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40noharranoharra   シベリア抑留

訃報 高杉一郎さん

高杉一郎さんがなくなった。シベリア抑留体験を書いた『極光のかげに』は名作である。*1と書いたがいわゆる名作とは違う。何年も抑留されても囚人と似たようなもので悲惨な単色に塗りつぶされた体験しか持てないのではないかと思っていたが、高杉は違う。多様なロシア人と会話しいろいろな体験をしている。断片的随筆だがとても豊かな人間を感じる。日本人のソ連、ソ同盟体験、左翼体験をふりかえる上でも貴重な本。

『トムは真夜中の庭で』の訳者だったとは知らなかった。

高杉さんというひとはすごいインテリで、マルクス主義を良く知っているだけでなく、ロシア語も(日本で勉強していたのか)じきうまくなる。しかし全体主義国家ではそのどちらもが、「こいつはあやしい(スパイとしての勉強をしてきたのではないか)」ということになる。実際、ロシア語のできる日本人はその系統の人が多かったのも事実だろうが。*2

「なににもとづいて、君はこれを書いたか?」

パナマレンコ*3から尋ねられたとき、私は専らプレハーノフの『マルクス主義の根本問題』、レーニンの『マルクス主義の三つの源泉と構成』などを挙げ、青年時代に私たちの眼を大きく開いたブハーリンの『史的唯物論』についてはおくびにも出さないだけの周到さはあった。p32

プレハーノフもブハーリンも全然知らないが名前だけは良く見たことはある。いまの人は初めて見るのでは?


さて、高杉一郎ググると最初に、次のページが出た。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia2.htm

『異国の丘』とソ連日本共産党(2)

シベリア抑留問題から見た「逆説の戦後日本共産党史」 1945〜1955「六全協」

宮地健一さんという方の日本共産党批判のページだ。

ここでは高杉は次のように紹介されている。

 高杉一郎は、1944年、改造社編集部のとき、応召され、ハルピンで敗戦を迎え、4年間のシベリア抑留後、1949年帰国しました。抑留中、ラーゲリ将校ににらまれ、無実の罪で、『反動』を入れる「懲罰大隊」に隔離されました。ソ連共産党による「日本共産党支援活動」「ナホトカ人民裁判のリンチ」「スターリンへの感謝決議運動」を体験するとともに、様々なロシア人たちとの交流をしました。この著書は、それらを公平率直に描いています。好評で、版を重ねていたところ、出版社が倒産したので、1991年、岩波文庫から再出版され、1995年までに5刷を重ねました。「シベリア抑留・収容所文学」として、説得力のある作品です。『極寒、飢え、強制労働』と『民主運動の嵐』というシベリア抑留の2大体験から、その根底に、当然ながら、スターリン批判、ソ連共産党批判が一貫して流れています。ただ、抑制されたタッチで描かれているので、剥き出しの「スターリン批判」文言はありません。

 彼は、静岡大学教授、和光大学教授を経て、多くの著書・翻訳書を出しています。シベリア抑留関係については、その後、『スターリン体験』(岩波書店、1990年)、『征きて還りし兵の記憶』(岩波書店、1996年)、他1冊の計4冊を出版しました。宮本顕治発言問題は、この抑留記『極光のかげに』内容をめぐって発生しました。

1950年12月末、高杉は宮本百合子の友人だったので彼女の家を訪問し、シベリアの話をしていた。

宮本百合子が私のシベリアの話を聞きおわったころ、彼女の部屋の壁の向う側が階段になっているらしく、階段を降りてくる足音が聞こえた。その足音が廊下へ降りて、私たちの話しあっている部屋のまえまで来たと思うと、引き戸がいきおいよく開けられた。坐ったままの位置で、私はうしろをふり向いた。戸口いっぱいに立っていたのは、宮本顕治だろうと思われた。雑誌『改造』の懸賞論文で一等に当選した「敗北の文学」の筆者として私が知っている、そして宮本百合子が暗い独房に閉じこめられている夫の目にあかるく映るようにと、若い頃のはなやかな色彩のきものを着て巣鴨拘置所へ面会にいったと話していた、そのひとだろうと思った。宮本百合子が、坐ったままの場所から私を紹介した。雑誌『文藝』の編集者だった、そしてこのあいだ贈られてきた「極光のかげに」の著者としての私を』。

 『すると、その戸口に立ったままのひとは、いきなり「あの本は偉大な政治家スターリンをけがすものだ」と言い、間をおいて「こんどだけは見のがしてやるが」とつけ加えた。

『それを読んだあるコミュニストは私にむかって「偉大な政治家であるスターリンをけがして、けしからん。こんどだけは見のがしてやるが」と、まるでオリュムポス山上に宮居する主神ゼウスのように高圧的な態度で言ったし、新日本文学会の系列下にあった「東海作家」という文学団体は私をコーラス・グループの練習場であるバラックに呼びだして集団的なつるしあげを加えた。彼らの罵声を浴びながら、私はストロングの言う「スターリン時代」とスターリニズムのひろがりは、日本の世論までもこんなにしっかりとカヴァーしているのかと驚いた』(P.8)。

1951年1月21日、彼女は急死しました。

メモ 武装闘争期の日本共産党など

宮本は高杉にはスターリニストとして恫喝したわけですが。丁度この頃日本共産党(と東アジア)は大変な時期でした。メモとして抜き書きしておきます。

 1950年「6・6追放」の翌日、6月7日徳田・野坂は、宮本ら7人の中央委員を排除して、「臨時中央委員会(臨中)」を作り、非公然体制に移行しました。これは、徳田・野坂らの完全な誤りです。6月25日、北朝鮮軍の武力南進戦争が勃発しました。日本共産党の組織的分裂が確定したのは、(1)8月31日の宮本らによる「全国統一委員会」結成と、(2)9月の徳田・野坂らによる「北京機関」結成によるものです。もちろん、「臨中」の6月7日を党組織分裂のスタート期日としてもかまいません。

 1951年2月23日〜27日、徳田・野坂らは、「第四回全国協議会(四全協)」を招集し、(1)、「劉少奇テーゼ」にもとづく「軍事方針」を決定するとともに、(2)、宮本らを「分派」と規定した「分派主義者にかんする決議」を採択しました。4月から5月、スターリン中国共産党代表が参加して、徳田・野坂らとモスクワで数回の会議を開き、1)軍事闘争綱領として、スターリン中国作成の『51年綱領』をおしつけました。そして、日本における武装闘争の具体的戦術を指令しました。さらに、2)、スターリンは、宮本らを「分派」と断定しました。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia2.htm

 よって、この武装闘争は、スターリン毛沢東盲従下の日本共産党が、『革命近し、または革命戦争』として、全力をあげて取り組んだ「東アジア戦争作戦の分担行動」であって、日本共産党だけが突出した「極左冒険主義」的行為などではありません。ただ、この社会主義3カ国と資本主義共産党1つが企んだ「侵略戦争」は、大誤算に終わりました。日本国内における「戦争」も大失敗で、日本共産党は、国民から完全に浮き上がるとともに、作戦行動に直接参加した「党員兵士」は惨憺たる結末を迎えました。

(1)、“「五全協」で統一を回復”した日本共産党が分担した「朝鮮侵略戦争加担の戦争行為」期間は、1951年10月16日「五全協」軍事方針の実践開始から、1953年7月27日「朝鮮戦争停戦協定」成立までの1年9カ月間である。

宮本顕治は、1951年10月初旬に党に復帰はしていたが、『所属党組織もなく』、隔離報復を受けて、宮本百合子全集の「解説」を執筆していた。だからこの時期の指導責任はない。「しかし、“分裂を解消した”日本共産党の一員としての責任があり、『武装闘争は分裂した一方がやったことであり、(現在の)党にはなんの責任もない』というのは、宮本式大ウソ・詭弁である。」と宮地健一さんは述べる。

デリケートな問題なのに、宮地さんの見解だけを鵜呑みにしてよいのかとも言えるが、抱いたそうじゃないのかなとわたしは思っている。批判があれば教えてください。

高杉一郎さん死去

シベリア抑留記の作家・翻訳家高杉一郎さん死去

2008年01月10日06時15分

 戦後記録文学を代表する作品で、ベストセラーにもなったシベリア抑留記「極光のかげに」などで知られる作家・翻訳家高杉一郎(たかすぎ・いちろう、本名小川五郎=おがわ・ごろう)さんが9日午後、急性心不全のため死去した。99歳だった。告別式は26日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は長女田中泰子さん。自宅は東京都渋谷区神宮前2の30の25の503。

 静岡県生まれ。東京文理大卒。編集者として改造社に勤務、同社解散後の44年に召集され、戦後4年間、シベリア捕虜収容所で抑留生活を送った。

 帰国後の50年に「極光のかげに」を発表。スターリン体制の冷酷さとロシア民衆のたくましさ、日本人抑留者の表情を詩情あふれる筆致でリアルに描き、ベストセラーになった。また学生時代からエスペラントを学び、大正期に滞日したロシアの盲目のエスペラント詩人エロシェンコの全集(全3巻)を編訳、高く評価された。

 著書はほかに「スターリン体験」「シベリアに眠る日本人」など。翻訳ではスメドレー「中国の歌ごえ」、児童文学の傑作といわれるピアス「トムは真夜中の庭で」など。静岡大和光大の教授を歴任した。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0110/TKY200801090343.html

*1:ISBN4-00-331831-5 岩波文庫品切

*2詩人石原吉郎もそうだが

*3ロシア将校

返信2008/01/12 23:28:15
  • 40シベリア抑留 noharranoharra 2008/01/12 23:28:15
    訃報 高杉一郎さん 高杉一郎さんがなくなった。シベリア抑留体験を書いた『極光のかげに』は名作である。((ISBN4-00-331831-5 岩波文庫品切))と書いたがいわゆる名作とは違う。何年も抑留 ...