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永井和の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-05-25沖縄戦について―戦時警備と総動員警備、軍命令の2種類 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 これは、もともとはApeman さんのブログのコメント欄に書き込んだもので、「従軍慰安婦」とは直接関係のない発言ですが、Apemanさんのブログの同じ場所に monyupo さんが投げられたコメントに触発されたものであること、さらに内容が比較的まとまっているので、何かの参考になるかと思い、再掲しておきます。

戒厳宣告の有無と軍の命令権限

「沖縄戦では戒厳令は宣告されず、軍に住民への命令権限はなかった」

との命題は、前段の「沖縄戦では戒厳令は宣告されず」はまちがいないとしても、後段の「軍に住民への命令権限はなかった」の部分、および命令権の有無と集団自決が軍の強制だったか否かとの関連性について、検討の余地があると思います。

 戒厳宣告はなされなかったとしても、軍は「住民への命令権」(この場合は、戒厳令の定める「地方行政事務及司法事務ノ全部管掌ノ権」といった包括的なものではなくて、もっと限定されたものですが)を有していたのであり、「沖縄戦では戒厳令は宣告されず、軍に住民への命令権限はなかった」という命題は、少し単純化しすぎのきらいがあります。

戦時警備の実施

 1944年7月11日に大本営は日本内地と朝鮮の各軍管区に戦時警備の実施を命じます(7月15日より実施。台湾軍管区ではすでに1941年12月から実施)。

 戦時警備とは戦時または事変の際に、国内における軍事行動、重要施設、資源の掩護、軍機の保護さらに治安維持のために行う警備のことを言います。2・26事件の時に東京で実施されました。この戦時警備がだされた時点で、日本国内の軍隊はある種の「治安出動」状態に入ったとみなせます。これは、戒厳宣告に先立ち、それに対応するための軍側の措置だとみなせます。もっとも、戦時警備がただちに戒厳宣告につながるわけではありません。

総動員警備の実施

 もちろん、戒厳宣告の場合とちがって、戦時警備の段階では、軍司令官の指揮権は直接には他の行政機関や住民には及びません。しかし、この1944年7月の戦時警備の時には、同時にそれに照応する「総動員警備」が樺太を除く全府県において実施されました。

 これは内務大臣の命令による行政措置で、国家総動員法に根拠をおいています。さらに8月に「総動員警備要綱」が閣議決定され、戦時警備に即応する総動員警備はこの要綱にしたがっておこなうこととされました。「総動員警備要綱」の全文はここで見られます。

http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00569.htm

monyupoさんのブログにも全文が紹介されています。)

この要綱の第44条に以下の規定があります。

「第四十四条 陸軍大臣又ハ海軍大臣ハ沿岸警備ノ実施ニ付陸海軍ノ行フ防衛ニ即応セシムル為必要ナル事項ヲ内務大臣又ハ其ノ他ノ関係大臣ニ請求スルコトヲ得

軍司令官、師団長、要塞司令官、防衛司令官、警備司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官、独立艦隊司令長官、根拠地隊司令長官又ハ警備隊司令ハ沿岸警備ノ実施ニ付陸海軍ノ行フ防衛ニ即応セシムル為必要ナル事項ヲ地方長官、警察署長又ハ其ノ他ノ関係地方官庁ニ請求スルコトヲ得

防衛ニ任ジアル独立セル陸海軍部隊ノ長ハ沿岸警備ノ実施ニ際シ緊急ノ必要アルトキハ陸海軍ノ行フ防衛ニ直接必要ナル事項ヲ其ノ地ノ関係行政庁ニ請求スルコトヲ得

内務大臣若ハ其ノ他ノ関係大臣又ハ地方長官、警察署長若ハ其ノ他ノ地方官庁又ハ関係行政庁前三項ノ請求ヲ受ケタルトキハ之ニ応ジ所要ノ措置ヲ講ズ」

 簡単にいうと、沿岸警備の実施のために、陸軍大臣や海軍大臣のみならず、軍司令官以下の各級司令官は必要な事項を地方行政機関や警察に対して請求することができ、緊急の場合には、防衛を担当する独立した陸海軍部隊の長も同様の請求ができるとされています。そして、その請求を受けた地方行政機関や警察はそれに応じる必要な措置をとらねばいけないのです。

 ここで、沿岸警備のため地方行政機関や警察が指導しておこなうべきとされている業務(非常事態下の治安維持上緊要なる業務)として想定されているのは、以下のことがらです。

1.混乱ノ防止

2.流言蜚語ノ取締

3.謀略ノ阻止等

4.警視、警戒

5.通信

6.警報

7.海上ニ対スル灯火管制

8.重要警備対象物ノ防護

9.待避及緊急避難

10.救護

11.自衛抵抗其ノ他敵ノ自由ナル行動ヲ困難ナラシムル措置

12.必要ニ応ジ消防其ノ他ノ防護措置竝ニ警備ニ任ズル陸海軍部隊ヘノ協力

 これらの業務の実施にあたっては、当然ながら地方行政機関や警察さらにその下にある各組織は住民に対してさまざまな命令を出します。たとえば、軍が沿岸警備のために住民の避難が必要であると判断すれば、その実施を地方行政機関や警察に請求し、それに応じた地方行政機関等が住民を集めて避難させるわけです。

つまり、軍→地方行政機関・警察→(防護団などの警備組織)→住民という経路で、軍は住民に対して命令できる権限があったことになります。戦時警備に総動員警備がくわわることで、こういう事態が生じるのです。

軍は直接に住民に命令できなくとも、行政機関に指示をあたえることで、住民を動かすことができる仕組みといえます。「沖縄戦では戒厳令は宣告されず、軍に住民への命令権限はなかった」という言い方は、そういうシステムが存在していたことをぼかしかねない恐れがあります。

軍命令の2種類

 しかし、ここで考えるべきなのは、軍に命令権限があったとして、それと集団自決とがどのように関係してくるのかという問題です。いかに総動員体制とはいえ、通常であれば、住民に自決を強要するような行政命令が出されるはずありません。ですから、住民に対する行政上の命令権限を軍が実際に有していたからといって、それだけではただちに集団自決が軍の命令であったことの証明となるわけではありません。

 そもそも「沖縄戦では戒厳令は宣告されず、軍に住民への命令権限はなかった。(だから集団自決も軍の命令によるものではない)」という説明は、逆にすれば「戒厳宣告がなされておれば、軍は住民に集団自決を命じることができた」という主張を内包しているわけですが、戒厳令によって認められている行政権・司法権をもってしても、軍司令官にそのような権限が自動的に生じるはずはありません。

 沖縄戦の特異性は、やはり本来ならば軍隊の構成員でない者には適用されないはずの戦陣訓的な行動規範が住民にも適用され、「投降」が禁じられていた(この禁止は一片の命令によるものではなくて、もっと構造的なものでしょう)ところから生じたのであり、軍による行政権・司法権の掌握(すなわち軍政施行)だけの問題に還元されえない特異性があると思います。

そもそも軍命令には、ことの性格からして2種類あります。

1.軍隊の構成員に対して与えられる命令(軍令=統帥命令):軍隊の指揮系統にもとづく命令であり、暴力・強力の行使、より端的に言えば殺人を命ずることのできる命令です。(これはことの本質からして軍隊の構成員でない者に対しては効力がない)

2.軍隊の外部に対してあたえられる命令(軍事行政命令):軍隊の維持のため、あるいは軍隊がその任務を遂行するために、軍隊の外部(一般行政機関あるいは一般民衆)に対して出される命令。この場合、一般行政機関とくに警察に対しては強力の行使を命ずることはできますが、一般民衆に対してそれを命じることはできません。

 戒厳令による軍隊の行政権・司法権の掌握は、この2の軍事行政権の極限的形態であり、軍隊が直接に軍事行政権を行使し、しかも一般行政権をも同時に掌握する事態といえます。

 太平洋戦争中の日本軍はその構成員である兵士に対して「玉砕」や「特攻」を命じていました。同じ事ですが、捕虜になることを禁止していました。これは他国の軍隊および日本軍の歴史からいっても異様なことであり、兵士に捕虜になる権利を認めないのですから、本来は違法といってもよい性格の命令もしくは規範ですが、現実にはおこなわれていました。つまり、当時においては軍令により「玉砕」を命じることが頻繁におこなわれていたのです。

 しかし、軍には属さない一般民衆に、軍事行政命令によって「玉砕」を命じることは、いかに当時であってもそう簡単にできることではありません(monyupoさんが紹介されたサイパン戦前の大本営での議論でも、そのことがうかがえます)。

 ですので、この問題は2の軍事行政権の拡大による全権獲得では説明に困難が生じます。とすれば、1の軍令の範囲の拡大(守備隊→行政機関・防衛隊→島民という国土防衛組織の形成による、島民=民間人の軍隊の準構成員化)によって、本来は軍令の及ばない島民にも軍令が及ぶとされ、その結果、「玉砕」命令ないし「玉砕」規範が島民にも適用されることになったのだと理解すべきではないでしょうか。

 この、守備隊→行政機関・防衛隊→島民という国土防衛組織の形成による、島民=民間人の準構成員化は、本土では1945年3月の国民義勇隊組織、さらに6月の義勇兵役法による国民義勇戦闘隊の結成というかたちをとりますが、沖縄ではそれに先行して、「戦時警備」「総動員警備」「防衛召集」の発動で、それに近い状態が生み出されていたのだと思います。これを逆に言えば、もしも本土決戦がおこなわれていたのならば、沖縄で起こったとおなじことが、より大規模に本土でも起こったかもしれないということです。

 国立公文書館に所蔵されている「秘密戦に関する書類」に含まれるいくつかの文書は、この「戦時警備」に即応する「総動員警備」とくに沖縄に関係する「沿岸警備」をどのようにおこなうかを定めたもので、先ほど書いたような、軍→行政機関・防衛隊→ 島民という国土防衛組織の命令系列が創出されていったことをよく示しています。

 ni0615 さんが、その沖縄戦資料集で紹介されている週刊新潮の記事からわかりますように、渡嘉敷島の赤松隊長は、防衛隊のメンバーであった訓導を「軍紀違反」として処刑しております。これは即決処刑で違法行為ですが、防衛隊員は自らの指揮系統に属する者であると彼がみなしていたことがわかります。

 また降伏勧告に来た伊江島島民と捕虜になった少年を、やはり「捕虜」になったとして処刑(自決の強要)しています。これも、たとえ民間人であれ、「玉砕」の命令は守るべきであり、それを守らない者は軍紀違反として処刑できる(すなわち民間人であっても軍の指揮系統に所属している)と、赤松隊長がみなしていたことを示しています。