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24noharranoharra   乳幼児8人強制死 新証言 日本兵が銃殺、親も毒薬や素手で

乳幼児8人強制死 新証言 日本兵が銃殺、親も毒薬や素手で

乳幼児が次々と死に追い込まれた状況を証言する石川静子さん=2010年4月、うるま市の自宅

 1944年7月のサイパン陥落前後、激しい地上戦で島の北部に追いつめられた県出身で親類同士の0〜4歳までの乳幼児8人が日本兵や親の手で次々に死に追い込まれたことが、複数の親族の証言で分かった。そのうち1人は避難していた壕内で日本兵が銃殺。それがきっかけとなり、親類の親らが毒薬や素手で2人の子を手に掛けたという。この壕では親類以外の子も「大勢死んだ」と証言者は話しており、混乱状態に陥った壕内で乳幼児を巻き込んだ「集団自決」(強制集団死)が起きたことも明らかになった。琉球新報の取材で証言者は一様に「体験を話すのは初めて」と語っている。

 証言したのは当時、サイパン島の北部に住み、親族らで戦場を逃げ回った久高樽さん=故人、うるま市出身、当時60歳=の娘の渡久地トシ子さん(83)や孫の石川静子さん(73)ら。犠牲となったのは樽さんの孫や親類の子どもら8人。

 渡久地さんらによると、樽さんの孫・将一ちゃん=当時6カ月=は同年7月8日、サイパン島北部の海沿いにある壕内で日本兵に「泣かすな。敵に気づかれる」と銃殺された。

 これを見た親類も「自分で死ぬことができないから」と子どもを手に掛け、2人が犠牲となった。残る5人の子も別の場所で、親らによって命を絶たれたという。

 沖縄戦に詳しい石原昌家沖国大名誉教授は「軍民雑居の状況では、日本軍は住民は機密を知ったとして投降を許さず、死に追い込むという皇軍の本質が出た」と指摘した。

 吉浜忍同大教授は「米軍は南洋の戦いを戦訓に、約1年後の沖縄戦日本兵と住民を混在させない作戦をとったが、日本軍は戦訓に住民の視点はまったくなく、沖縄戦で同じ悲劇を招いた。住民避難地域を設けず、むしろ住民を盾にした」と説明した。(新垣毅)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162903-storytopic-1.html

返信2010/06/03 20:36:37