心理戦尋問報告第二号

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心理戦尋問報告第二号

South-East Asia Translation and Interrogation Center (SEATIC), Psychological Warfare Interrogation Bulletin,No.2のこと。ビルマ・ミッチナにおける慰安所の楼主夫婦二名と慰安婦二十名にたいする尋問(日本人捕虜尋問報告書第49号の内容も含む)のレポート。ビルマ・ミッチナの慰安所に関して日本人捕虜尋問報告書第49号よりも多くの報告からまとめられている。

ソース

題: 東南アジア翻訳尋問センター(SEATIC)心理戦尋問報告 第二号

日時: 一九四四年一一月三〇日

著者: 東南アジア翻訳尋問センター監督官 アメリカ陸軍歩兵大佐 アレンダー・スウィフト

和訳: 吉見義明『従軍慰安婦資料集』(大月書店1992/11/27 isbn:4272520253) p.453


解説

  • 吉見義明による「従軍慰安婦と日本国家 第8章ビルマにおける慰安婦・慰安所」『従軍慰安婦資料集』p77-79を参照せよ。
  • 報告書に登場するコードネームM739(慰安所楼主)は”キタムラエイブン”という人間であることが判明している。1997年に”キタムラエイブン”は取材をうけ、その内容は公表されている。キーワード"Japanese Prisoner of War Interrogation Report No. 49."の関連取材記録の項を参照せよ。

和訳(一部)

以下資料の一部を掲載した国立でむぱ研究室櫻分室より転記。参照元は吉見義明『従軍慰安婦資料集』とのこと。

http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070512#p1

p458

9 前線地域における日本軍慰安所

以下の記述は,CSDIS(I)において行われたM739の尋問,ならびに戦時情報局によりレド捕虜収容所において行われた朝鮮人「慰安婦」(20名)にたいする尋問(1944年9月21日付報告)に基づくものである.

情報提供者

1944年8月10日,ワインマウ付近において妻および20名の陸軍慰安婦とともに捕虜となった民間人の慰安所経営者M739.

M739と妻と義姉(妹)は,朝鮮の京城で料理店経営者としてかなりのお金を稼いでいたが,商売が不振に陥ったため,より多くの金を儲ける機会を求めて,朝鮮からビルマへ「慰安婦」を引き連れて行く許可を京城の陸軍司令部に申請した. この捕虜の言によれば,その示唆は陸軍司令部から出たもので,朝鮮に在住する何人かの同じような日本人「実業家」に打診された.

M739は,朝鮮人未婚女性22人を買い受けたが,彼女らの両親に対する支払額は,それぞれの性格,容貌,年齢に応じて300円から1000円であった. これら22名の女性の年齢は,19歳から31歳であった. 彼女たちは,この捕虜の独占財産となったのであり,軍は彼女たちの人身売買からは何らの利益も得なかった. 朝鮮軍司令部は,日本陸軍のあらゆる司令部宛ての書面を彼に渡したが,それは輸送,食料の支給,医療など,彼が必要とするかもしれないすべての援助を差しの

p459

べるよう,各司令部に要請するものであった.

M739とその妻は,料理店の経営を義姉(妹)に委ねたうえで,1942年7月10日,買い受けた女性22名を引き連れ,703名の女性(すべて朝鮮人)と90名ほどの日本人男女(ほからなぬ彼と同じように人格低劣な連中)の一行で釜山を出航した. 彼らは,7隻の護送船団を組み,4000トンの客船で航行した. 無料の渡航券が軍司令部から提供されたが,渡航中のすべての食事の代金はこの捕虜が支払った. 彼らは台湾とシンガポールに寄港し,台湾ではシンガポールへ向かう女性が新たに22名乗船し,シンガポールで全員が別の船に乗り換え,1942年8月20 日にラングーンに到着した.