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23kmiurakmiura   22  シンガポールにおけるドル表示など

lunakkoさんの意見について批判します。

まず話題の中心になっている林博史さんの論文から、該当箇所を抜書きします。

日本軍は占領地に軍票を流通させた。日本軍は開戦前から現地通貨表示の軍票(蘭印ではギルダー、マラヤではドル、フィリピンではペソなど)を準備し、占領とともに現地通貨と等価で流通させた。当初の計画では、軍政が順調にいけば軍票を回収し現地通貨のみに戻す予定だったが、実際には軍票の発行が急増していった。

1942年3月に占領地の資源開発、為替管理、敵産管理などを目的とする南方開発金庫が設立された。1943年1月南方開発金庫に発券機能が付加され、4月より南方開発金庫券(南発券)を発行しはじめた。これは軍票ではないが実際には軍票と同じようなものだったので、一般には軍票と思われていた。外部との交易関係が断たれ、物が不足するなかで、物資を調達するために南発券が乱発された。発行高は1942年12月に4億6326万円だったのが、44年末には106億2296万円、45年8月には194億6822万円と急増していった。日本が中国で発券した儲備券の場合は1941年末の2.4億元から44年末には1397億元、45年8月には2兆6972億元にも達した。この結果、すさまじいインフレが引き起こされた。シンガポール物価指数は開戦時の1941年12月を100とすると翌年12月には352、44年12月には1万0766、45年8月には3万5000と350倍になっている。特に米は開戦時、60キロが5ドルだったのが、45年6月には5000ドルと一千倍にもなっている。

大東亜共栄圏」の実態--日本軍占領下のアジア

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper41.htm

lunakkoさんはこの情報は次の二点を示す証拠である、としています。

1 『日本軍が現地通貨の回収をおこなっていた』

2 『現地通貨回収の際の交換レートがだんだんと現地通貨に不利になっていた』

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/7/22

さて、私の意見です。これは南発券の通貨表示がさまざまであったことを看過しているためのlunakkoさんの誤解です。

まず通貨と軍票についてですが、日本軍占領前はマレードル(マラヤドル)がシンガポールでは使われていました。1942年2月、日本軍が占領すると同時に、軍票が使用されました。実際には 『昭和16年軍用手票 に号軍票(以下ドル軍票と呼びます)』と呼ばれる紙幣です。この通貨表示は現地通貨と同じ単位でドルです。1943年4月に南発券が発行されはじめると、古い軍票と一対一のレートで流通しはじめます。このあたらしい紙幣は『南方開発金庫券 に号(以下ドル南発券と呼ぶ)』でした。陸軍はドル軍票をドル南発券に変えろ、という通達を出していますが、併用を認めているので実際にはおそらくマラヤドル、ドル軍票、ドル南発券の三種類が1943年4月以降、終戦後しばらくまで流通していたものと思われます。これらの紙幣の公定交換レートは1対1でした(註1)。

さて、以上の情報を背景にもう一度林先生の論文の該当箇所にもどってみましょう。占領前、占領中、占領後を通じてシンガポールでの価格表示はドルです。大量発行・流入するドル軍票後にドル南発券、および戦時の物資不足の二つの要因に駆られて物価は上昇します。これが米の値段の高騰の部分です。物価表示はドルでしかないので、物価指数はドル表示に基づく計算でしかありえません。

一方で、ドル南発券発行数の指標となるのは、南発券の発行総数です。これは、通貨表示に関わらず公式には円も含めてパーの交換率(1対1)なので、どの通貨で表示しても同じです。ここでは発行の母体が日本なので、円で表示するということで、自然なことです。

以上の理由から、まず

1、 『日本軍が現地通貨の回収をおこなっていたこと』

米の値段の経時変化から日本軍がマラヤドルを回収していたかどうかを判断することは不可能です。

2、『現地通貨回収の際の交換レートがだんだんと現地通貨に不利になっていたこと』

「ドルの価値が下がった」という事実をlunakkoさんはマラヤドルにのみ適用していますが、ドル軍表、ドル南発券、いずれもドル表示でした。したがって、米の価格高騰から単純に推測できるのは、これらすべての価値が下落した、ということでしかありません。マラヤドルの価値がドル南発券に対して低下したということを示すには別の情報が必要です。

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註1 実際にはドル南発券が乱発され、同時に戦局は日本軍に不利になっていったので市場での実勢交換レートは南発券がどんどん低くなっていっただろう、と想像できますが、これに関する情報を私はまだ確認していません。唯一交換レートに関してある程度の状況を想像させる情報として今のところみかけたのは次の一節です。

During the Japanese occupation of Singapore, the Japanese issued Gumpyo Dollars (MYAG) set at par with the Straits Settlement Dollar. Malayan Dollars were allowed to circulate, but were hoarded. The Straits Settlements were dissolved and the currency board resumed operations on April 1, 1946.

http://www.globalfinancialdata.com/index.php3?action=showghoc&country_name=Singapore

ドル軍票とマラヤドルの併用は許可されていたけれどもマラヤドルは隠匿された、つまり大切にしまっていた、ということです。実際に戦後、マラヤドルは復活しています。これがどんな状況だったのかを想像すると、どんどん市場に流入し平行して価値の下がっていくドル南発券と、高騰する物価を眺めていたら、価値が相対的に変わらな(かったかもしれな)いマラヤドルはとっておくほうが賢明、と想像できます。・・・が、この部分はあくまでも想像。

返信2007/06/01 00:21:47
  • 23シンガポールにおけるドル表示など kmiurakmiura 2007/06/01 00:21:47
    lunakkoさんの意見について批判します。 まず話題の中心になっている林博史さんの論文から、該当箇所を抜書きします。 日本軍は占領地に軍票を流通させた。日本軍は開戦前から現地通貨表示の軍 ...
    • 27Re:シンガポールにおけるドル表示など lunakkolunakko 2007/06/01 18:23:08
      lunakkoさんはこの情報は次の二点を示す証拠である、としています。 1 『日本軍が現地通貨の回収をおこなっていた』 2 『現地通貨回収の際の交換レートがだんだんと現地通貨に不利になってい ...