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永井和の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-07-26古森義久氏の資料の読み方 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 慰安所・慰安婦関係公文書の解釈と評価を、ただそれが「強制連行・強制徴集を示す証拠であるのか、ないのか」といった単一の判断基準のみでおこなおうとする傾向を、典型的なかたちで示しているのは、いうまでもなく古森義久氏の慰安婦問題に関する一連の発言ないし報道記事です。

 古森氏の場合は、私が先のエントリで指摘した弊害、すなわち「先入主となった固定的な判断基準にとらわれて史料を解釈すると、ほんとうにその史料が語っていることを見逃しかねない危険がある」の典型的な例といえるかもしれません。

古森義久氏と『政府調査「従軍慰安婦関係資料集成』

 kmiuraさんの日記http://ianhu.g.hatena.ne.jp/kmiura/20070724 やここの掲示板の新しいエントリhttp://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/27/1 でもとりあげられている古森氏のブログの記事「慰安婦徴用ではなく募集だったーー日本政府調査資料から」

http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/243239/

では、私が以前使用した旧内務省文書中の資料について言及されています。古森氏がそのブログで一部要点を紹介した〔警察庁関係(旧内務省関係)公表資料〕がそれです。

 これらの資料は、1938年日本軍南京上海方面で軍慰安所を創設した経緯を示すとともに、軍から依頼さてた民間業者が日本内地で行った「皇軍慰安婦女」の募集活動を生々しく伝えているのですが、古森氏は、もっぱら「強制連行・強制徴集の証拠か否か」という観点からだけでしか、それらの一連資料をみようとしないので、これらの資料が全体としていったい何を語っているのか、皆目理解されていないようです。

 そこで、簡単にこれらの資料から何がわかるのかを紹介しておきます。詳しくは、私の「日本軍の慰安所政策について」http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html を参照してください。

警察資料からわかるほんとうのこと

 内務省文書に含まれる一資料によれば、1937年12月に、当時の中支那方面軍において「前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)」を設置することが決められました。*1言うまでもなく「貸座敷」とは売春宿のことです。ところが、古森氏はこの事実を明らかにしている資料には言及していません。

 この方針のもと、上海日本軍特務機関と陸軍憲兵隊および日本総領事館の間で任務分担協定が結ばれ、「慰安婦女」募集のために日本内地朝鮮に要員が派遣されました。総領事館発行の身分証明書を携えて日本に戻った彼らは、知り合いの売春業者に、「皇軍慰安所酌婦三千人募集」の話をして協力を求めます。前記警察資料中の文書にはこのことが明記されているのですが、もちろん、古森氏は言及していません。

 その結果日本各地で「慰安婦女」の募集活動が展開されることになりました。大阪兵庫長崎等の府県に対しては、あらかじめ内々に軍の方針が伝えられていたのですが、事前に何も知らされなかった地方では、これら業者の募集活動は、いやでも警察の目を引かずにはおきませんでした。 

 北関東から南東北では、大阪のある売春業者が、軍の依頼により「約三千名ノ酌婦ヲ募集シテ送ルコトトナッタ」と同業者にふれてまわり、女性の斡旋を求めます。 

 和歌山県では「軍部ノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来タ」と述べて、女性を勧誘した業者が、婦女誘拐容疑で警察の取り調べを受けました。軍の名前をかたって売春目的のため、女性海外に売り飛ばそうとしているのではないかと、疑われたのです。

 和歌山警察が婦女誘拐の容疑をかけたのも無理はありません。それより先、1932年上海事変の際に、就業詐欺上海女性を連れて行き、「海軍指定慰安所」で売春に従事させた業者が、刑法第226条国外移送拐取罪で有罪になった例があり、警察が疑念を抱くのも当然のことといえましょう。

 ただし、この和歌山の婦女誘拐容疑事件は、和歌山警察からの照会に対して、大阪九条警察署長が、容疑者の身元を保証し、「慰安婦女」の「公募証明」を出したので、取調を受けた業者は釈放されます。つまり、たしかに軍の依頼による「公募」であることが証明された時点で、和歌山警察は、これを婦女誘拐には該当しないと認定したのでした。

 もちろん、この和歌山県警察報告について古森氏はまったく言及していません。

 なお、この和歌山での婦女誘拐容疑事件が、有名な昭和13年陸支密第745号*2で言及されている「募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」であり、北関東および南東北警察からマークされた大阪売春業者が「故ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ」に該当します。

 陸支密第745号があげている募集にともなって生じた問題とは以上のようなものでした。いずれも、軍の要請で募集にあたった末端の女衒が、軍の計画による募集であることをおおぴらに触れ歩いたこと、そして事情を事前にしらされなかった一部の地方の警察が、軍がそういうことをするとは信じられなかったために、これを新手の婦女売買、国外移送行為とみて、取り締まろうとしたことから起きたトラブルです。

 これらの地方警察にとって、軍が将兵向けの性欲処理施設をつくり、売春に従事する女性を募集するなどという話は、にわかには信じられないことでした。山形群馬茨城高知県の各警察は「軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キノミナラズ」「一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノ」「公序良俗ニ反スル」と内務大臣宛の報告書で語り、業者の活動は「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノ」だと断じ、取締の必要をうったえます。

 つまり、当時の地方警察は、公娼制度は合法だから、軍が前線皇軍兵士慰安のために「事実上ノ貸座敷」を設置し、さらに民間業者に命じてそこで働く女性を募集させても、そんなことは少しも不思議ではないし、まったく問題がないなどとは、残念ながら考えなかったのです。

 なんだ、ただの「募集」であって「強制徴用」なんかではないではないかと、古森氏を安心させた、山形県知事高知県知事の内務省宛の報告とは、じつは上に述べたような性格のものなのです。軍が民間業者に命じて売春に従事させる女性を「募集」(「強制徴用」ではない)すること、それ自体が、当時の地方警察にとっては、「軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キノミナラズ」「一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノ」であり、「公序良俗ニ反スル」ものだったのです。

 そこで高知県のような県では、このような業者の募集活動を厳しく取り締まることにし、売春目的で渡航する場合には身分証明書の発行を厳禁せよとの指令を県下の警察に下しました。もともと、日中戦争が始まってから中国方面への渡航は制限されており、犯罪につながりかねないあるいは一攫千金をねらう不良分子の渡航を認めないというのが、日本政府の方針であり、高知県はその政府方針に忠実に、厳格な渡航禁止措置をとろうとしたのです。

 古森氏がそのブログで紹介している高知県知事の取締方針はそういう目的で出されたものでした。

地方警察の報告と警保局通牒・副官通牒との関係

 しかし、このような渡航厳禁方針がとられると、慰安婦を戦地に送ることはできなくなってしまいます。そうすると、軍の慰安所計画は絵に描いたもちと化し、挫折してしまいかねません。そこで地方からの報告を受けて事情をしった内務省は、このままでは軍が困ることになるので、軍支援のために、中国向け売春婦の渡航を黙認するよう、各府県の警察に通達することにしたのです。所定の条件(21才以上で、すでに売春に従事しており、本人の承諾が確認できること)を満たす場合には、渡航証明を出すように、各府県に対して指令を発したのでした。

 この指令文書が昭和13年2月の内務省警保局通牒(内務省発警第5号)、すなわち古森氏がそのブログの記事で、「昭和13年2月に内務省警保局長が各庁府県長官あてに送った文書」として紹介されているものにほかなりません。

 ですので、これと高知県知事との報告との関係は、同じ平面にあるものではなくて、軍の慰安所計画に協力するために、高知県知事が示したような渡航禁止方針を撤回させるために出されたのが、この警保局通牒なのです。この両者の関係を古森氏はぜんぜん理解できていません。

 内務省警保局は同時に、軍の威信を保持し、出征兵士の留守家族の動揺を防止するため、募集にあたっては軍との関係を公然流布させないよう指導せよと命じます。つまり、一方において慰安婦の募集と渡航を容認しながら、軍との関係については隠蔽することを業者に義務づけたのでした。自らが「醜業」と呼んでいたことがらに「軍=国家」が直接手を染めるのは、いかに軍事上の必要からとはいえ、その体面にかかわる「恥ずかしい」ことだったからです。

 そして、その内務省の憂慮を中国出先の軍司令部に通知し、慰安婦募集にあたらせる業者の選定に注意し、今後は必ず地方の警察憲兵と連絡をとって、募集活動を行うように命じたのが陸支密第745号にほかなりません。これは古森氏が、「昭和13年3月に陸軍省副官が北支那方面軍および中支派遣参謀長に送った文書」として紹介されているものです。ですので、これは「軍はむしろ募集にあたる業者に対し強制徴用の類の行為はとらないよう警告していたような事例」とはいえません。

 ところで、その年の秋に第21軍が華南に派遣された際に、慰安婦募集に便宜をはかってもらうために、参謀の久門少佐東京出張して内務省警保局長に斡旋を依頼したことは、この日記でも何度かふれましたが、じつはこの第21軍のとった行動は、陸支密第745号で指示された陸軍中央の意向に忠実であろうとしたものとみるべきでしょう。1000人にのぼる慰安婦内地および台湾朝鮮で募集して送るにあたって、無用の混乱をおこさないように、あらかじめ警察と連絡をとって、その協力を要請し、慰安婦の募集そのものを警察に依頼したわけですから、まさに陸支密第745号の指示どおりだといえましょう。

 古森氏のような判断基準を採用していては、いくら多くの資料を読んだとしても、「日本政府や軍による女性たちの組織的な強制徴用」を示す公文書はみつからないから安心だという白日夢にふけることはできても、慰安所制度の実態について、おそらく何もつかむことはできないでしょう。

*1:その軍編成上の根拠は、同年9月改定の「野戦酒保規程」なのですが、軍慰安所が戦地派遣部隊に設けられた野戦酒保付属の慰安施設、つまり軍の後方施設だったことについては、私の日記http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20070626 を参照してください。

*2:陸支密第745号についてはこちらを参照のことhttp://ianhu.g.hatena.ne.jp/keyword/%e9%99%b8%e6%94%af%e5%af%86%e7%ac%ac%e4%b8%83%e5%9b%9b%e4%ba%94%e5%8f%b7