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44noharranoharra   敵を抱きとめた母性 −− 知覧の戦後慰安婦

敵を抱きとめた母性 −− 知覧の戦後慰安婦

毎日新聞で、福岡賢正氏(ほか)が連載している「平和をたずねて」は、はっきりものを言わないマスコミには珍しい力強い記事であり、注目に値します。

下記に目次があります。いまのところ全文読めます。

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/

知覧には、戦中も戦後も慰安所があった。それについての記事が下記。

平和をたずねて:敵を抱きとめた母性/1 米兵と笑う特攻の母

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20070815ddp012040004000c.html

平和をたずねて:敵を抱きとめた母性/2 「国体護持」へ国策売春

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20070822ddp012040013000c.html

平和をたずねて:敵を抱きとめた母性/3 この子に何の罪もない

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20070829ddp012040014000c.html

平和をたずねて:敵を抱きとめた母性/4 バカ息子であるものか

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20070905ddp012040014000c.html

平和をたずねて:敵を抱きとめた母性/5止 だから、戦争を憎むんよ

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20070912ddp012040012000c.html

(2)から、「米軍は要求したのか?」問題。

 特攻の母、鳥濱トメさんの孫、明久さん(46)に借りたビデオテープに、気になる部分があった。敗戦後、鹿児島県知覧町進駐軍と折衝した元知覧警察署長(故人)が、こう語っていたのだ。町にあった2軒の遊郭を米兵の遊ぶ場に提供し、一時間いくら、一晩いくらと決めるよう米側から命令された、と。調べると「鹿児島県警察史」も次のように記していた。

 《警察を悩ませたのは、進駐軍側からの慰安婦の要求であった。進駐軍の命令は絶対であり、要求をうけた警察署長や幹部は、管内の貸席業者や接客婦等に説得や勧誘をしなければならなかった》

 これが事実なら、米国には従軍慰安婦問題を非難する資格などないことになる。本当だろうか。

 実は玉音放送3日後の8月18日、警察を束ねる内務省警保局長から、進駐軍用に慰安施設を整備するよう全国に無電が発せられている。9月4日には内務省保安課長も「米兵ノ不法行為対策資料」と題する通達でこう指示していた。

 《進駐決定セル時ハ、附近適当ナル場所ニ慰安所ヲ急設スルコト。慰安所ハ表面連合軍司令部トシテハ公認セザル所ナル如キモ、自衛方法トシテ斯種施設ハ絶対必要ナリ》


慰安婦問題で「母性」と言う言葉を使うことは、フェミニズム的にはNGという常識がある。

それはもっともな意見なのだが。

わたしたちが、知覧から学ぶことができるのは、被害者/加害者図式は歴史を越えて不変であるわけではないということである。 戦争中の加害者であった日本人は8月15日で一転してむしろ被害者となる。実際の被害者は、娼婦という最大限の蔑称を投げつけられるところの女性たちであったわけだが。(8月15日を越えて同一である場合もあった。)

 軍服に身を包んだ青年たちは、残っていた特攻機を破壊し、基地を接収しにやってきた米兵。そして写真の右下隅で大柄な米兵に寄り添うように座ってほほ笑む女性は、死を前にした特攻隊員らを親身に世話し、母親のように慕われた鳥濱トメさん、その人なのだ。

(略)

 「米兵の宿舎は道向かいの内村旅館。この食堂も米軍に開放してくれと署長に言われ、トメは最初断ったそうです。でも、酔っぱらうと拳銃をぶっ放すような暴れん坊の米兵も、ポケットにお母さんの写真を忍ばせていた。ああ特攻隊員たちもそうだったと。国は違えど、若者たちに何の変わりもないじゃないかとトメは思ったんですね。彼らを戦地に向かわせた偉い人たちを恨むべきで、若者たちを恨むべきではないと」(1)

特攻の母、鳥濱トメさんというのはわたしは良く知らないが右翼アイドル的存在のようだ。しかし実際には彼女はイデオロギー愛国者であったわけではない。むしろ国籍を越えた母性の人だった。

戦後というものは何よりも〈パンパンの時代〉であったわけだが、パンパンは当然にも速やかに忘却されようとした。

今も続いている戦後において、米兵たちをもてなし/愛し/レイプされたたくさんの女たち。彼女たちは100%被害者であったわけではなく、なけなしの力で交渉する主体でもあった。彼女たちの利害やあこがれと同時に「母性」も彼女たちにおいて否定されてはならないだろう。

返信2008/02/23 19:31:04
  • 44敵を抱きとめた母性 −− 知覧の戦後慰安婦 noharranoharra 2008/02/23 19:31:04
    敵を抱きとめた母性 −− 知覧の戦後慰安婦 毎日新聞で、福岡賢正氏(ほか)が連載している「平和をたずねて」は、はっきりものを言わないマスコミには珍しい力強い記事であり、注目に値します。 下記に目次 ...