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104kmiurakmiura   99  Re3x:デリダを引用して「赦し」を再定義する哲学の営みは非論理的?

大沼氏やアジア女性基金と被害者の関係を哲学的に捉えるには、デリダの「赦し」を再検討することが必要である、と鵜飼氏はいっているわけですね。そして鵜飼氏はシンポジウムで実際にその再定義を行った。この営みが非論理的である、とzames_makiさんは判断している。よろしいでしょうか。

もうひとつ確認したい点があります。大沼氏やアジア女性基金を歴史修正主義者であると鵜飼氏は発言したのでしょうか。それとも大沼氏やアジア女性基金を歴史修正主義者であると判断したのはzames_makiさんでしょうか。

bbs:36:74 zames_makiさん

(1)この人は、論理バカになっているのではないか?

<中略>

2:そうした批判は確かに論理的には正しいでしょう。しかしこの社会は論理だけで動いていません。読売新聞産経新聞慰安婦に関して少しでも知っている者から見ればはっきり間違いだとわかる記事をなぜ載せるのでしょう?そこに論理などなく「強い意志」があるだけでしょう。それを論理的に批判して覆せるでしょうか?

 ここで私が思い出すのは、こうした歴史修正主義の言説に、哲学的にアプローチしている人がいることです。身近な例であげれば、「歴史と責任」のシンポジウム鵜飼氏はデリダを引用して「赦し」を再定義していました。鵜飼氏のような活動が必要なのは歴史修正主義の言説が私たちの共有している論理から外れるところにあり、それに対抗するため、哲学者でさえ自らの哲学的基盤を再検討しなければならなかった。ということでしょう。

 これは、哲学者でさえそんな努力が必要なほど、歴史修正主義の言説に論理だけで対応するのは難しいということではありませんか?

bbs:36:99 zames_makiさん

鵜飼氏の発言主旨は以下だと思う、

・・大沼氏など、アジア女性基金の側は、自分たちは金を渡すことで、道義的責任を果たした、それは法的責任より大事だ。またそれで「赦し」が得られた、としているようだ。確かに彼らのしている事は、その点で被害者のある種の幸福をもたらした、「赦し」があったと言えるのかもしれない、しかしそれは哲学的にどうなのか?それは論理的なのか?

これに答えるには、大沼氏などが使っている哲学とか論理などを、再検討する必要があるだろうということ。であるからその分野の知識人デリダとの検討によれば云々、と続くわけだ。

大沼氏などが、金を渡すことの方が大事だ、道義的責任の方が法的責任より思い

  あるいは

アジア女性基金の中で総理大臣名で謝罪文もだしている、赦しはもうえられた。謝罪した

と言ったとき、それに哲学的に答えることは、かなり難しいだろうということです。」(以上、主旨)

返信2008/08/14 21:34:39