マンダレー駐屯地慰安所規定

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マンダレー駐屯地慰安所規定

昭和18年5月26日付けの、ビルマ・マンダレーにおける慰安所の規定を記した日本軍司令部の書類。

 資料へのアクセス

『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第4巻

http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_4.pdf

PDFのp245-256(『関係資料集成』のページ番号ではp281-293)

 原文 (スキャン画像から)

(表紙)

駐屯地慰安所規定

昭和十八年五月二十六日

「マンダレー」駐屯地司令部

(他に、ページ上部に、「部隊長 佐田」、「副官 山田」の印、右下に「串尾」の印が判読可)

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目次

第一章 総則

第二章 経営

第三章 衛生

第四章 雑則及其ノ他

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駐屯地慰安所ニ関スル規定

第一章 総則

第一条

本規定ハ駐屯地慰安所ニ関スル必要ナル事項ヲ規定ス

第二条

慰安所ハ日本軍人軍属ニ於テ使用スルヲ本則トスルモ軍人軍属ノ使用ニ支障ヲ与エサル限度ニ於テ左記ノ各項ヲ厳守ノ上当分ノ中「マンダレー」在住ノ日本人ハ二四・三0以降ニ限リ特ニ登楼ヲ許可ス 従ツテ二四・三0以前ニ於ル立入リハ之ヲ厳禁ス

左記

1、軍人軍属ノ遊興ヲ妨害セサルコト

2、規則ニ違反シ又ハ風紀ヲ紊スカ如キ行為ヲナササルコト

3、登楼時刻以前ニ於ケル予約ヲ厳禁ス

4、料金ハ全テ将校ノ額トス

5、前各項ニ違背セル者ニ対シテハ許可証ヲ引上ケ爾後立入ヲ禁止スル外其ノ行為ノ如何ニ拠リテハ其ノ商社ハモトヨリ日本人全部ヲ禁止スルコトアルへシ 但シ奥地等ヨリノ来縵者(*1)ニシテ右ノ時間以降ニ登楼シ得サル特別ノ事情アルモノニ限リ日本人会長(*2)ハ自己ノ責任ヲ以テ其ノ都度予定時間資格氏名等ヲ記入セル証明書ヲ本人ニ交付シ之ヲ楼主ニ明示スルニ依リ開業時間内適宜登楼スルコトヲ得

第三条

本規定ニ将校トアルハ准士官、見習士官及高等文官(*3)同待遇嘱託ニ又下士官トアルハ判任文官同待遇嘱託同雇員ニ兵トアルハ待遇ヲ定メサル嘱託同雇員及傭人ニ適用ス

第四条

慰安所ニ於ケル軍紀風紀及非違行為ノ取締リハ巡察将校又ハ駐屯地司令部娯楽係将校下士官ヲ以ツテ行フヲ本則トス

第五条

慰安所使用日ハ下士官兵ニアリテハ各隊外出日トス

第六条

慰安所ニ出入スル下士官兵ハ外出証ヲ有スルモノニ限リ且ツ部隊ノ規定セル部隊標識及階級章ヲ附スルモノトシ慰安所内ニ掲示シアル注意事項ヲ厳守スルモノトス

第七条

慰安所ニ於テ営業者又ハ慰安婦ヨリ不当ノ取扱ヲ受ケルカ或ハ金銭等ノ強要ヲ受ケタル場合ハ直チニ其ノ旨ヲ所属隊長ヲ経テ駐屯地司令部ニ報告スルモノトシ如何ナル場合ト雖モ殴打暴行等ノ所為アルヘカラス

第八条

慰安所内ニ於テ規定ヲ履行セサル者ハ直チニ其ノ使用ヲ禁止スルノミナラス駐屯地会報ヲ以テ一般ニ告知シ要スレハ当該部隊ノ使用ヲ一時停止スルコトアリ

第二章 経営

第九条 

慰安所ニ於ケル料金ハ軍ノ定ムル軍票ニ依ルモノトシ其ノ他ノ物品ヲ以テナスコトヲ得ス

第十条

慰安所ノ使用時間及ヒ料金ハ別紙第一ニ拠ルモ状況ニ依リ変更スルコトアリ

第十一条

慰安所経営者ハ各慰安婦室ノ入口並ニ見易キ箇所ニ木札ヲ以テ慰安婦ノ藝名及合不合格ヲ掲示シ置クモノトス

第十二条

設備費及患者ノ治療費ハ総テ経営者ノ負担トスルモ営繕ニ関スル簡単ナル設備ハ軍ニ於テ実施スルコトアリ

第十三条

経営者ハ其ノ月ノ売上高ヲ翌月五日迄ニ別紙第二ノ様式ニ拠リ駐屯地司令部ニ提出スルモノトス

第十四条

貨物廠等ヨリ交付ヲ受クヘキ調味品類其ノ他ノ必需品ハ所要一ヶ月前ニ駐屯地司令部ニ請求スルモノトス

第三章  衛生

第十五条

慰安所ニハ必ス消毒所ヲ経営者ニ依リ設置スルモノトス

第十六条

消毒所ノ消毒設備ハ灌水器ニ一万倍ノ過マンガン液ヲ満タシ置クモノトス

第十七条

「サック」(星秘膏)ヲ使用セサル者ハ遊興セシメサルモノトス

第十八条

遊興者及其ノ相方ハ毎回消毒所ニ於テ確実ニ消毒ヲ行フモノトス

第十九条

慰安婦ノ健康ニ就イテハ経営者ハ特ニ注意シ営業開始前慰安婦ヲシテ軍ノ実施スル一般身体検査及局部検査ヲ受ケシムルモノトス

第二十条

毎週一回慰安婦ノ身体検査ヲ実施シ其ノ程度ニ依リ左ノ如ク区分シ其ノ証標ヲ慰安婦ニ所持セシムルモノトス

左記

合格  営業ヲ許可セラレタル者

不合格 休業スヘキ者

第二十一条

経営者(慰安婦)ハ軍人軍属ヨリ毎週ノ検査成績ノ提示ヲ要求セラレタル時ハ之ヲ拒ムコトヲ得ス

第四章 雑則及其ノ他

第二十二条

管理部隊ハ別紙第三ノ慰安所注意事項ヲ営業所ニ掲示スルモノトス

第二十三条

慰安婦ノ他出ニ際シテハ経営者ノ証印アル他出証ヲ携行セシムルモノトス

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別紙第一(*4)

慰安所使用時間及ヒ遊興料金表

区分時間遊興時間遊興料金
自  一0,00三十分一円五0
 至  一七、00  
下士官自  一七,00四十分二 00
 至  ニ一、00  
将校自  二一,00五十分三 00
 至  ニ四、00  
 自  二四,00泊リ八 00
 至翌 八、00  

備考 商社関係使用者ハ規定第二条ヲ厳守スルモノトス

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別紙第二(*4)

自 月 日 慰安所名    印(*5)
 慰安所売上高報告 
至 月 日 経営者氏名
区分 遊興人員 売上高 摘要 
将校    
下士官    
兵    
計    

備考  現在スル慰安婦名ヲ本欄ニ記入スルモノトス

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別紙第三

慰安所ニ於ケル軍人軍属其ノ他使用者ノ守ル可キ注意事項

一.大日本帝国軍人軍属及日本人タル事ヲ自覚シ其ノ威信ヲ失墜スルカ如キ行為ヲナササルコト

ニ.特ニ防諜ニ注意スルコト

三.慰安所ニ於テ使用スル通貨ハ「ルピー」又ハ「ドル軍票」タルヘキコト

四.料金ハ規定ノ料金表ニヨリ現金ニテ予メ支払ヒタル後遊興ヲナスヘキコト

五.過度ノ飲酒者ハ遊興セサルコト

六.従業員(慰安婦ヲ含ム)ニ対シ粗暴ノ振舞ヲナササルコト

七.「サック」(星秘膏)ヲ必ス使用シ確実ニ洗浄ヲ行ヒ性病予防ヲ完全ナラシムルコト

八.規定ノ時間ヲ厳守スルコト

昭和 年  月  日 「マンダレー」駐屯地司令部  印(*5) 


  • 1 ”来縵者”はおそらく”ライマンシャ”と読み、「マンダレーにやって来た者」縵はマンダレーの”マン”の当て字であると思われる。
  • 2 この下に「日本人会長 村田八郎」との記入あり。
  • 3 欄外付記に、次のように書かれている。

「左記厳禁トス

1.将校ノ引率

2.将校、下士官、兵ノ同行

3.不合格者ヘノ登楼」

  • 4 別紙の第一、第二は表になっていて、表の枠に合わせて字の大きさが変わっている。
  • 5 ”印”は丸で囲まれている。

テキスト化担当者

Phls 、 校正 id:kmiura

わかりにくい旧字体は新字体に改めています。

関連情報

東南アジアの日本軍慰安所 林博史 (2000.4.5)

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper22.htm

抜粋

ビルマでは、日本軍は中部の要衝マンダレーを五月一日に、北部の要衝ミートキーナを八日に占領、五月一八日ビルマ方面の主要作戦を終了した。このビルマでも各部隊が駐屯地に移動してまもなく慰安所が設置された模様である。第一八師団歩兵第一一四連隊の元兵士の証言によると、四二年六月ごろには中部の都市メイクテーラに三軒の慰安所が開設され、日本人、朝鮮人、中国人の慰安婦がいたという(22)。

 ビルマの場合、中国で経営していた慰安所や食堂などの業者にビルマに行くように働きかけており、その業者たちが軍の便宜を供与されてそれらの慰安婦を集めたようである(23)。

 連合軍がビルマで捕らえた朝鮮人慰安婦と民間の日本人経営者に行った尋問報告書によると、東南アジアに送り込む慰安婦を集めるために四二年五月に周旋業者たちが朝鮮に送り込まれ、負傷兵の看護などと騙して前金を渡して女性を集めた。そして約八〇〇人(七〇三人の朝鮮女性と九〇人ほどの日本人男女)が八月にラングーンに到着しビルマ各地の慰安所に送り込まれた(24)。         

 日本軍の公文書として唯一見つかっているのが、ビルマ中部のマンダレーの慰安所規定である(25)。

 一九四三年五月にマンダレー駐屯地司令部が定めた「駐屯地慰安所規定」によると、経営者がいたことがわかるが、使用時間や料金などが細かく規定され、「調味品類其の他の必需品」は駐屯地司令部に「請求」し、貨物廠から交付されることになっている。またマンダレーは商社がたくさん進出してきていたからか、商社員らにも特別に慰安所を利用させる項まであり、軍と商社の結びつきの深さがうかがわれる。

  マンダレーでは一九四五年一月に制定されたマンダレー駐屯地勤務規定の別紙によると、この時点でも九軒の慰安所があり、「内地人」の慰安所一軒(将校用)、広東人一軒、「半島人」(朝鮮人)三軒、ビルマ人四軒と、日本人、朝鮮人、中国人、ビルマ人の慰安婦がいたことがわかる。またビルマ人の慰安所のうち一軒は「ビルマ兵補専用」となっており、日本軍の下請けをさせた植民地軍にも慰安所を設けていたことがわかる。

(21)『従軍慰安婦資料集』三六五~三七五頁。

(22)『従軍慰安婦資料集』解説七八頁。

(23)西野留美子『従軍慰安婦と十五年戦争』四六~四七頁、七八~八二頁。

(24)『従軍慰安婦資料集』四三九~四六四頁。

(25)林博史「ビルマ・マンダレーの日本軍慰安所規定」『季刊戦争責任研究』第六号、1994年。

ビルマの慰安所と商社ー旧日本軍の新史料 林博史

(『週刊金曜日』第61号、1995年2月10日)

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper17.htm

関連情報 2

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判

林 博史 『週刊 金曜日』290号、1999年11月5日

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

以下抜粋

 私がイギリスで見つけて本誌でも紹介したビルマ・マンダレーの慰安所資料がある。これらの資料は時期も違う四点の別のものなのだが、氏は混同して一つの資料であるかのように扱っている。それは置くとしても、氏はその中の規定の一部を取り上げ(これも適当に書換えているが)、「兵士の乱暴や業者の搾取から慰安婦を保護しようとする配慮が感じられる」(一二〇頁)と解釈している。しかし原文は「慰安所に於て営業者又は慰安婦より不当の取扱を受くるか或は金銭等の強要を受けたる場合は直ちに其の旨を所属隊長を経て駐屯地司令部に報告するものとし如何なる場合と雖も殴打暴行等の所為あるへからす」となっている(原文はカタカナ)。これを素直に読めば、業者や慰安婦が兵士に対して不当な取扱や金銭等の強要をおこなった時の対応の仕方について記した条文であることは明かである。慰安婦が軍によって保護されていたと言いたいために、原文を正確に引用することを避け、そう結論付けたのだろうか。