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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

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[][] ”強制連行”の意味内容の変遷を国会質疑で追う 04:45 はてなブックマーク -   ”強制連行”の意味内容の変遷を国会質疑で追う - kmiura   ”強制連行”の意味内容の変遷を国会質疑で追う - kmiura のブックマークコメント

1992年夏に秦氏が導入した”狭義の強制連行”というタームによって、強制連行という言葉の使い方が変化したのではないか、という見方から、国会の質疑の記録を経時的に眺める。その変遷から影響の程度を推し量ることができるのではないか。ざらっとみただけだが、90年代以前は国家総動員法や「華人労務者内地移入に関する件」を法的な根拠とする強制連行であったのが、90年代以降、拉致としての強制連行という意味内容で”強制連行”を使う発言が多い。

1964 第39号 昭和三十九年六月二日(火曜日)衆議院  第046回国会 内閣委員会

コメント: 国家総動員法としての強制連行

○大出委員 あとの質問に関連がありますから、いまの点もう少し私のほうから申し上げておきますが、一九二〇年代の日本の例の恐慌、これは歴史に明らかであります。一九二九年からは世界恐慌という形に発展をいたしておりますけれども、この抜け道をば日本経済は大陸に求めた。これが質屋さんがいま言われる日本の時代の歩んだ道であります。その意味で、朝鮮が兵たん基地ということで、そこに政策的な重点が置かれまして、軍需工業が進出をする、そして農業恐慌のしわ寄せが次第にはっきりしてきて、北羊南綿政策が生まれてきたわけであります。いま搾取した覚えはないと言うけれども、この政策自体は、明らかに搾取的だというふうに断ぜざるを得ないのであります。そのためにますます流浪する難民がふえ、日本へ渡来する人口がますますふえたわけでありますが、一九二二年の在日朝鮮人が三十一万八千二百十二人、三八年になりますと七十九万九千八百六十五人になったわけでありますから、いかに否定をされましても、住みにくい朝鮮から日本に流れてきたことの事実は明らかであります。さらに三九年以降、戦時労働力不足を先ほど大臣言われるように補うという意味で、強制連行という形がとられているわけであります。これも記録に明らかであります。そして日本人が、鉱山や建設中の金属鉱業やあるいは仲仕等の仕事については朝鮮人労働者の移入にたよるという形がとられて、太平洋戦争勃発当時のことでありますけれども、日本に大体百四十万の朝鮮人が居住しておりまして、そのうちの七十七万七千人が労働者であって、六十九万二千人がそれ以外の人たち、これも数字が明らかであります。一九三九年から四五年にわたって九十万七千六百九十七人の朝鮮人を朝鮮から持ってくる計画が当時つくられているが、割り当て数のわずか七三%、約六十七万を持ってくることに成功し、連れられてきた朝鮮の人のほぼ半数が炭鉱に送られた。これはG・B・コーヘンという人の「戦時戦後の日本経済」という資料に、相当詳細に載っております。最もひどいのは労務の徴用、戦争が次第に激しくなるに従って、やがて朝鮮に志願兵制度がしかれて、労務徴用者の割り当てがきわめて激しくなってまいりました。納得の上で応募させていたのでは、予定数の割り当てに達しない。そこで郡あるいは面――これは村でありますが、等の労務係が、深夜あるいは早暁に田畑で働いている人たちをトラックを回して集団的に乗せて、九州の炭鉱に送り込んだ、こういうことが、鎌田さんという人の「朝鮮新話」に記録として明らかになっているわけであります。ここまでまいりますと、きれいごとを言っているのではなくて、当時の私ども日本人が考えていた――日本における私どもの学生時代等に現実にながめている朝鮮人に対する日本人の感情なり待遇なりということを思いますときに、当時責任の衝におられた大臣のことですから、この辺のことは事実は事実としてあっさり認めた上で、今日置かれている朝鮮の方々の待遇というものに対してどうして前向きに改善していくかということを考えてしかるべきだと思いますが、再度その点を御答弁賜わりたいと思います。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0388/04606020388039c.html

1964 衆議院 第046回国会 外務委員会  第29号 昭和39年6月4日

コメント: 閣議決定「華人労務者内地移入に関する件」による強制連行

○黒田委員 それでけっこうです。

 そこで、中国人の強制連行の事情、それから死亡いたしました中国人俘虜殉難者の氏名及び死亡状況等の調査、それから、遺骨の収集、慰霊、遺骨の送還というようなことは、これは政府の責任においておやりになるべきものと考えるわけです。それは、第一には、強制連行が戦時中の昭和十七年に東條内閣の閣議決定すなわち日本政府の閣議決定に基づくものであったということです。それに基づいて、日本政府機関及び軍によりまして、中国大陸の占領地域から一般住民及び軍事俘虜を捕えまして日本に強制連行したという事実が発生した。次に、日本の敗戦直後に、ポツダム宣言の第十条、降服文書及び連合国最高司令官の総司令部一般命令第一号などで、日本が捕虜にいたしました連合国の軍人、それから抑留した外国人に対しまして、次のような原則が立てられました。それは、第一は、捕虜と被抑留者を虐待した者を処罰する。第二は、捕虜と被抑留者に対する解放、保護、送還を行なう。それから、第三は、捕虜と被抑留者に関する報告を日本政府にさせる。これらの諸文書によって、中国人強制連行事件についての日本政府の処理のしかたについて、国際法と人道主義の上に立つ原則が示されたのであります。この原則に基づいて生存者の中国への集団送還が行なわれた事実があります。こういう諸事実にかんがみまして、強制連行の状況及び死亡事情の調査とその報告及び遺骨の収集と慰霊、送還というような仕事は、日本政府の人道上及び政治上の責任において、人道上及び国際法上の義務としてこれを行なうべきものである、これが連行された事情、それから、集団帰国の場合の、先ほど申しましたポツダム宣言以下の文書や命令の上にあらわれた諸原則、それに基づいてなされた処置というようなものと照らし合わせてみまして、日本政府の義務としてこれをなすべきものである、こういうふうに私ども考える。従来、岸内閣の時代に、岸総理あるいは藤山外務大臣、それから坂田厚生大臣等もこれらの義務は認めておられたのでありますが、それ以来今日まで若干の日時がたっておりますので、池田内閣としても同様の態度をもってこの事件に臨まれるかどうか、それをあらためて確認をしておきたいと思います。これにつきまして外務大臣のお答えをいただきたいと思います。原則の問題ですから、大臣から御答弁を願います。

1965 昭和40年12月1日 参議院 第050回国会 日韓条約等特別委員会 第1号 

○公述人(藤島宇内君) 私は問題を二つの点に限って公述をしたいと思います。第一の点は、日韓基本条約の持っている軍事的な性格がまだ十分に討論されていないのではないかという点、第二の点は、政府が日韓友好の基礎であると言っているその態度が、まだ十分に友好と言い得るほど完成されていない、また今後の態度としても十分に友好的な態度がとられていないんではないかというこの二点です。

(中略)

それから第二点ですが、第二点は、基本条約第二条にかかわる問題です。これは衆議院では石橋政嗣議員、参議院では公明党の黒柳明議員が今回それぞれ質問されたわけですが、この旧条約というものが、日本の軍事的脅迫というふうなもので締結されたものではないかという質問に対して、佐藤首相は繰り返し、これは対等な立場で自由な意思で締結されたんだということをおっしゃっているのです。しかし、外務省に保管されている、あるいは国会図書館に保管されている歴史文書によりますと、伊藤博文の韓国皇帝に対する面談の報告書あるいは韓国の閣僚に対する糾明の報告書、こういったものを見ましても、明らかにこれは脅迫によって結ばれている。それから朝鮮を植民地化しましたあとも、全国にわたって独立運動が起こっています。これに対して日本は軍隊をもって弾圧を加えて非常にたくさんの人を殺しているわけです。それから、その独立運動に対してもこれを治安維持法などにひっかけまして非常にたくさんの人を逮捕している。どれくらいの人が命を捨てたかはかり知れないようなものがある。そうしますと、これは決して対等に自由に結ばれたものとは言いがたい。文部大臣は黒柳委員の質問に答えられて、国連の植民地解放宣言に照らして朝鮮民族の独立運動は正当であったというふうな答弁をなさいました。これは非常に正しい見解だというふうに思う。ところが、実際にそれでは文部省あたりで考えられている朝鮮民族の独立運動に対する考え方はどうかといいますと、これがどうも反日的なものだというふうな扱い方をしている。それではその文部大臣の正当な見解と相反することを文部省がやっているということになります。これは日本の次の時代を背負う国民の思想の問題であり、またそういう植民地解放宣言にせっかく日本は賛成投票している。この場合アメリカは賛成投票しておりません。にもかかわらず、日本が賛成投票しているという日本の立場の正当性というものをみずから侵害してしまうことになるんじゃないか。もし佐藤首相がそういうふうに対等な立場で自由に締結されたということをずっと主張されていくということになりますと、これがやはりこの請求権問題にもかかわってまいります。社会党の横路節雄議員が、衆議院で質問できなかった問題を「朝日ジャーナル」の十一月二十八日号に、「封じられたわたしの日韓質問」というので出しておられますけれども、その中に「対日請求八項目」というのが出ております。その請求権八項目の中の第5項の3、4、この中に、第二次大戦中の「被徴用韓国人未収金」というのがあります。これは軍人軍属を含むわけです。それから、「戦争による被徴用者の被害に対する補償」、つまり戦争中に強制連行されてきた六十万余りの在日朝鮮人、この人たちに対する補償という問題が含まれております。この請求権に対するこういう補償問題というものは、韓国政府が資料をそろえられないからというふうに政府はおっしゃっておりますけれども、こういう軍人軍属の問題とか、あるいは強制連行されてきてそうして日本の炭鉱やら土建工事で奴隷労働させられた人たちに対する補償というのは韓国には資料がない。これは、日本政府みずからの責任で明らかにし、提出しなければならない資料であります。それから、文部大臣が朝鮮民族の独立運動が正当であるとおっしゃったわけですけれども、それならば、日本の教科書などもそういうようなことがちゃんと出るようなふうに編さんをしていただきたいし、また、在日朝鮮人が教育を行なっておりますが、これをその中に民族独立の運動が書いてあるから反日的だというようなことを言うような文部官僚、こういったものの考え方を正していただかなければならないというふうに思います。そういったような請求権の問題、あるいは思想的な問題、こういったものがすべてなおざりになって、ほとんどまともに討論が行なわれていない。また答弁を行なわれていないということでは、将来の日韓友好、日本民族と朝鮮民族との末長い友好ということを考えた場合には、非常にそこから複雑な、また深刻な問題が発生するのではないかというふうに思われるわけです。その点で十分な反省が行なわれるような決議なりなんなり、そういったものをやはり国会できちんとやっていただく。そうしなければ、この日韓条約というものが持っている危険性というものがやはり防げないのではないかというふうに思うわけです。

 以上二つの問題点で終わります。(拍手)

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/050/0402/05012010402001a.html

1969 昭和44年1月31日 参議院 第061回国会 本会議 第4号

コメント: 1942、閣議決定「華人労務者内地移入に関する件」による強制連行 

○森中守義君 私は、日本社会党を代表いたしまして、重要な若干の点について政府にただしたいと思います。

(中略)

 戦時中、東条内閣の閣議決定に基づいて、四万人の中国人労務者がわが国に強制連行され、過酷な労役の末、六千五百名が殺害され、十数年間放置されていましたが、わが国民間の有志によりまして、三千数百の遺骨が中国に送還され、そのお返しに、中国紅十字会の好意で、邦人三千数百の遺骨が祖国に帰りました。ところで、かつての周総理の談話によれば、なお八百九十九の日本人遺骨が収集、安置されており、一方、わが国でも、中国人十数名の遺骨を政府で預かっていると聞いております。いつこれを処理されるのか、なぜに政府は、みずからの責任で処理しようとしないのか、その理由を承知したいと思います。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/061/0010/06101310010004a.html

1973 昭和四十八年七月四日(水曜日)  第071回国会 法務委員会 第40号

コメント:国家総動員法、強制連行

○赤松委員 国士舘大学の問題についてはさらに文部省、法務省、警察庁等に質問を続行しますが、いま外務大臣が参りましたので、先ほど私が申し上げましたように多忙ですから、先に外務大臣に質問いたします。

 外務大臣にこの際お尋ねしますが、日本が植民地政策をとって三十六年間、これは朝鮮に対する植民地政策。そして単に国内において朝鮮人を虐待したばかりでなしに、朝鮮半島におけるところの全土にわたってたいへんな侵略行為、なかんずく野蛮な虐殺、虐待その他を繰り返してきた。戦争中日本及び南方地域に強制連行された朝鮮人の数は百五十万人にのぼっています。それから炭鉱、鉱山、飛行場、軍需工場、ダム、道路、鉄道、港湾の建設工事現場で想像に絶する虐待を受けている。日弁連の人権擁護の尾崎委員長を団長とします二十人の調査団が、まず当時九州、北海道に一番多く強制連行されて虐待を受けた事実を目下調査している。調査の中で次第に証言その他によって明らかになってまいったのは、まず朝鮮において人狩りをやった。ある朝鮮の人がこう述べておる。昭和十四年八月、少年のときでした。お盆でいとこの家へ遊びに行こうと夜道を一人で歩いていたら、うしろからトラックが来てとまった。日本人と通訳がおりてきて、乗れと押し込められた。途中寝るときも見張りがいてとても逃げられない。貨物船の船底に詰め込まれて、着いたら函館だった。こういうようにして人狩りがどんどん行なわれて、いま申し上げましたように百五十万人の人が南方地域もしくは日本の国内に送られた。親と子を引き裂かれ、きょうだいの仲を引き裂かれて強制的に日本に連行されておる。これは国家総動員法が制定された翌年の昭和十四年十月ごろからいよいよ本格化してまいりました。その中の一つをいま私が指摘したのでありますけれども、北海道においてはタコ部屋に詰め込んで、そうして大豆かすや南京豆をまぜためし、大根の葉っぱに塩をつけただけのつけもの、線切り、こういうものを食べさせて十二時間の過酷な労働をやらしておる。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/071/0080/07107040080040c.html

1982 昭和五十七年七月三十日(金曜日) 第096回国会 外務委員会 第23号 

○橋本(恕)政府委員 私は歴史家ではございませんが、私の記憶では、日本との不幸な関係がありましたときの朝鮮半島は、現在のように明確に北と南に分かれているというような状況ではございませんので、全体的、一般的なこの朝鮮半島に住む人々、こういうことであったかと理解しております。

○土井委員 そうすると、この日韓共同声明は朝鮮全民族に対して日本の政府は反省をしたということに、いまの御答弁からすると明確に相なり得ると思うのです。

 そこでお尋ねをいたしますが、三・一独立運動、これはまさか暴動などとお考えになっていらっしゃらないと思うのです。これは明確に独立運動があったということを受けとめて考えていらっしゃると思います。

 もう一点、これは具体的に聞きますよ。抽象論言ったってしようがないのです。一九三九年から四五年に、少なくとも六十万人以上の朝鮮人が強制連行された。約五万人の中国人が強制連行された。この事実も、これはまあ逃げも隠れもできない事実だと思うのですが、これもやはり事実としてもちろん認識なさっていらっしゃいますね。いかがでございますか。

○橋本(恕)政府委員 御指摘のとおりに、戦時中朝鮮半島から、また中国大陸から当時はいわゆる労務者という形で日本本邦に連れてこられたという事実は確かにございます。そのことを強制連行というか、あるいは徴用令による日本への渡航というか、法律的なことは私は詳しくは存じませんが、少なくとも、この方々が喜んで日本に来たのではないということは、私は間違いなく言えることではなかろうか、かように考えております。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/096/0110/09607300110023c.html

1985 昭和六十年五月十六日(木曜日) 参議院 第102回国会 外務委員会 第11号 

コメント:「内務、厚生両次官通牒朝鮮労務者内地移住に関する件(1939.7.29)」と強制連行。c.f. http://blog.livedoor.jp/zatsu_blog/archives/50718504.html

下、年を間違えてる。

○抜山映子君 ひとつ縮減あるいは代替の方向で速やかに改善措置を考えていただきたいわけです。

 このような相互主義の観点とはまたもう一つ別の視点も必要なわけですね。すなわち、在日韓国人の問題で、一九六五年、法的地位協定による協定永住者については、日本定住に至った経緯が非常に歴史的に被害者であるという特殊な面があるわけです。一九四一年、もう皆様御存じなんですけれども、太平洋戦争の開始に当たって国家総動員法が施行された。それに基づいて労務動員計画が発表されて、この計画に基づいて、三九年の内務、厚生両次官通牒朝鮮労務者内地移住に関する件、こういう通牒に従って強制連行が始まったわけです。当初の一九三九年から四一年のころは募集方式でまだよかったんですが、一九四二年から四三年になりますと、官あっせん方式になる。さらに進んで一九四四年から四五年については徴用方式だということで、これはもうその名のとおり強制連行で日本に百万人を超える人が引っ張られてきた。私も地元の民団の方ともお話しする機会を得まして、この実際の徴用式で連れてこられた人は、いきなり、畑を耕しておったところが、どやどやと日本の官憲ですか、取り囲まれて、そしてお父さん、お母さんと泣きながら引っ張られていったという体験者の話も聞きました。こういう方たちが日本の講和を機に国籍が変動してしまった。今や二世、三世が生まれて、この人たちは日本語を話すというよりも日本語しか話せない。こういう特殊な人たちに対しては、私は相互主義とかそういう問題と離れて特殊の地位を当然考慮するのが人道的でもあり、日本の一つの申しわけないという気持ちのあかしにもなるんではないかと思うんですが、その点はいかがでしょう。

○説明員(川崎謙輔君) 我が国に在留する外国人でございましても、在日韓国人につきましては、ただいまお話がございましたような在留川に至った経緯あるいは日韓地位協定の精神など、その法的地位あるいは待遇については十分尊重をしていかなければならないものと理解いたしております。

1990年 平成二年六月二十日(水曜日) 第118回国会 法務委員会 第10号

コメント: 国家総動員法、国民徴用令としての強制連行

○小澤(克)委員 午前中の最後のところで、通産省を通じて本件土地上に多数の朝鮮人、韓国人の方が居住するに至った経過についてお尋ねしたのですけれども、その中でちょっとはっきりしなかったのですが、日本国際航空工業、すなわち現在の日産車体の認識としては、当時大倉土木というところに建設業を請け負わせていたということでございますが、この朝鮮人労働者の雇用主体がだれであったかというような形式的なことはともかくとして、本件飛行場建設工事に、これは発注者が当時の日本国際航空工業であったわけでしょうが、従事した方々が当時の日本国際航空工業の敷地内の飯場に多数居住し、そしてまさに飛行場建設業務に従事していた。そして、その方々が敗戦で事業廃止後そのままその飯場に残った。その後の人の入れかわり等は当然あったかもしれませんが、当初の発端としてはそういう事情であったということについては、このような認識を日産車体として持っておられるのでしょうか。もう一遍確認を願います。

○鈴木説明員 お答えいたします。

 大体先生のおっしゃったような認識だと思っております。

○小澤(克)委員 そこで、当時の日本国内における朝鮮人労働者の状態はどんなものであったかということについてお尋ねをしようかと思ったのですが、これについて十分答えられる官庁が今政府内には存在しないということだそうでございます。それ自体、いかに私ども日本政府が戦時中あるいは戦前も含めて、朝鮮の方々に対してどんな仕打ちをしたのかということについての認識が全く欠ける、あるいは知ろうとしないことの一つのあらわれではなかろうかと思うわけでございます。歴史に対してきちんと直面をし、歴史を知ることのない者は現状判断することもできませんし、ましてや将来についての展望を持つこともできないのは明らかでございます。今の日本の出発の原点となった戦前戦時中の我々日本人の行った行動については、やはりきちんとした歴史認識を持たなければならないのではないかと思うわけでございます。

 そこで、どこからも答えられないということでございますので、やむを得ず、私の方で若干知り得たところを、これは御報告の形になろうかと恩いますけれどもさせていただきたいと思います。

 もとより、私とて歴史的な認識は大変浅いわけでございますが、戦前において、特に朝鮮を日本の植民地とした日韓併合以後、大変な朝鮮人の労働者が日本国内に流入しているわけでございます。その原因については、二つぐらいの要因があろうかと思います。

 一つは、一九一〇年から一九一八年にかけて行われました土地調査事業。これは近代的所有権の確立を名目として行われたわけでございますけれども、この際に耕地の多くが国有地とされてしまった。前近代的な土地の利用関係を無理やり近代的所有権、使用収益処分のすべてを備えた全き権利としての近代的所有権に当てはめていくということはいろいろな無理が伴うわけでございまして、そういうことは日本国内でも恐らく明治初期にあったのだろうと思いますけれども、まさにこのようなことが朝鮮半島において行われた。そのために、多くの土地が国有地にされる。そしてまたその一方で、露骨な植民政策によって、例えば東洋拓殖株式会社の土地所有が短期間に極めて大きく増大している。また、大小の日本人の地主の

所有に帰する土地も増大した。そういった結果、結局朝鮮半島における自作農が土地を失い小作農になり、あるいは雇農になり転落し、そしてしかも、小作料が実に七〇%というようなまさに過酷な状況であったために多数の朝鮮人農民が離農せざるを得なかったというのが歴史的な一つの要因でございます。

 それからもう一つは、第一次大戦後、日本国内の諸産業が大変勃興いたしまして、そのために多くの労働需要を生じた。さらに、後に至っては強制連行というような、これは戦争によって国内の労働力が払底したことに起因するわけでございますけれども、そういった要因が重なって日本国内に多数の朝鮮人労働者が流入したというのが歴史的な事実でございます。

 どのくらいの方が流入したのかということについては余り調査も進んでないようでございますけれども、例えば坪江豊吉さんという方が、この方は公安調査庁などにおられた方のようですけれども、各種官庁資料によってまとめられた表がございます。これは「在日朝鮮人運動の概況」という出版物でございますが、一八八三年末には日本国内における朝鮮人労働者の人口はわずか十六名だったのが、一九〇九年末に七百九十名、二〇年末には四万七百五十五人、三〇年末には四十一万九千九人、三八年末には七十九万九千八百七十八人、四〇年末には百二十四万一千三百十五人、四四年末には百九十三万六千八百四十三人、四五年、終戦の年には二百三十六万五千二百六十三人。このように多数の朝鮮人が日本国内に流入しているという事実があるようでございます。この点について、日経連の専務理事をされました前田一さんの「特殊労務者の労務管理」という一九四三年に刊行された出版物によりますと、「欧州大戦勃発以降内地の産業は勃興し、事業界は未曽有の殷盛を告げ、労力の需要は頓に増かを来し、その結果内地労働者の吸収のみを以ては充分ならず、寧ろ内他人に比して賃金の低廉なる鮮人労務者を積極的に誘引するに如かずとする機運を醸成し」たといぅような記載があるのもその裏づけではなかろうかと思うわけであります。

 さらに、強制連行でございます。これは、今まさに日韓間でホットな問題となっているわけでございますけれども、これについても十分な調査がなされていないわけです。

 例えば、強制連行と俗に言っておりますが、これは法的根拠は国民徴用令でございまして、一九三八年の国家総動員法に基づいて翌年七月に発布されたのでございます。したがいまして、一九三八年、三九年ごろから行われました強制連行に関しては、敗戦までの七年間に百五十万を超える、この中にはサハリンに連行された四万三千人の方を含むようですけれども、このように普通に言われているようです。客観的な裏づけのある資料といたしまして、第八十六議会説明資料に基づきますと、一九三九年、五万三千百二十人、それから高等外事月報という公的資料によりますと、一九四一年に十二万六千九十二人、四二年には二十四万八千五百二十一人、四三年には三十万六百五十四人、さらに朝鮮経済統計要覧という公的出版物によりますと、一九四四年には三十七万九千七百四十七人のようでございます。合計百五十一万九千百四十二人がこの徴用令による強制連行の対象となったという資料もあるようでございます。

 そして、その朝鮮人労働者の当時の生活状態はどうであったか、これについてもきちんとした調査が残念ながらなされていないわけですけれども、一般的に言われていることは、いわば公知の事実であろうと思いますが、労働条件は極めて劣悪で、賃金は日本人の約半分というのが常識であったというふうに言われております、そして、さきに挙げました前田一さんの同じ書物の中で、「彼等」というのは朝鮮人労働者のことでございますが、「彼等は極めて僅かな収入を得るに過ぎなかったが、その生活費も亦想像以上に低廉なもので、おそらく人間としての最低限度の生活を維持して居るに過ぎない状態であった。住居は粗末で壁は落ち屋根は打ち辛うじて雨露を凌ぐ程度のもの、殊に食物の点に就いてはよくもあれで生存に必要な栄養が接種されるものかと疑われる程であり、食ふ分量は多いが、彼等は全く米と塩と野菜で生きて居る有様であった」こういう表現がある。これはある意味で率直な表現ではなかろうかと思うわけでございますが、こういった状況であったことは間違いのない史実のようでございます。たまたまけさの新聞を見ておりましたら、「松代大本営工事の朝鮮人労働者「千人以上が死亡」」、実際に徴用された経験を持つ韓国の方がそのような証言をソウルでされているというような記載がございます。

 いずれにしても、大変過酷な、およそ人間として最低限度の人格の尊重もなされないような労働あるいは生活があったのではないだろうかということは疑う余地のないところであろうかと思います。

 本件土地における朝鮮人労働者の生活についても他の例とほぼ同様であったと思うわけです。現に、このウトロ地区におられた、そして現在までおられるムンクァンジャさん、文光子と書くのですが九歳で日本に渡って、一九四一年、十九歳でウトロに来た方ですけれども、その方の証言によりますと、「ウトロでは男はモッコかついで一日十二~十四時間、ムチで働かされていた。女は飯炊きだから、朝五時の食事作るのに三時起き。」というような証言があるわけでございます。

 そしてまた、私自身が先般の調査で見たその飯場、ごく一部でございますが残っておりましたが、それはもう大変ひどいものでございまして、まさに掘っ立て小屋といいますか、屋根は片流れの屋根で、現在ではトタンぶき等になっておりましたが、当初はセメント袋のようなもので張ってあったそうでありまして、雨露をしのぐことすら不十分、飯場というよりもむしろテントに近いのではないかなという印象でございますが、そのようなところで起居していたということは間違いのないところのようでございます。現在では、私どもが調査した時点では、それぞれ皆さん自力で家を建て直しておられまして、中にはかなり立派なものもございますし、一応の水準にはなっているかなというふうに思いました。しかし、水道は実に一九八八年、一昨年になってやっと引かれたということのようでございます。まさに生存権が保障されていなかったということになろうかと思うわけでございます。

 こういう実情であったということを、今のところは質問というよりは報告になりましたけれども、ぜひ法務大臣初め御認識をいただきたいと思うわけであります。

 そして、このウトロ地区の朝鮮人の方々がたくさん居住していた土地が最近に至って売却をされるという事態が生じました。私の方で調査したところによりますと、二つ契約書がつくられておりまして、日産車体株式会社から許昌九という方に昭和六十二年三月九日付で四億円で売却されております。この方は日本名平山桝夫とおっしゃるそうです。そしてもう一つの契約書は、この平山さんから有限会社西日本殖産というところに昭和六十二年五月九日、最初の売買から二カ月後でございますが、今度は四億四千五百万円で売買をされているようです。なお、登記関係については、中間省略で日産車体から有限会社西日本殖産へと登記が移転しているようでございます。

 そこで、国土庁の方においでいただいていると思いますが、これら売買についての国土法上の届け出はどのようになっていましたでしょうか。

○大日向説明員 お答えいたします。

 御指摘の土地につきましては、県を通じて調査したところ、昭和六十一年十二月四日付で、譲渡人日産車体株式会社、譲受人平山桝夫を当事者とする国土利用計画法第二十三条の規定による届け出がなされまして、京都府において厳正に審査した結果、価格、利用目的、そういった面におきまして問題がないということでございまして、同法第二十四条第三項の規定により、昭和六十二年一月十三日付で、届け出当事者に対し勧告を行わない旨の通知を行っているという報告を受けていると

ころでございます。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/118/0080/11806200080010c.html

1992 平成4年4月7日 参議院 第123回国会 内閣委員会 第4号 

コメント:1942年の閣議決定に元ずく法的な”強制連行”「華人労務者内地移入に関する件」

 この二番にあります、中国人強制連行の問題についてだけ、それも中国東北部、いわゆる旧満洲地区などに中国大陸において強制連行、強制労働させられた例は今回はこれも除きまして、いろいろ除くのばかりでありますが除きまして、そして日本の国に強制連行された方が約四万人、この問題に限って一、二ちょっと例を挙げて確かめてみたいと思います。

 なお、そのほかの南京大虐殺の問題、七三一部隊の細菌兵器人体実験などの問題、毒ガス兵器の遺棄問題などについてもいろいろ資料を取り寄せて調べておりますので、今後順次取り上げていきたい、このように思っておるところでありますが、花岡事件について質問します。

 終戦直後の一九四五年、昭和二十年六月三十日、秋田県大館市の郊外で起きた事件である。日本政府は、戦争が激化する中で国内の労働力を補うためにおよそ百万人の朝鮮の人たちを強制連行し、さらに一九四二年、昭和十七年、東条内閣が閣議決定によっておよそ四万人の中国人を日本国内の百三十五の事業所に強制連行したのである。花岡事件はこのような中で、日本官憲や企業側の極度の拷問と虐待に反抗して、およそ七百人の中国人が蜂起した事件であります。そしてその結果四百十八人が死亡しました。彼らは、当時残虐行為を行った日本の企業に対して合計四十九億円の賠償と謝罪を要求しています。具体的には謝罪の要求というものは、この企業が行いましたので一応済んだかと思いますが、あと一人当たり五百万円の補償というものを要求し、また大館市と中国の北京市に、こういうことが二度と起きないようにという意味の記念館を建ててくれという三点の要求をしておるわけであります。

 これは、具体的には現在企業に対して中国の民間の団体がしておられるわけですから、これはこれでどういうふうに解決するかはそこの問題だと思いますけれども、我が国政府はこれにどういう関係があるのかどうかということをお聞きいたします。昭和十七年十一月二十七日、「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した、これは事実ですか。

○説明員(竹中繁雄君) 昭和十七年十一月二十七日、「華人労務者内地移入に関する件」という閣議決定がございました。

○翫正敏君 そうしますと、この強制連行の問題、中国人の強制連行、日本国への四万人の方だけの問題に絞って今取り上げているんですが、これについて現在中国の民間の人たちが団体をつくって、グループをつくって当該企業と交渉しておるというところでありますが、このことについて政府は傍観者であって、その様子を見ておればよいということでは済まないのではないか、日本政府に責任がある、こう私は思うんですけれども、どういうお考えでしょうか。官房長官お述べください。

○国務大臣(加藤紘一君) いわゆる昭和十七年の十一月二十七日の閣議決定のことでございますが、当時の国内の労働力不足を背景に中国人労働者の移入を目的として行われたものと思っております。この風議決定によれば、中国人労働者の移入は契約に基づいて行われることになっておりますが、当時の詳しい事情については今明らかではございません。この閣議決定を見てみますと、契約は二年であって、その後「二年経過後遺当の時期において希望により一時帰国せしむること」とか、それから「華人労務者の食事は米食とせず華人労務者の通常食を給するものとしこれが食糧の手当に付ては内地において特別の措置を講ずること」とか、「華人の慣習に急激なる変化を来さざる如く特に留意すること」ということなどがいろいろ書かれておりまして、この閣議決定そのものは移入されてきます中国人労務者の人に対してかなり配慮をした閣議決定になっております。

 しかし、当時どのような状況で、事実上どうであったかということにつきましては、終戦直前の話でございますので、なかなか詳しい事情はわかりません。ただし、当時の状況から、日本に来られた多くの中国人労務者が不幸な状態に陥ったことは事実であろうと思っております。

 また、花岡事件につきましては、今申しましたように、かなり不幸な状況にあったということにつきましては、政府として甚だ遺憾なことだと思っておりますが、いわゆる請求権等の問題につきましては、先ほど言いましたような政府の立場でございます。また、この事件については民間の訴訟事件として提起されておりますので、その流れを見ていきたいと思っております。

○翫正敏君 この事件だけではなくて、中国人強制連行というものは、極秘と判こを押してあります昭和十七年の閣議決定に基づいて行われたものである以上、政府に責任があるということをお認めになるかどうかが一点ですね。

 それからもう一点は、先ほど、民間の賠償請求額は中国の全人代の方に建議されておりますのでは千八百億ドルである、現在の日本円にして約二十四兆円であるということになっていますが、この額についてどういうふうに受けとめておられるか、これについて二点お答えください。

○国務大臣(加藤紘一君) 当時のいわゆる華人労務者、中国人労務者の移入に関しての状況がどういう事実関係であったかというのは、今具体的に明らかでございません。それが強制的に移動させられたんではないかという今の御指摘、そして、政府がそれについてどういう責任があるのかという御質問でございましたけれども、当時のこと、事実関係が明確でありませんので、なかなかコメントしにくいところだろうと思います。

 それから、いわゆる千八百億米ドルの訴訟の金額の高をどう思うかということでございますが、この童増という方が建議されております書き物、建議を見ましても、根拠がなかなかわかりにくい、そういうものは示されていないし、その数字についてはあえてコメントは申し上げないことにいたしたいと思います。

○翫正敏君 民間賠償と国家間の賠償を分けておられるというところに非常に厳密さがあると私は思うんですが、この建議を見まして。そういうものに基づいてさまざまな民間団体の要求や訴訟などが起こされている、こういうことだと思うので、そういうふうに分けているということの厳密さを、金額はさっきあなたお答えになったようによくわからないらしいが、そういうようなことをどう思われるかをお答えいただきたい。

 それから、強制連行の問題については、当時の事実関係が明確でないので今のところ明確な答弁はできないと、こう理解をしましたが、その場合、当然政府として事実関係をさらに詳細に調査をして責任が明らかであるということが明確になればその立場に立って対処すると、こう理解してよろしいか、二点をもう一度お伺いして、これで終わります。

○国務大臣(加藤紘一君) 戦争賠償責任と、それから中国人民と財産に対する賠償請求と、これを分けていることが条約上、法律上どういうことになるのか、ちょっときょう条約の専門の人間が来ておりませんので、いずれまたその際には申し上げさせていただきたいと思います。

 それから、先ほどの中国人労務者の強制移入という、連行とおっしゃいましたけれども、この問題につきましては、事実関係は明確でございませんが、いずれにしましても、個人の国に対する請求権というものは一九七二年の日中共同声明によって放棄されたものだと、それに対する外交保護権は放棄されたものだと思っております。

○翫正敏君 とにかく調査してください。事実関係を調査してください。これいいですか。先ほどは事実関係が明確でないということだったから、事実関係だけは調査してください。事実関係も調査しないということじゃないでしょう。

○国務大臣(加藤紘一君) いずれにしましても、当時の状況というのは終戦直前の混乱期でございますので、当時の詳しい事情についてはなかなか明らかにするのに困難なところがあると思います。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/123/1020/12304071020004a.html

1993 平成五年六月七日(月曜日)参議院 第126回国会 予算委員会 第19号

コメント:慰安施設と徴用朝鮮労働者(国家動員)の関係を問いただしている。

○清水澄子君 どうもありがとうございました。本当にその決断をお願いいたします。

 次に、今度は従軍慰安婦の問題ですけれども、政府はこれまで従軍慰安婦問題の真相解明の一環として現地での元従軍慰安婦からの聞き取り調査を表明されてまいりましたけれども、その進展状況、また聞き取りに当たっての基本姿勢、今後の見通しについてお聞かせいただきたいと思います。

○政府委員(谷野作太郎君) この問題は、ただいま外務省にお願いいたしまして、現地のソウルにおきまして大使館を通じて関係の先方の団体と打ち合わせを始めております。従来必ずしも意思疎通が十分でなかったこともございまして、具体的にヒアリングに至りますまでにいろいろ詰めなければならない段取り、やり方等がございますので、ただいま鋭意その辺を先方の団体とお話し合いを始めたところでございます。いま少しくお時間をいただきたいと思います。

○清水澄子君 ぜひその調査に当たりましては、相手方にも真相究明への協力を願って、一人一人にやはり謝罪の意味を込めて当たるということをしていただきたいと思います。そしてまた、現地の関係団体の要望を酌み取った調査をしていただきたいと要望しておきます。

 同時に、この調査は一回であるわけですから、韓国政府も要求しておりますように、真相究明というのはもっと長期的な計画を立てて、もっと民間の歴史学者や協力者の協力を求めながら計画をしていただきたい。そしてまた、韓国だけではなくてフィリピンやその他の地域へも同様の聞き取りをしていただきたいと思いますが、そのような御計画はおありでしょうか、御意思はおありでしょうか、お聞かせください。

○国務大臣(河野洋平君) まず、韓国以外の国の元慰安婦の方からの聞き取り調査については、我が国と先方との関係、各地域の実情、相手方の意向などを考慮しなければならない点がいろいろとありまして、日韓関係、韓国の従軍慰安婦の問題につきましては先ほど政府委員が御答弁申し上げましたように、各方面いろいろな方々の御努力もございまして相手方の意向などもかなりわかってまいりましたが、韓国以外の国についてはまだもう少し相手方の意向その他確認をしなければならない点がございまして慎重に検討しているところでございます。

 韓国の元慰安婦の方々からの聞き取り調査につきましては、先ほど政府委員が御答弁申し上げたとおりでございまして、関係団体から種々の要望が寄せられてきておりますことを承知いたしておりますが、お話をお伺いするにはそれなりのしかるべき環境も必要かと存じます。清水委員にはいろいろと御努力もいただいておることを承知しておりますが、そうしたしかるべき環境のもとで早期に調査が実施できるよう努力をいたしたいと、こう考えております。

○清水澄子君 ぜひ関係団体の意見などを酌み上げていただきたいと思います。

 次に、最近、第二次世界大戦の末期に国内の労働力不足を補うために日本政府が閣議決定を行って中国人約四万人を強制連行してきたという、こういう外務省が調査をした資料がNHKのニュースで報道をされておりました。敗戦の翌年、昭和二十一年に外務省がいわゆる強制連行中国人労働者を使った全国の百三十五の事業所の調査を実施した記録の原本が出てきたわけです。そして、それをもとにしたいわゆる外務省報告書というものが東京華僑総会に保管されていることが明らかになりました。

 私は、きょうは時間がありませんので余り深く聞けませんが、事実関係を中心にお聞きしたいんですけれども、先日、私は内閣外政審議室に、外務省が昭和二十一年一月二十六日にその調査を指示したこの高裁案、つまり決裁文書、これがアメリカの公文書館から出てまいりました。これに、だれがいつやって幾らの手当を払っているか全部出ているわけですけれども、これは外務省の決裁文書であるということを御確認できますでしょうか。

○政府委員(池田維君) ただいま御指摘のありました本件資料が外務省のものであるかどうか、直ちにお答えすることは困難ではございますけれども、誠意を持って現在調査いたしております。

 他方、当時関係しておりました者の証言等によりますと、当時外務省がこのような調査を行ったということは事実でございましてそういう意味からいいましてかなり蓋然性の高いものだというように思っておりますが、いずれにしましても、調査を行っているということでございます。

○清水澄子君 それは事実です。余りそう回りくどくおっしゃらないで、やはりこういうものは率直に私は認めていったらいいと思います。

 この調査報告は正確には外務省報告とその百三十五の事業所報告と一体になったものですけれども、私はきょうここにその事業所の、ようやく出てきました、外務省が焼却を命じた、これが全部中に出てきていますね。こういうものをちゃんと私は借りてここに持参をしてきているわけでございます。本当に今までこれが幻のものと言われたり、いろんなところでこの実態が報告されていたんですけれども明らかにされませんでしたが、この中身を読みますと、日本軍による中国人へのいわゆる労工狩りとかウサギ狩り、または船底に閉じ込めて、またはふたのない貨車に乗せて日本に輸送してきた悲惨な状況とか、炭鉱での残虐な酷使、そういう実態がすべてこういう中に本当に克明に書かれております。

 例えば、ここにあります三菱鉱業大夕張の調査原本によりますと、日本に上陸した中国人労働者二百九十二名中、もう次々と死亡されて二九%が最後の調査のときには死亡しているわけです。中には撲殺という死因すら、この中に全部書かれております。そして、これを外務省が調査をした項目が全部ここに書いて、それが一つずつこの中に入っております。

 そしてまた、一九六四年に中国人の皆さんまたは日本人の皆さんと一緒に中国人殉難者の名簿を作成した実行委員会の報告書をずっと見ましても、同じような虐待の実態があるわけです。その中には、本当にトンネルとかそれから土建労働、そこで酷使された中でどのようにひどい酷使をされたかということがもう次々と出てまいりまして、そしてもうほとんど死亡は栄養失調ということが書かれているわけです。それらの中に憲兵とか特高警察、そういう者の名前が具体的に出てまいります。そして、現場管理者は絶えずけん銃とか日本刀、そして棒やつるはしを持って振る舞ってきたということが記録に残っているわけです。

 ですから、これは大変な中国人に対して行った日本の虐待の行為という歴史の事実というものはこれまで何回もこういう国会で問題になっていました。例えば、六〇年には自民党の平野三郎元議員がやはり政府に対してそういう質問主意書を出しておりますし、社会党の田中稔男議員も国会で質問しております。

 今、池田局長が事実がまだございませんと最初おっしゃったように、そういうことで非常に確認を拒んでこられたわけですけれども、それはもう今や戦後四十七年もたち、そして敗戦五十年を迎えるというこの時期に今こういうふうな事実が新たに出てきたわけですから、私は、総理はこのような事実が第二次世界大戦の末期において我が国にあったということをお認めになられるかどうか、ぜひ御返答いただきたいと思います。そして、その亡くなられた方々、またはその犠牲者の遺族に対してこの場でやはり謝罪を表明する意思がおありかどうか、このことについてお答えいただきたいと思います。

○国務大臣(宮澤喜一君) ただいま政府委員がお答えを申し上げましたとおり、ただいま政府が調査をいたしておるところではありますけれども、真実であるという蓋然性が高いというふうにお答えを申し上げました。

 そのお答えに基づいて申し上げますならば、当時多くの中国人の労務者が中国より連れてこられて極めて不幸な状況に陥ったということは否定できないと考えられます。戦時という異常な状況ではありましょうけれども、多くの中国の人々に耐えがたい苦しみを与えたことは極めて遺憾なことであったと、こう申し上げます。

○清水澄子君 私たちは、国民の総意として、こういう歴史の事実に光を当てながら、その反省をやっぱり厳しくとらえなければならないと思うわけです。その意味におきましても、もうここにはっきりこういう政府の手による調査報告の所在が明らかになったわけですから、これは慰安婦問題と同様に、総理のもとで外政審議室できちんと調査をして、そして国会及び国民に明らかにしていただきたいと私は思うわけです。

 そしてまた、河野官房長官も九〇年六月の毎日新聞では、「日本は過去の罪に充当てよ」という文章を寄稿していらっしゃいますけれども、私どもも全く同感なんです。そして、こういうふうに私たち日本が過去に犯した過ちを私たち自身の手で今これを明らかにしながら、そしてこれからの若い人たちを含めて日本が二度とこういうことを繰り返さないというそのあかしをここにつくっていくべきだと思いますので、政府は、東京華僑総会に保管されているこういう一連の資料を調査して、ぜひこの全容を改めて国会に報告することを約束していただきたいと思います。

○国務大臣(河野洋平君) 外務省から御答弁すべきであるかもしれませんが、私からも、清水委員今御指摘のとおり、我が国の歴史的事実について正しい調査が行われて正しい歴史に対する認識を持つということが何よりも必要なことだと考えておりますので、先ほど政府委員が御答弁申し上げましたように、本件の資料の調査につきましては誠心誠意これを行いたい、こう考えております。

○清水澄子君 国会で報告していただけますか。

○政府委員(池田維君) 当該資料につきましては先週末に入手をいたしました。それで誠心誠意私ども調査を行っておりますので、いずれ結果が明らかになりましたら適切な形で御報告申し上げたいと思っております。

○清水澄子君 私は、この資料を全部はとても読めませんけれども、こういうものの中をずっとこの二、三日読んでおりました。そうしますと、この中で、今まで私どもは、例えば従軍慰安婦の問題の調査に当たりましても、なぜ日本では、日本というより外政審議室に警察関係の資料が一部も出ていないのかということをいつも疑問に質問をしてまいりましたけれども、こういう資料を見ますと、この中にはっきり警察、特に特高警察関係の資料が非常に明快に、その担当警察官の氏名とかいろいろな記載が見られるわけです。ですから、今後ぜひ慰安婦問題の調査に当たりましても、旧内務省の特高警察関係部局の集めたそういう資料というものについてぜひ調査をしていただきたい、こういうことを私はお願いしたいわけでございますが、いかがですか。

○政府委員(谷野作太郎君) 従軍慰安婦の問題につきましては、私どもの方から関係省庁にお願いしておりまして、関係省庁におかれましても今日までのところ誠実に御対応いただいておると思っております。

 ただいまお示しの具体的な資料につきましては、外務省の方で今入手に努め、その上で整理が行われるでございましょうから、私どもはそれを拝見させていただきまして、その上で今のお話のポイントにつきまして対応ぶりを検討してみたいと思っております。

○清水澄子君 なお、この百三十五事業所の調査原本の中には、朝鮮人女性がいたと思われる特殊慰安施設というのが書かれております。そして、

そこにやっぱり徴用されてきたと思われる朝鮮人労働者に関することが触れられております。ですから、当時の国内における朝鮮人女性による特殊慰安施設というものがずっと一緒に並んでいるわけですけれども、それらと徴用朝鮮人労働者に関する事実関係についてもあわせて御調査いただきたいと私は思いますが、いかがでしょうか。

○政府委員(池田維君) 全部あわせて徹底的に調査したいと思います。

○清水澄子君 やはり日本の景気対策といっても、私たちは自分たちの国の景気対策、不景気になると大変心配なことですけれども、しかしそれとあわせて、やっぱり今までの日本の過去の清算もきちんとしていかなければ日本が対外的な信用を得られるということに欠けてくると思うわけです。ですから、そういう問題について、きょうもその点を私はあえて今やらなければならないこととして御質問いたしました。

 今申し上げたように、第二次世界大戦におけるたくさんの中国人の強制連行とか従軍慰安婦とか徴用朝鮮人労働者の問題などがまだ清算されていないということが、いろいろなところで絶えず絶えず出てくるわけでございます。こうした中で、やはりこれらの問題を私たちがどう本当に正しい歴史認識をするかということを絶えず申し上げ、政府の方もそのつもりでおりますとおっしゃっているわけでございますが、今回、厚生省は、戦後日本で初めてといいましょうか、国費百二十三億円をもって戦没者追悼平和祈念館の建設計画を進めておられます。

 そこで私は、厚生大臣にお尋ねをしたいわけでございますけれども、この平和祈念館というのは、やっぱり第一に日本の過去の歴史の空白を埋めていく、そして歴史の真実に触れながらさらに国際的な評価にたえ得る、そういう祈念館としてのあり方、そしてそこにはそういう資料も集められ展示もされ、そして広く情報の提供を行い得るものでなければならないと思いますけれども、その点はいかがでございますか。

○国務大臣(丹羽雄哉君) 戦没者追悼平和祈念館でございますが、ことしじゅうにも一部着工の運びでございます。さきの大戦におきましての資料、情報をできるだけ正確に集めまして、日本国民の変わらぬ平和への誓い、願い、こういうものを国の内外に訴えることを目指しておりますけれども、具体的な内容につきましては、今後、有識者から成ります委員会を設置いたしましてその場で検討を進めていきたい、こう考えているような次第であります。

○清水澄

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