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日常生活では、どんな店屋の主人でもしごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるのかということを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思い描いた言葉どおりに信じ込んでいるのである。    『ドイツ・イデオロギー』

私家版・従軍慰安婦問題のリンク集(2008・8)

070725

[] 歴史修正主義者のメソドロジー 19:14 はてなブックマーク -  歴史修正主義者のメソドロジー - kmiura  歴史修正主義者のメソドロジー - kmiura のブックマークコメント

ところで、史実を広義と狭義にわけて否定する手口は、歴史修正主義の常套手段でもある。欧米社会では、いわゆる「ホロコースト否定」派との論争で、これとの闘いの体験を積み重ねており、一切通用しない恥ずべき、特にドイツでは犯罪のレトリックとして排除される。「広義の強制連行はあっても、狭義の官憲による直接の強制連行の資料はない」とする政府答弁書の立場は、九二年のドイツ連邦政府の議会における答弁「ナチスによるユダヤ人虐殺はあっても、証明されている歴史事実であるガス室での大量虐殺は、命令書など証拠が発見されないため無かったなどとするのが狭義の修正主義である」との定義にそのまま当てはまっている。したがって一六日の政府答弁は安倍内閣が歴史修正主義の立場を採ることを閣議決定で表明したことになる。撤回する以外に、国際社会ではいかなる弁明の余地もないことを知るべきである。

天日下の涸轍の鮒 梶村太一郎> 季刊『中帰連』40号 2007年3月 より。

”歴史修正主義者とは”というキーワードを編集するのはいいかもしれない。やっしゃんさんの2007年7月24日エントリー「政府が否定できない日本軍による強制連行」経由。

[][][] スマラン慰安所事件(白馬事件)の”修正” 21:35 はてなブックマーク -  スマラン慰安所事件(白馬事件)の”修正” - kmiura  スマラン慰安所事件(白馬事件)の”修正” - kmiura のブックマークコメント

なお、上記の文は、オランダ人の強制連行、スマラン事件に関する記事。筆者の梶村さんは大元の資料を日本語に翻訳した人である。次の部分も強調されてしかるべきだろう。

ここでの「直ちに処分された」とは、東京の陸軍省俘虜管理部の小田島大佐が抑留所視察の際、たまたま娘を強制連行された親から事実を知らされ、慰安所閉鎖処置を命令したことを示すが、それだけである。このことは軍が強制連行と強制売春が違法であることを承知しており、「強制連行があった」ことの証拠にはなっても、決して「強制連行がなかったことを示す」ものではない。事実は、陸軍刑法で禁止されている強姦罪などで処罰されるべきであったのに、日本軍による関係者の処分は一切無かったのである。処罰はオランダの軍法会議で行なわれたのであった*1

(※スマラン事件では、日本軍は関係者の処罰を一切行なわなかったうえ、犯行を計画実行した能崎清次少将*2((能崎清次に対する本件のバタビア臨時軍法会議の求刑は死刑。判決は懲役12年))を中将に昇進させ、敗戦直前には勲一等瑞宝章を授与しています。)

なぜならば、この事件の日本側当事者は「処罰された」という虚言が跋扈しているからである。最近の例では、ワシントンポストに掲載された広告の”事実”。

FACT 3

There were admittedly cases, though, of breakdowns in discipline. On the island of Semarang in the Dutch East Indies (now Indonesia), for instance, an army unit forcibly rounded up a group of young Dutch women to work at a "comfort Station." The station was shut down under army orders, though, when this incident came to light, and the responsible officers were punished. Those involved in this and other war crimes were subsequently tried in Dutch courts and received heavy sentences, including the death penalty.

事実3

しかしながら、規律違反の例があったことも確かである。例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)のスマランでは、一陸軍部隊がオランダ人若い女性の一団を強制的に拉致し「慰安所」で働かせていた。

しかし、この事件が明らかになった時点で、この慰安所は軍の命令により閉鎖され、責任のある将校は処罰された。これらの戦争犯罪に関与した者はその後オランダ法廷で裁判にかけられ、死刑を含む重い判決を受けた。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/25/15

太字部が嘘である。「日本軍部は能崎清次少将を処罰しなかった。あまつさえ、勲章まで与えた」。

山木さんのブログにもエントリーがある。

軍による強制連行はあった 公文書編(1) http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070403/p1

1992年8月30日、裁判資料を入手した「朝日新聞」が詳しく報道しています。またオランダ政府は94年1月24日、資料調査に基いて「日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告書」*3と題する報告書を発表しました。

それによれば事件は1944年2月、オランダ領東インド(インドネシア)で起りました。民間人抑留所のオランダ人女性が、南方軍幹部候補生隊によって、スマランの慰安所に強制連行され性暴力を受けたのです。

44年4月、自分の娘を連行されたオランダ人抑留所リーダーが、陸軍省から捕虜調査に来た小田島董大佐に直訴しました。この事件はすでにオランダ本国にも伝わっており、国際世論の反発を恐れた陸軍省や軍司令部は、やむなく2ヶ月でこの慰安所を閉鎖しました。

しかし強制連行の事実が陸軍省まで伝わったのにもかかわらず、事件関係者は誰一人として処罰されませんでした。それどころか能崎清次少将は、事件が発覚し慰安所が閉鎖された後、1945年3月に陸軍中将に昇格し、第152師団長になっています。

(中略)

余談ですが、スマラン慰安所事件に関して産経新聞が「日本軍上層部の方針に逆らった末端の将兵が勝手に連行し」などという駄文を掲載しています。(産経新聞)

少将・大佐・少佐のどこが「末端の将兵」でしょうか。

このエントリーは、バタビア臨時軍法会議の判決、懲役などについての詳しいテーブルが付されている。

同じく山木さんによるこちらもどうぞ。

天につば吐く「慰安婦強制否定」広告

http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070622/p1

セマラン慰安婦事件・被害者の証言

米国・ワシントンの米連邦議会下院外交委員会アジア・太平洋・地球環境小委員会の公聴会

戦時中、旧オランダ領・インドネシアのジャワ島で、日本軍によって「従軍慰安婦」とされたオランダ人女性(現在オーストラリア在住)、ジャン・ラフ・オヘルンさん(84歳)さん

2007年2月15日の証言

http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/02/for_the_record_c3ca.html

修正主義者によるスマラン慰安婦事件に関する解釈

典型的な例をいくつか

(1)「オランダによる軍法会議であり、事件・犯人はでっちあげ」

たとえばこちら。”スマラン慰安婦事件そのものが我が国を裁くために作られた可能性”という意見。

http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/essays/essays04.html

→ 一般的に戦勝国の裁判に偏りがある可能性は否定できないが、この件における”でっちあげ”の根拠は実に薄弱である。

(2)「オランダ人の慰安婦には自発的な志願者が多くいた」

→”性奴隷ではなかった、ただの売春婦”という意見によくみられる傾向と同様である。自発的な志願者がいたからスマラン事件がなかった、という結論は、自発的に風俗店ではたらく女性がいるから目下の日本で人身売買は行われていない、と結論するのと同程度にお花畑である。

(3)「スマランの首謀者は能崎少将では実はなく、別の人間が帝国陸軍によって処罰されたのではないか。」

こちらの本文・コメント欄とか。

http://ameblo.jp/disclo/entry-10037635939.html

→ 処罰されたという記録をそもそもみかけない。歴史、というよりも創作御伽噺。しかしこのおとぎ話がいつのまにやらアップグレードして”事実”とあいなったわけである。

[] 言及する時間ないんでクリップだけ 22:10 はてなブックマーク -  言及する時間ないんでクリップだけ - kmiura  言及する時間ないんでクリップだけ - kmiura のブックマークコメント

スマラン事件は認めるが、”強制連行”を否定する例。

http://skbskbskb.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html

→ 勅令がみつかるまで、強制はなかった、という解釈を可能にする論理構造。「うちのはねっかえりがとんだ迷惑をかけまして」である。

07年11月30日追記

同様に、”国・軍の命令ではない”とするもの。

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/81.html

→ 以下引用

1944年4月に軍司令部が慰安所を閉鎖させています。ということは、「当初、軍は強制連行そのもの知らなかった」という事になり、「『国家・軍の命令』によって強制連行したわけではない」という事の証明になります。

スマラン地区警備司令官である能崎少将が強制連行したのに、「軍ではない」。繰り返すが、だとしたらとはなんなのか。あるいはこれまた空気のようなもの、とでもいいたいのか。


米下院で証言した慰安婦達のおはなし

http://tech.heteml.jp/2007/03/post_914.html

→ 「懐疑する自分」を懐疑できない人。

[][][] 吉見義明「『強制』の史実を否定することは許されない」『世界』07/05 22:00 はてなブックマーク -  吉見義明「『強制』の史実を否定することは許されない」『世界』07/05 - kmiura  吉見義明「『強制』の史実を否定することは許されない」『世界』07/05 - kmiura のブックマークコメント

安倍首相が否定している『官憲による暴力的拉致(略取)』についても裁判で争われています。たとえば山西省の事例は明らかに、日本軍、あるいはその下にいる中国人警備隊が、村から女性たちを暴力的に拉致し、監禁してレイプするというケースです。石田米子氏などの現地調査によって、被害者や村人の証言が集積され、事実関係が固められていっています(『黄土の村の性暴力』創土社)。裁判では請求は棄却されていますが、被害者たちが受けた被害状況は、『官憲による暴力的拉致』の事例も含め、事実認定が行なわれています。/フィリピン『慰安婦』裁判のケースも、そのほとんどは日本軍が拉致して監禁・レイプするというケースです。日本軍と住民との間の対立が激しくなっている状況下で軍による略取事件が起きていることが、共通しています。/河野談話が出た後の一九九四年一月二四日、オランダ政府による調査報告書が公表されています(「日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」)。そこでは、軍や官憲による暴力的拉致のケースが、未遂を含めて少なくとも八件、具体的に記録されています。報告書が『強制売春のもっとも悪名高い事例』として挙げているマゲランとスマランだけではなく、ボウドウオソでも、日本軍や官憲が直接、女性を暴力的に拉致して監禁・レイプしたことが明らかにされています。スマラン慰安所事件はBC級戦犯裁判で有罪になり、最高で死刑の判決が出されたことはよく知られています。なお、このケースでは、慰安所は約二ヶ月で閉鎖され、責任者は処罰されているので問題ではないという議論が一部にありますが、日本軍は責任者を処罰していません。処罰したのはオランダで、それは戦後のことです。また、スマランでは、これとは別に多くの女性が拘束され、その中から約二〇名がスラバヤに送られ、そのうち一七名がフローレス島に送られています。/東京裁判でも『慰安婦』問題は取り上げられ、事実認定もされています。特に中国の桂林で日本軍が女性たちをだまして慰安所に連行した事例は判決文でも引用されています。インドネシアやチモールでは、軍による略取に当たる事例が証拠書類として採用されています。……/一九九六年一二月には、警察大学校に保存されていた資料が公開されています。ここには、第二一軍司令部が慰安所をつくるという決定を行い、内務省に四〇〇名、台湾総督府に三〇〇名の女性を集めてほしいと要請した経過を示す資料が含まれています。当時、日本政府は海外で売春を行なっている女性を廃業させて国内に戻す方針を採ってきていたので、その方針にまったく反する軍の要請に内務省は困惑したものと思われますが、断ることはできず、業者を選定して、女性たちを送り出しています。……/以上の研究成果を踏まえるならば、もはや、いわゆる『狭義の強制』、『官憲による暴力的拉致(略取)』がなかったと言い募ることは不可能です

http://blog.livedoor.jp/takas/archives/51536448.html

*1:引用者注:この裁判における証言の記録の一部はゼームス槇さんによる日本語の概略がこちら→ http://zeimusmaki.iza.ne.jp/blog/entry/231007/ 英語ではこちら。→http://www.kinyobi.co.jp/MiscPages/comfort_women

*2:引用者注:以下永井先生の指摘です。能崎清次は事件当時少将。南方軍幹部候補生隊長で、スマラン地区の警備司令官を兼任。事件後の1944年6月に独立混成第56旅団長(ボルネオ)となり、1945年3月に中将に昇進、同年4月に第152師団長(千葉に配備)。

*3:"Gedwongen prostitutie van Nederlandse vrouwen in voormalig Nederlands-Indië"

nagaikazunagaikazu2007/07/25 20:10kmiuraさん

 能崎清次は事件当時少将です。南方軍幹部候補生隊長で、スマラン地区の警備司令官を兼任していました。事件後の1944年6月に独立混成第56旅団長(ボルネオ)となり、1945年3月に中将に昇進し、同年4月に第152師団長(千葉に配備)になっています。

kmiurakmiura2007/07/25 20:21ありがとうございます。訂正を付け加えます。

否定派否定派2007/12/01 22:52「少将の意思決定」というのが「軍全体の方針」を包含しているのですか?
あくまで、意思決定の影響範囲が「少将」という身分にとどまる以上、
それを「軍全体の方針」などと誇張・昇華できません。
したがって、あなたの意見は間違っています。

kmiurakmiura2007/12/02 10:54「軍全体の方針」の主体の定義をしてください。よろしくお願いします。

名無し名無し2009/03/08 00:55白馬事件が個人犯罪ではなく国家犯罪だと立証するためには以下の手順を踏まなければならないと思います。
1、「公権力の執行Xを原因として白馬事件の発生という結果が起こった」という因果関係の証明。
2、「X以外の行為を行うことができた」という証明
3、「Xをしなかったら白馬事件は起こらなかった」という証明
4、「『Xをしたにもかかわらず白馬事件が起こらない』ということはありえない」という証明
参考文献:大庭健『「責任」ってなに?』84ページ