸を開けたという。」(総山孝雄『南海あけぼの』)

 最初は自発的志願だとしても、これは売春の強制、性交の強要以外のなにものでもありません。極度の性的虐待といってもまちがいないでしょう。

 なお、総山孝雄氏は2003年に亡くなられましたが、東京医科歯科大学名誉教授日本学士院会員で、近衛師団の通信隊員として南方に従軍した経験をもち、『インドネシアの独立と日本人の心』という著書をおもちです。

 というわけで、秦氏のあげた9例のほぼすべてが、じつは「強制売春」の例なのでして、とても「自由売春」などといえるものではありません。

 ところが、秦氏は「千差万別」「各人各様」と言いながらも、そのあとにこのような推測をくだします。

「おそらく、(略)大多数を占めるのは、前借金の名目で親に売られた娘だったかと思われるが、それを突きとめるのは至難だろう。」(386頁)

 秦氏が信頼できる証言としているもののうち、「前借金の名目で親に売られた娘」であると認定できるのは、先ほどあげた6例のうちの1例にすぎないのですが、しかし秦氏は、このケースを一般的なものだと結論しています。その結論そのものはまちがいではないでしょうが、その結論にいたる論証手続きには、いささか無理があると言わざるをえません。

 実証史家の手法としては、これは問題のある方法といわざるをえません。なぜなら、自分が根拠にあげている資料からは必ずしも直接には引き出せないことを結論しているからです。秦氏があげている9例でいちばん多いのは、就業詐欺慰安婦にさせられたケースです。

 しかし、慰安婦制度を「公娼制度の戦地版」とみなし、「強制連行はなかった」と断定する秦氏からすれば、「大多数を占めるのは、前借金の名目で親に売られた娘だった」との結論に達するのは、ある意味必然だと言えましょう。

 さらにその結論を提示したあと、秦氏は、在日朝鮮人作家柳美里の、朝鮮人慰安婦ほとんどは、貧しさゆえに親によって身売りされた娘であるが、「様々な慰安婦のなかに強制連行されたと思い込むに足る状況証拠があったのだろう」という言葉引用しています。

 つまりこの柳の言葉引用することによって、その大多数が「前借金の名目で親に売られた娘」である朝鮮人慰安婦は、その事実に目をつむって、自らを強制連行されたと思いこんでいるのだ、というニュアンスを伝えようとしているわけです。

 もっともここで私が重視したいのは、秦氏の論証手続きではありません。秦氏が、その結論を採用することによって、じつは朝鮮人慰安婦ほとんどが、「身売り」によって慰安婦になったことを認めているというか認めざるをえなくなった事実のほうです。

 つまり、秦氏のいう「公娼制度の戦地版」である慰安婦制度は、公娼制度がそうであったように、「身売り」という事実上人身売買によって支えられていたのであると、秦氏が主張している点こそが、ここでは何よりも重要なのです。

 さて、以上のことから、ebizoh様が「2b・3b説の元祖」と評価される秦氏も、じつは先にあげた下村氏、坂氏、池田氏とおなじ立場に立っていることがおわかりになったかと思います。秦氏もまた、決して「一部には、売春を強制された例もあったが、基本的には従軍慰安婦の実態は、自由売春であった」などと言っているのではありません。

 ebizoh様のお勧めにしたがって、3b説の論者の言とくにその元祖である秦氏の議論をを調べてみたわけですが、以上からいずれも2b・3b説ではないと結論できます。

私は秦説こそが2b3b混合説の元祖だと考えています。

根拠は、秦郁彦慰安婦と戦場の性』

ebizoh様は上記のように言いますが、秦説は2b・3b説ではなくて、2a・3b説です。また、ebizoh様の、秦郁彦慰安婦と戦場の性』の解釈は正確ではないと、言わざるをえません。

2007/04/15 11:23:42

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