Hatena::Groupianhu

永井和の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-04-02秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(1):注記を追加 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

はじめに

 このグループ掲示板に、yamakiさんが秦郁彦氏の慰安婦数推計の方法とその変遷について、まとめの記事を投稿されました。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/19/12

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/19/13

 それに触発されて、私も秦氏の推計の方法には重大な誤りが含まれていることを指摘したのですが、http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/19/14

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/19/15

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/19/17)

掲示板の記事はそれほど探しやすいものではないので、それに幾分の補足と訂正を加えたものを、こちらの日記転載しておきます。

秦氏の推計法

 秦氏はその著書『慰安婦と戦場の性』第12章で慰安婦数を推計しています。従来の研究でなされた推計法は5種類あるとして、それぞれを吟味したうえで、いずれの方法によっても似たりよったりの数値になるとし、「狭義の慰安婦は多めに見ても二万人前後であろう。広義をとっても二万数千人というところか」との結論を下しています。

 yamakiさんの記事を見ていただければわかるのですが、推計にあたって秦氏が肯定的に用いている方法は二つで、ひとつは1942年9月に陸軍省課長会議で報告された陸軍の慰安施設設置数から推計するものです*1。もうひとつは慰安婦1人あたりの平均兵員数(これを秦氏は「適正比率」と呼んでいます)で、兵員総数を割り算して求めるものです。

 最初秦氏は「適正比率」を慰安婦1人あたり50人として推計していましたが、途中から150人に変更します。私がここで指摘しようと考えている秦氏の誤謬とは、この「適正比率」=150人による推計法に含まれるものです。秦氏が推計のためにおこなっている統計処理には大きな問題がはらまれており、その結果導き出された数値は妥当性をもちません。そのことを明らかにするのが、この稿の目的です。

 まず、問題の推計法がどのようなものであったのかを確認しておきましょう。秦氏の著書『慰安婦と戦場の性』(新潮社1999年406ページにこう書かれています(以下引用においては漢数字算用数字になおしました)。

平時の公娼統計(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150対1)を参考にしつつ計算すると、250万人÷150人=1.6万人となる。

この1.6万人に慰安婦の交代を考慮に入れて求めた結果が、先にあげた「多めに見ても二万人前後」という数字になります。

 はじめて上記の数字を見た人にはわかりにくいかもしれませんので、説明しておきますと、日本内地公娼統計によると、ある年(1937年)に芸妓・酌婦・娼妓とよばれる接客婦(これが「三業の婦女」です)が20万人いた。同じ年にその接客サービス顧客(「遊客」)は3000万人いた。よって、接客婦1人あたりの「遊客」の数は150人となる。日本軍の将兵数と慰安婦の比率もこれと同じ比率だと仮定して、この比率を1944年11月時点の外地所在の陸海軍軍人軍属総数の推定値300万人を秦氏の独自の判断で減らした数値250万人を母数として、それに対応する慰安婦数を求めた結果が、1.6万人という数値です。

 つまり、秦氏は平時の公娼統計から「遊客」と芸妓・酌婦・娼妓との比率を求め、それを基準に慰安婦の人数を推計したわけです。

 しかし、以下に述べるように、この推計法にはじつは多くの難点が含まれています。

「3000万の遊客」は「三業の婦女約20万」の利用客ではない。

 「(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150対1)」という計算をしていることからわかるように、秦氏は「3000万の遊客」は「三業の婦女約20万」の接客サービスを利用した客の人数とみなしています。しかし、秦氏が利用した元の統計書では、そうなっていません。

 この数値はいずれも、秦氏の『慰安婦と戦場の性』の30頁に掲載されている表「戦前期の内地公娼関係統計」に記されており、秦氏が1937年末の数値を利用したことがわかるのですが、この表につけられた脚注から、1937年の数値のソースが『昭和国勢総覧』であることが判明します。

 そこで『昭和国勢総覧』を参照してみると、秦氏の表「戦前期の内地公娼関係統計」は、『昭和国勢総覧』第3巻の388、389頁にある二つの表「警察取締営業の状況(2)」(大正13年~昭和16年)(これをA表とする)と「興業と遊郭(2)」(大正15年~昭和16年)(これをB表とする)という別別の表から二次的に作成されたものであることがわかります。

 A表には、「芸妓」「酌婦」「女給」の各年末の人数が記載されていますが、「娼妓」と「遊客」の人数は記されていません。「娼妓」と「遊客」の人数は、B表に記されています(1937年の数値では、「娼妓」47,212人、「遊客」30,818,981人で、秦氏の表とまったく同じ数値です)。A表とB表から項目と数値を抜き出して、併合したのが、秦氏の表であるわけです。

 さて、「娼妓」と「遊客」がA表にはなく、B表にあることからわかるように、この「遊客」とは明らかに「娼妓」による接客サービスを利用した(B表に即して言えば、貸座敷および引手茶屋を利用した)「遊客」であって、「芸妓」や「酌婦」のサービスを利用した者ではありません。「芸妓」や「酌婦」のサービスを利用した「遊客」の数値は統計からは不明です。

 ですので、「(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150対1)」という数値は、統計的には何の意味ももたないものであって、この数値(150対1)を使って導き出された結論も同様に無意味であることになります。

 統計的に意味をもちうるとすれば、それは「3000万の遊客」を「4.7万人の娼妓」で割った数値で(約638)なければなりませんが、これは、1937年の時点での「娼妓1人あたりの年間接客数の平均値」(正確には約652人)にほかなりません。秦氏が使うとすれば、「150対1」ではなくて、「638対1」でなければならなかった。

 しかもおもしろいことに、秦氏は上に引用した推計をおこなっている4ページまえで、「1937年の娼妓4.7万人と遊客3082万人から計算すると、1人が年間600余を相手にしたことになる」と、この「3000万の遊客」が「4.7万人の娼妓」の顧客であると自ら明言しているのです。

 なお、「638対1」で計算した場合、秦氏の方法による推計慰安婦数は、250万人/638=3918人となります。上記の秦氏の推計値の約4分の1にすぎません。しかし、これこそが本来の意味での秦氏の推計値なのです。秦氏がやったように交代を考慮に入れても、約6000人というところで、2万数千人という推計値は秦氏の推計法からすれば、多すぎることになります。秦氏は慰安婦数の推計を「水増し」したことになります。

 しかし、250万人の将兵に慰安婦4000人では少なすぎるのではないでしょうか。なぜこんな事になるかと言えば、それは秦氏の推計にはさらに誤謬が含まれているからなのです。次ぎにその問題の検討に移ります。

「3000万の遊客」は「延人数」しかし「日本軍250万人」は「実人数」

 第二の誤りは、「(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150対1)」という計算で得られた数値(150対1)で、日本軍の実数250万人を割って慰安婦の人数を求める操作が、統計的には意味をもたないという点です。なぜなら、この操作は「延人数」と「実人数」を混同しているからです。

 「三業の婦女約20万」というのは、警察に「芸妓」「酌婦」「娼妓」の営業登録をした女性の数ですから、これは「実人数」を示します。正確に言えば、1937年なら1937年末の時点での登録者数を示す数字です。

 いっぽう、「遊客3000万」というのは、利用者数ですので、こちらは「延人数」です。その年において接客サービスを利用して支払いをした人間の総数であって、利用した客の「実人数」ではありません。この数字が「延人数」であることは、前記の秦氏の表「戦前期の内地公娼関係統計」(『慰安婦と戦場の性』30頁)にも、そう明記されています。「延人数」だから、実際の利用客の「実人数」は、当然この数値よりも低くなります。

 ですので、「3000万の遊客」を「三業の婦女約20万」で割った数値(150)そのものは、先ほども述べたように、「三業の婦女1人」(ほんとうは「娼妓1人」としなければいけないのですが、しばらくは秦氏の推計法にしたがって論を進めます)が一年間に接客した客数の平均値であって、利用した客の「実人数」を示すものではありません。この150人が「実人数」でありうるのは、「客は1年間に1回だけしか、利用しない」という条件が守られているときのみです。

 この条件が非現実的であることは、1937年日本人口が約7000万人で、そのうち男性が約3500万人であったことからもわかるでしょう。ちなみに、この年14歳以下の男性は約1300万人、15歳から65歳が2060万人、65歳以上が約160万人でした。3000万人という数字は、15歳以上の男性全員よりもさらに大きい数字なのです。

 意地悪く言えば、秦氏のこの推計は、「1937年の1年間に、日本内地では小学生以上の男性のほぼ全員が老いも若きも、もれなく1回(1回だけですが)買春した」と、暗黙のうちに主張していることになります。これでは「国民皆兵」ではなく、「国民買春」になってしまいかねません。

 「3000万の遊客」が「延人数」であることを考慮して、秦氏の推計法を訂正するとすれば、以下のようにしなければなりません。

 「(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150対1)」の150人という数値は、「遊客」の「実人数」(これをxとする)に、1人あたりの年平均利用回数(これをaとする)をかけたもの(ax)を「三業の婦女約20万」で割った数値であるから、これを用いて日本軍250万人(この数値は言うまでもなく、日本軍の「実人数」です)に対応する慰安婦数を推計するとすれば、日本軍の将兵1人あたりの年平均慰安所利用回数をbとして、250万×b/150という計算式によって求めなければなりません。

 秦氏の推計は、b=1(つまり、日本軍の兵士は平均して1年に1回しか慰安所を利用しない)として計算したのと同じですが、これは非現実的と言わざるをえないでしょう。b=2であれば、推定値は秦氏のそれの2倍になりますし、b=3であれば、3倍となります*2

 もちろん先に述べたように、150という数値は無意味ですので、秦方式で実際に計算するとなると、638を使うべきところです(250万×b/638)。この場合、b<4.08の範囲では、推計値は秦氏の試算よりも低くなります。

推計法の前提の不確かさ

 秦氏の推計法は、「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)と1944年時点での軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数が同じである」という前提の上にはじめて成立するわけですが*3、それが正しいという根拠は何もありません。その意味で、秦氏の推計法は不確実な方法といわざるをえません。

 さらに悪いことには、上に述べたように、秦氏自身は、自分の推計法をまちがったかたちで実行して、まちがった結論を出してしまっているわけで、二重の誤謬を犯しています。

慰安婦高給説とは両立しない

 なお付言しておきますと、かりにこの前提が正しいとすると、慰安婦1人の年間平均接客数は約638人ということになるのですが、これを認めてしまうと、こんどは慰安婦高収入説が成りたたなくなるおそれがあります。慰安所の利用料金の平均は、将兵1人あたり2.5円くらいでしょう。そうすると、慰安婦一人の年間水揚げは、2.5円×638人ですから1595円。水揚げの配分率で一番多いとされるのは5割ですので、慰安婦の取り分は、1年で798円です。1ヶ月で67円くらい。かりに、1人あたり5円として計算しても一ヶ月で133円、どう考えても「高給」などとはいえません。

*1:こちらの方法による秦氏の推計の問題点については、yamakiさんの記事のほか、林博史氏の批判 http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm さらにデジタル記念館・慰安婦問題とアジア女性基金の「慰安所と慰安婦数の数」についての考察 http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html を参照してください

*2:秦氏は『慰安婦と戦場の性』402頁で、「多く見て兵士一人が平均1か月に一回慰安所へ行く」(すなわちb=12)との前提のもとで板倉由明氏が算出した慰安婦の年間平均接客数2000人を「妥当なところだろう」と評価しているので、b=1という仮定は秦氏自身にとっても「非現実的」なものであるはずです。ちなみに、b=12ならば、慰安婦数は秦氏の推計値の12倍でなければなりません。1.6万人を12倍すれば19.2万人となって、秦氏の忌み嫌う慰安婦20万人という数字が出てしまいます。さらに言えば、注2で紹介するように、板倉氏の計算では、慰安婦は1年から2年で前借金を皆済することになっていますので、2年たてば交代します(交代したと考えないと、慰安婦は年季が明けても辞めることができないことになりますから、秦氏は困るでしょう)。よって、1938年初から1945年8月までの7年半でほぼ4交代、1941年末から1945年8月までの3年半では2交代したと考えねばなりません。そうすると、慰安婦の総数は20万人どころではおさまらないということになりかねません。もっとも、注2で述べるように、板倉氏の計算と秦氏の推計はそれぞれがたがいに矛盾する前提を採用していますので、両者が両立することはありえません。

*3:秦氏はいっぽうで、「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)と1944年時点での軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数が同じである」という前提のもとに、推計をしたのですが、同時に別のところでは、この「前提」を明らかに否定する言説を述べており、前後矛盾しています。しかも、自分が前後矛盾していることに気がついていません。この「前提」を明らかに否定する言説とは、注1で述べた板倉氏の推計を「妥当なところだろう」と肯定している箇所にみられます。まず板倉氏は次のようにして、慰安婦の年間平均接客数を2000人と計算しました。「慰安婦は前借を一年から二年で返すためには年2000人、月平均150ないし160人の客が必要」(『慰安婦と戦場の性』402頁)。これに対して、秦氏は以下のように述べて、年2000人という数値は妥当だとしたのです。「1937年の娼妓4.7万人と遊客3082万人から計算すると、一人が年間に600余人を相手にしたことになるから、「ハイリスク・ハイリターン」の戦地出稼ぎでは年2000人という板倉の計算は妥当なところであろう」、と(右同)。この引用にある年間600余人とは、「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)」にほかなりません。いっぽう、「年2000人」のほうは、(必ずしも1944年と限定されてはいませんが)「軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数」です。ですので、この引用において秦氏は、「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)と軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数とは等しいはずがない、後者前者の3倍が妥当である」との判断を下していることになります。