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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

140625慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯 別添資料 2

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2.韓国における「女性のためのアジア 平和国民基金」(以下「基金」)事業の経緯

1 「基金」設立まで(1993年~1994年)

 (1)前述のとおり、慰安婦問題をめぐる日韓政府のやりとりでは、真相究明と後続措置がパッケージと観念されてきた。1993年8月4日の河野談話も「そのような(お詫びと反省の)気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える」として言及している。元慰安婦への「措置」について日本側が、いかなる措置をとるべきか韓国政府の考え方を確認したところ、韓国側は、日韓間では法的な補償の問題は決着済みであり、何らかの措置という場合は法的補償のことではなく、そしてその措置は公式には日本側が一方的にやるべきものであり、韓国側がとやかくいう性質のものではないと理解しているとの反応であった。

 (2)その後、元慰安婦に対する具体的な措置について韓国政府側とやりとりを重ねたが、日本政府が何らかの具体的な措置を講じるとしても、日韓両国間では、慰安婦の問題を含め、両国及び両国民間の財産・請求権の問題は、法的には完全且(か)つ最終的に解決済みであり、韓国の元慰安婦に対しては、個人的な賠償となる措置は実施しないことを想定している旨韓国側には確認していた。韓国側は、日本側が戦後処理の清算の次元で自主的に処理すべきものであり、また韓国政府は日本政府に対し物質的な補償を求めず、かつ、日本側の措置には関与しないとの反応であった。また、翌94年の夏に入り、日韓の事務方のやりとりにおいて、韓国側からは、韓国の世論の一つには被害者とその関係団体があり、彼らの要求は補償をしろというものである一方、慰安婦問題であれ、何であれ、日本政府に何かを求めることはそろそろ止(や)めにしようという世論もあり、数でいえばこちらの方が多いとの率直な意見が述べられた。

 (3)1994年12月7日、与党三党(社会・自民・さきがけ)による「戦後50年問題プロジェクト・チーム」の下に設けられた慰安婦への対応を議論する小委員会で「第一次報告」がまとめられ、国民参加の基金を設置し、元慰安婦を対象とした措置を行うとともに、過去の過ちを繰り返さないために女性に対する暴力など今日的な女性の名誉と尊厳にかかわる問題の啓発・予防・対応・解決に向けた活動の支援を行うこと、政府がこの基金に対する資金拠出を含め可能な限りの協力を行うことを表明した。

 (4)1995年6月13日、日本政府は、韓国、台湾、インドネシア、フィリピン、オランダを対象にした「基金」を翌日に公式発表することを決定し、その設立目的や事業の基本的な性格等を記した「基金構想と事業に関する内閣官房長官発表」の内容を韓国側に対し事前通報したところ、韓国政府からは、(1)全般的な感想としては、当事者団体にとって満足いくものでないにしても、韓国政府としては評価できる点もあるような感じがする、(2)従来より金泳三大統領は、慰安婦に対する補償金は要らないが、徹底した真相究明が行われるべきである旨明らかにしている、(3)韓国側が要請してきた点である、日本政府としての公的性格を含める必要があること及び日本政府としてのお詫びの気持ちを表明することの2点が概(おおむ)ね含まれており、こうした点において評価したい旨述べた。また、関係団体に対し日本側の措置を説明するにあたっては、韓国政府としてもできるだけ協力したい旨の反応があった。翌14日には、五十嵐官房長官が以下を発表した。

 ◇五十嵐内閣官房長官発表(抜粋)(1995年6月14日)

 平成6年8月の村山総理の談話を受け、また与党戦後50年問題プロジェクトの協議に基づき、政府において検討の結果、戦後50年にあたり過去の反省に立って「女性のためのアジア平和友好基金」による事業を次の通り行うものとする。

      記

 元従軍慰安婦の方々のため国民、政府協力のもとに次のことを行う。

(1)元従軍慰安婦の方々への国民的な償いを行うための資金を民間から基金が募金する。

(2)元従軍慰安婦の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。

(3)この事業を実施する折、政府は元従軍慰安婦の方々に、国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明する。

(4)また、政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。

 女性の名誉と尊厳に関わる事業として、前記1.(2)にあわせ、女性に対する暴力など今日的な問題に対応するための事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。

 「女性のためのアジア平和友好基金」事業に広く国民のご協力を願う「呼びかけ人」として、これまでご賛同を得た方々は次の通りである。(以下略)

 これを受け、韓国外務部は以下の外務部論評を発表した。

 ◇五十嵐官房長官発表に対する韓国外務部論評(1995年6月)

1.韓国政府は従軍慰安婦問題についてのフォローアップは、基本的に日本政府が93年8月に発表した実態調査の結果により自主的に決定する事項であるが、従軍慰安婦問題の円満な解決のためには、当事者の要求している事項が最大限反映されることが必要であることを指摘してきた。

2.今次日本政府の基金設立は、一部事業に対する政府予算の支援という公的性格は加味されており、また、今後右事業が行われる際、当事者に対する国家としての率直な反省及び謝罪を表明し、過去に対する真相究明を行い、これを歴史の教訓にするという意志が明確に含まれているとの点で、これまでの当事者の要求がある程度反映された誠意ある措置であると評価している。

3.韓国政府は、今後日本が今次基金設立を契機に、様々な過去史問題に対する史実を明らかにし、右解決のための努力を積極的に傾けていくことによって、正しい歴史認識を土台にした近隣各国との未来志向的な善隣友好関係に発展させていくことを期待する。

2 「基金」設立初期(1995年~1996年)

 (1)一方、韓国国内の被害者支援団体は、「基金」を民間団体による慰労金と位置づけ、日本政府及び「基金」の取組を批判した。これを受け、翌7月には、韓国政府は、官房長官発表を韓国外務部としては評価する声明を出したが、その後被害者支援団体から韓国外務部に強い反発がきて困っている、このような事情からも表立って日本政府と協力することは難しいが、水面下では日本政府と協力していきたいとの立場が示された。

 (2)1996年7月、「基金」は、「償い金」の支給、総理による「お詫びの手紙」、医療福祉事業を決定した。特に総理からの「お詫びの手紙」については、韓国政府から、日本政府は韓国政府に対してお詫びをしているが、被害者は個人的にはお詫びをしてもらってないと感じているという反応もあり、お詫びを表明するに当たっては総理による手紙という形をとることとなった。こうした決定を、日本政府から韓国側に説明するために、韓国政府を通じ遺族会及び挺対協に対して面談を申し入れたが、「民間基金」を受け入れることはできないとの見解が両団体から示された。

 (3)韓国政府からは、(1)日本政府がどのような形式であれ、被害者達が納得できる措置をとってほしい、(2)日本が法的に国家補償を行うことは無理であると明言した上で、政府の謝罪の気持ちを表明し、何らかの形で、国家補償と同じように見えるものができないか、(3)「韓国との関係については今後誠意を持って話し合いたい」旨のメッセージを日本政府より発出して頂けないかとし、その後具体的にどう対応するかについて、時間をかけて日本側と静かに話し合っていきたいとの意向が示された。

 (4)同年8月にフィリピンにおいて「基金」事業が開始されたこともあり、同月「基金」は韓国政府から認定を受けた被害者に対して事業を実施するとの方針の下、「基金」運営審議会委員からなる対話チームが韓国を訪問し、10数名の被害者に会い、事業の説明を行った。そして同年12月、元慰安婦7名が「基金」の努力を認め、事業の受け入れを表明した。

3 元慰安婦7名に対する「基金」事業実施(1997年1月)

 (1)日本政府は、上記7名に対する事業を実施するに当たり、1997年1月10日(事業実施の前日)、在日本韓国大使館に、「基金」事業を受け取ってもいいとの意思を表明した韓国の元慰安婦に対し「基金」事業をお届けすると決めたようである旨事前通報した。韓国政府は、(1)関係団体と被害者の両方が満足する形で事業が実施されるのでなければ解決にはならない、(2)何人かの元慰安婦だけに実施されるのであれば、関係団体が厳しい反応を示すこととなろう、日韓外相会談、首脳会談の直前であり、タイミングが悪いと考える旨の反応があった。

 (2)翌11日、「基金」代表団は、ソウルにおいて元慰安婦7名に対し、総理の「お詫びの手紙」をお渡しし、韓国のマスコミ各社に対し、事業実施の事実を明らかにするとともに、「基金」事業について説明した。

 ◇元慰安婦の方々に対する内閣総理大臣の手紙

 拝啓 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。

 いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。

 我々は、過去の重みからも未来の責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。敬具

 日本国内閣総理大臣

 (歴代内閣総理大臣署名:橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎)

     *

 これに対し、韓国のメディアは「基金」事業を非難し、被害者団体等による元慰安婦7名や新たに「基金」事業に申請しようとする元慰安婦に対するハラスメントが始まった。被害者団体は、元慰安婦7名の実名を対外的に言及した他、本人に電話をかけ「民間基金」からのカネを受け取ることは、自ら「売春婦」であったことを認める行為であるとして非難した。また、その後に新たに「基金」事業の受け入れを表明した元慰安婦に対しては、関係者が家にまで来て「日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った。

 (3)また、韓国政府からは直後に、韓国政府としては、当然「基金」から目録等を誰に伝達したのかにつき通報を受けて然るべきであったと考えるところ、日本側は少し性急すぎるのではないか、また、「基金」の韓国における事業実施につき本当に困惑しているなどと、遺憾の意が伝えられた。

 (4)その翌週の日韓外相会談において、柳宗夏韓国外務部長官より、先週末に「基金」が事業を開始し、元慰安婦に支給を行ったことは極めて遺憾である、この撤回と今後の一時金支給の中断を求めるとの発言があった。また、池田外務大臣の金泳三大統領表敬訪問において、大統領より、この問題は国民感情の面からみると敏感な問題である、外相会談でこの話が取り上げられたと報告は受けているが、最近とられた「基金」の措置は国民感情にとって好ましくない影響を強く与えるものであり、遺憾である、このような措置が今後再びとられることのないようお願いしたいとの発言があった。

4 「基金」事業の一時中断(1997年2月~1998年1月)

 (1)「基金」事業を受け取った7名の元慰安婦が韓国内で継続的にハラスメントを受けることになったことを踏まえ、「基金」は、一時事業を見合わせることとして慎重な対応を取ることとなった。他方、一部被害者支援団体から、事業の受け取りを希望する元慰安婦との調整に前向きな反応もあり、そうした元慰安婦の数を増やすためにも引き続き事業に対する韓国での理解が得られるよう様々な方策を検討し、韓国国内で新聞広告を掲載することなどを模索することとした。

 (2)その後、1997年夏から秋にかけて、日本政府と「基金」関係者との間で、韓国国内での広告掲載や事業再開について幾度も折衝が行われた。日本政府は、韓国大統領選挙や日韓間の漁業交渉の状況もあり、延期するよう働きかけたところ、「基金」は、納得できないとの立場を堅持しつつも、日韓及び韓国国内のセンシティブな状況に配慮し、新聞広告の掲載を数回にわたって見送った。

 (3)しかし、少しでも多くの韓国人元慰安婦に「基金」事業の内容を知ってもらい、理解を得たいと「基金」側が強く希望し、韓国の新聞社からも広告掲載の了解があったため、日本政府としても、1998年12月18日に終了する大統領選挙後であれば、静かに目立たない形で事業を実施し、広告についても掲載することはやむを得ないと判断し、小渕外務大臣までの了承を得た。

5 「基金」による新聞広告掲載 (1998年1月)

 (1)1998年1月上旬に、日韓の事務方のやりとりにおいて、日本側から、「基金」事業に係る韓国内での理解を普及する目的として新聞広告(4紙)の掲載予定について事前説明したのに対し、韓国政府側からは、「基金」事業の一方的な実施は問題の解決にならないとして、挺対協と「基金」との対話を進めようとしているが、挺対協からは組織内の意見がまとまるまでもう少し時間が欲しいと言われている旨回答があった。

 (2)1998年1月6日、実際に広告が掲載されたことを受け、韓国政府側から、日本側が柔軟性を発揮し、急ぐことなく、本問題が目立たずに徐々に消えていくよう対応するのが好ましいと考えており、その意味で、先日の新聞広告は極めて刺激的であった旨の反応が示された。

6 「基金」による償い金事業の一時停止(1998年2月~1999年2月)

 (1)1998年3月、金大中政権が発足し、韓国政府として日本政府に国家補償は要求しない代わりに韓国政府が「生活支援金」を元慰安婦に支給することを決定した。なお、韓国政府として、「基金」から受け取った元慰安婦は「生活支援金」の対象外となったものの、「基金」自体に表だって反対し、非難する措置ではないとの立場について説明があった。

 (2)さらに、この時期、韓国政府は、金大統領自身本件について金銭の問題をなくせ、政府間のイシューにするなという意見であり、両国の問題は存在しないと思った方が良いとして、「基金」には申し訳ないが、政府間の問題にならないよう終止符を打つべき旨述べていた。

7 韓赤(大韓赤十字社)による医療・福祉事業への転換(1999年3月~1999年7月)

 (1)「基金」は、1998年7月にオランダでの医療福祉事業が順調に開始されたこともあり、「償い金」に代わる医療福祉事業の転換を検討し、1999年1月末、韓赤に協力を打診する方針を決定した。これに対して、日韓の事務方のやりとりにおいて、韓国側からは事業を抜本的に変更することは結構なこととして、形としては、日本側と韓赤の間で話が進み、韓赤より相談を受けた段階で前向きに対応することを慫慂(しょうよう)するとの段取りが適当と考える旨の反応が示された。

 (2)しかし、1999年3月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、突如韓国政府が方針を変え、この問題では何かしてもしなくても批判されるということを冷静に踏まえておく必要がある旨述べつつ、韓赤は韓国政府の息のかかった組織であり、強い反対が予想されるので、今回の提案は勘弁してほしいとの反応が示された。これに対し、日本側は、事業転換は、金大中大統領訪日により醸成された未来志向の日韓関係に悪影響を与えないようにとの観点から、総理の了承も得て事業終了に強い難色を示す「基金」を説得したものであるとして、韓国側の申し入れは容易に納得し難い旨申し入れたものの、韓国側の協力が得られずに最終的に事業転換が実現できない状況となった。

8 事業転換困難のまま基金事業終了(1999年7月~2002年5月)

 (1)事業転換が実現出来なかった「基金」は1999年7月に事業を停止することとなり、停止状態が2002年2月まで続いたが、同月20日、「基金」は事業の停止状態をいったん解き、韓国内での事業申請受付期限を同年5月1日にすることを決定した。

 (2)2002年4月に行われた日韓の事務方のやりとりでは、改めて韓国政府としては、「基金」の「償い金」支給、医療・福祉事業について反対の態度を示した。そして、翌5月1日に韓国における全ての「基金」事業申請受付が終了し、1997年1月から始まった韓国での事業が幕を閉じた。

9 韓国における「基金」事業の終了と成果

 (1)1995年に設立された「基金」には、基本財産への寄附を含め約6億円の募金が集まり、日本政府は、インドネシアでの事業をもって事業全体が終了する2007年3月末までに拠出金・補助金あわせ約48億円を支出した。韓国における事業としては、事業終了までに、元慰安婦合計61名に対し、民間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し、政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(一人当たり計500万円)するとともに、これらを受け取ったすべての元慰安婦に対し、当時の総理の署名入りの「お詫びの手紙」をお渡しした。その数は、橋本政権下で27件、小渕政権下で24件、森政権下で1件、小泉政権下で9件に及ぶ。

 (2)フィリピン、インドネシアやオランダでの「基金」事業では、相手国政府や関連団体等からの理解や肯定的な評価の下で実施できたところ、韓国では、韓国国内における事情や日韓関係に大きく影響を受け、同政府や国民からの理解は得られなかったものの、「基金」事業を受け取った元慰安婦からは、日本政府から、私たちが生きているうちに、このような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした、日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました、大変有り難うございます、とするお礼の言葉が寄せられた。

 (3)また、一部の元慰安婦は、手術を受けるためにお金が必要だということで、「基金」を受け入れることを決めたが、当初は「基金」の関係者に会うことも嫌だという態度をとっていたものの、「基金」代表が総理の手紙、理事長の手紙を朗読すると、声をあげて泣き出し、「基金」代表と抱き合って泣き続けた、日本政府と国民のお詫びと償いの気持ちを受け止めていただいた、との報告もなされており、韓国国内状況とは裏腹に、元慰安婦からの評価を得た。以上