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84kmiurakmiura   74  Re:デリダを引用して「赦し」を再定義する哲学の営みは非論理的?

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/36/74

zames_makiさん:

(1)この人は、論理バカになっているのではないか?

論理バカとは、目先の話題の論理構成だけで、議論をし、多くはそれだけで正否あるいは正邪をきめてしまうということです。しかしそれは大きな落とし穴があるように思います。

1:目先の話題だけでいいのでしょうか?慰安婦問題では政府や大メディアが、問題を隠そうとしているのはよくご存知でしょう。であればその目先の話題が、本当にその見えている意味で良いのか、一度自分で確認が必要なのではありませんか? Apeman氏ほど豊富な知識があれば、そうした自己確認も可能でしょう。

2:そうした批判は確かに論理的には正しいでしょう。しかしこの社会は論理だけで動いていません。読売新聞産経新聞慰安婦に関して少しでも知っている者から見ればはっきり間違いだとわかる記事をなぜ載せるのでしょう?そこに論理などなく「強い意志」があるだけでしょう。それを論理的に批判して覆せるでしょうか?

ここで私が思い出すのは、こうした歴史修正主義の言説に、哲学的にアプローチしている人がいることです。身近な例であげれば、「歴史と責任」のシンポジウム鵜飼氏はデリダを引用して「赦し」を再定義していました。鵜飼氏のような活動が必要なのは歴史修正主義の言説が私たちの共有している論理から外れるところにあり、それに対抗するため、哲学者でさえ自らの哲学的基盤を再検討しなければならなかった。ということでしょう。

 これは、哲学者でさえそんな努力が必要なほど、歴史修正主義の言説に論理だけで対応するのは難しいということではありませんか?

デリダを引用して「赦し」を再定義する哲学の営みは非論理的なものであるという判断をゼームスさんはしていることになりますが、よろしいでしょうか。非常に興味深いので、ぜひ詳しくご説明願いたいです。

返信2008/08/05 20:01:56