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永井和の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-04-05秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(2) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(1)」http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20080402

では、秦氏が実際には、日本内地での公娼1人あたりの年間平均接客数(「延人数」)をもとに、慰安婦の「実人数」を算出しているにもかかわらず、あたかも日本内地での(買春男性数の「実人数」と公娼数の「実人数」の比率(「適正比率」)から、外地日本軍の総人員数にみあった慰安婦数を推計しているかのように、自らの推計操作を誤解している(そして読む者にもそのような誤解を与えている)ことを明らかにしました。秦氏は自分が実際には何をやっているのか、自分でも正確に理解していないのです。

 

 さらに、以下に引用するように、秦氏が実際におこなっている推計法、それ自体が不確実なものであることも指摘しました。

秦氏の推計法は、「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)と1944年時点での軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数が同じである」という前提の上にはじめて成立するわけですが、それが正しいという根拠は何もありません。その意味で、秦氏の推計法は不確実な方法といわざるをえません。

 また、そういう推計をするいっぽうで、秦氏が、「軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数」は、「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数」の3倍でなければいけない(両者は等しいはずがない)と、前後矛盾したことを述べている事実も指摘しておきました。

 このエントリでは、この点(「上記の前提が正しいという根拠は何もない」という点)をさらに明らかにしてみたいと思います。ただ、秦氏の誤謬の要点については、すでに(1)で指摘したとおりですので、学問的に厳密な議論に関心の薄い方は、以下をお読みになる必要はありません。

 まず、「日本内地公娼1人あたり年間平均接客数」なるものが、固定的な定数ではなくて、年度により大きく変動する値であることを確認しておきます。

昭和国勢総覧』から娼妓数と遊客数の年次変化をとると次表のようになります。表には、「日本内地公娼1人あたりの年間平均接客数」(C/P)を計算して付加してあります。

表1

年末娼妓数:P遊客数:CC/P
192650,800 22,587,440 444.6
192750,056 22,273,849 445.0
192849,058 22,794,221 464.6
192949,477 22,360,170 451.9
193052,117 21,827,730 418.8
193152,064 22,393,870 430.1
193251,557 22,736,341 441.0
193349,302 24,922,504 505.5
193445,705 25,838,776 565.3
193545,837 27,278,106 595.1
193647,078 28,063,451 596.1
193747,217 30,818,981 652.7
193845,289 33,486,192 739.4
193939,984 33,029,826 826.1
194035,120 30,483,731 868.0
194132,294 27,516,747 852.1

平均A:581.0(1926年から1941年のC/Pの平均値)

平均B:821.4(1938年から1941年のC/Pの平均値)

日本国勢総覧』第3巻、p.389、19-57「興業場と遊郭(2)」より作成

 

 この表から、公娼1人あたりの年間平均接客数(C/P)は、1926年から1932年までは比較的安定していて、一定の数値をたもちますが、1933年以降は上昇し、年によって大きく異なることがわかります。このような変動する値をもちいて、何らかの等式を設定するには、かなり慎重な手続きがいります。また、1937年の数値がそれ以前もしくはそれ以降の数値に対して何らかの標準となる特別の値とみなしていいのかどうかも、大いに疑問とするところです。

 この値は、さまざまな要因により変動する値であると考えるべきです。その点を考慮すれば、結局のところ、公娼一人あたりの年間接客数の平均と軍慰安所の慰安婦一人当たりの接客数の平均との関係については、以下のような関係式を想定できるにとどまります。

関係式: ある年度の慰安婦1人あたりの年間平均接客数は、ある年度の娼妓1人あたりの年間平均接客数のk倍である。

(kは等式を成立させるための補正係数であって、その値は定数ではない。)

上記の関係式を数式で書き直すために、以下のように変数を定義します。(このグループ掲示板への投稿記事http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/19/15 で設定したものと、使用している記号が一部異なっていますので、ご注意ください)

1.内地公娼施設の娼妓と利用者数に関する変数

x:ある年度の「遊客」(公娼の接客サービスの利用者)の実人数

a:ある年度の「遊客」の年間平均利用回数

C:ある年度の「遊客」数(C=a*x)

P:ある年度の「娼妓」の登録者

2.軍慰安所の慰安婦とその利用者数に関する変数

y:ある年度の外地所在の日本軍軍人軍属

b:ある年度の外地所在の日本軍軍属の年間平均慰安所利用回数

W:ある年度の慰安婦の実人数

k:等式を成立させるための補正係数、定数ではない。

式1 b*y/W=k*a*x/P=k*C/P

これから、Wを求める式2を導出すると,

式2 W=P*b*y/(k*C)

さて、ここで秦氏がやったように、式2に具体的な数値を代入して推計をしてみます。

C,Pとしては、警察統計1937年のそれを秦氏の誤謬を修正したうえで、秦氏が使っているかたちで用います。yは秦氏の使った250万人をそのまま使います(もっとも、秦氏が300万の軍人軍属数を250万に抑えた理由づけはかなり恣意的なもので、250万の妥当性はそれ自体検討すべき余地がありますが、今は秦氏の推計法が誤っていることを示すのが目的ですので、秦氏の使った数字そのまま使います)。

C=3000万人

P=4.7万人

y=250万人

を式2に代入すると

式3 W=47000*b*2500000/(k*30000000)≒4000*b/k

これからわかるように、bとkあるいはbとkの比率がわからないかぎり、Wを推計することは不可能です。しかもkは年によって大きく変動する可能性のある、それ自体が変数とみなすべき数値です。ですので、この推計法で慰安婦数を推計するのは非常に難しいと言わざるをえません。秦氏が実際にやった推計は、b/k=1という仮定が正しい場合にのみ妥当性をもちますが、この仮定が正しいかどうかはまったく不明ですし、秦氏自身そのことをまったく自覚しないまま計算をしているわけです。

 なお、b/k=1という仮定が何を意味するのか、指摘しておきますと、それは、軍慰安所を利用する将兵が年間にb回利用すると、慰安婦の年間平均接客数は、1937年公娼制度の娼妓のそれのb倍になるということです。つまり、将兵が年平均5回利用するとすると、慰安婦は娼妓の年平均接客数≒638人の5倍の3190人になります。月平均265人ですので、かなりのハードワークといえましょう。秦氏が妥当だとみなした板倉氏の仮定を採用すると、b=12ですので、慰安婦は年間7656人、月に638人を相手にすることになります。そのかわり推定慰安婦数は4000人にすぎません。

 ところで、別の史料から同じ1937年末の時点での、中支那方面軍の将兵数(y)と慰安婦数(W)について、軍が計画していた数値を知ることができます。それを利用すると、式1より、b/kの値の一つの実例を得ることができます。式1を変形すると式4になります。

式4 b/k=W*C/(P*y)

ここで、1937年12月に中支那方面軍が立案した慰安婦3000人募集計画をもとに、中支那方面軍の将兵数を概算して30万人(y)、Wの慰安婦数を3000と置き、CとPは先ほどの1937年12月のものをそのまま使います。式4に代入すると下のようになります。

式5 b/k=3000*30000000/(47000*300000)≒100/16=25/4=6.25

 最初にこのグループ掲示板に投稿した時には、この値6.25を式2にもう一度代入して、W=25000を求めたのですが、しかし考え直してみると、私がやったその操作は統計的には意味をもちえません。私自身が誤りを犯していましたので、ここで訂正しておきます。

 この操作が意味をもつためには、1937年末の時点でのb/kと1944年末の時点でのb/kが等しいとの条件が満たされていないければなりません。しかし、kという変数の性格が先ほど述べたようなものであることを考えると、それが等しいという保証はまったくありません。ですので、それを等しいとおいて、私がおこなった操作は、今考えるとまったく無意味だったわけです。

 ところで、表1からわかるように、少なくとも1941年までは、内地公娼数とその利用客数については、警察統計がきちんと残っています。公娼制度とはまさにそのようなもの(娼妓数と遊客数を警察統計に記載可能な存在警察によって把握・統制されている存在)だと言っていいでしょう。もしも秦氏が想定しているごとく、軍慰安所制度が公娼制度の延長(戦場公娼制論)であるならば、慰安婦数と慰安所利用の軍人軍属数についても、それを知りうる統計が残っていなければいけないはずです。

 統計が残っておれば、こんなに苦労して慰安婦数を推計する必要もないはずなのに、それが残っていないので、あーだ、こーだと言っているわけです。このことは、統計がそもそも最初から作られていなかった(慰安婦の登録制度が存在していなかった*1)ためなのか、あるいは作られていても敗戦時にすべて破棄されてしまったために残されていない(慰安婦登録名簿や統計は残しておくと問題であると、軍が考えていたということですが)からなのか、そのいずれかによるのだと考えられます。

 いずれにしろ、そのこと(慰安婦数について統計が残っていないという事実)は、軍慰安所制度が単純な公娼制度の延長ではないことを意味しているのだとみていいでしょう。

*1:残されている史料からみると、慰安所を設置した現地部隊では、慰安婦の登録と利用者数の把握はおこなわれていたと思われますので、ここで「作られていなかった」もしくは「存在していなかった」とする「統計」および「登録制度」とは、軍の中央レベルすなわち陸軍省や海軍省において現地部隊のそれらを総括する作業としての「統計」や「登録制度」をさします。