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102kmiurakmiura   101  Re:このスレッドの意味

zames_makiさんへ

今年の4月にabesinzouさんという方を巡って同じ問題がありました。このときにhazamaさんが書かれたabesinzouさんの発言に対する批判は、zames_makiさんにも当てはまる批判なので、以下「歴史修正主義批判は絶対的正義ではない」より抜粋します。

zames_makiさんは以下の”abesinzou氏”を自分に置き換えてよく読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20080403/1207230767

以上で見てきたように、abesinzou氏は僕をまったく根拠なく批判し、僕が「何か悪い」と言う漠然とした印象を与えようとするのである。この印象論は、最後に具体的なレッテルへと結実する。

ネット上の利用者が自己満足にしか関心がなく、非常に個人主義的・単独行動主義で、社会性や知識の共有あるいは連帯が足りないせいでしょう。

これは非常に決定的な一文である。これを裏返すとabesinzou氏が掲げる価値観となる。まず、氏は個人の欲望・欲求に批判的であることがうかがえる。しかし考えてほしい。どんなに自己犠牲的な人物であっても、自分の望むことをするのだ。欲求なき人間は、何もしない。死んでいるも同然であり、人間ではない。だから人間の生を肯定する限り、欲求・欲望そのものを否定することはできない。ならば、個人の欲求の行使が、他者に対していかに働くのかが問題となろう。ここでabesinzou氏は個人主義に対して批判的であるようだが、abesinzou氏は社会主義者なのか?近代市民社会を支える根本理念は個人主義である。これは日本国憲法の理念を考えれば明白だ。あるいは、夏目漱石の『私の個人主義』を読んでほしい。個人主義者は、自分の欲求を行使する際に、他者の個人主義もまた自分のそれと同様の権利を持つことを考慮するのである。僕は、個人主義が行き過ぎで問題になることは、理念上は無いと考える。個人主義者は、必要とあらば立ち止まるし、団結もする。問題となるのは、利己主義であろう。多分、abesinzou氏は個人主義と利己主義の区別もついていない。お話にならない。

しかし私から見て個人主義や欲求に忠実という点ではあなたもlovelovedog氏も同じように見えるのです

その通りである。何が悪いのか?(何も悪くはないということは上で述べた)

さて、ここまでくればabesinzou氏がどのようなネット人格なのかはおわかりいただけたであろう。端的にいえば、「問題意識を同じくするのであれば、自分に協力すべきだ。協力しない人間は、敵と同様と見なす」と言いたいのであろう。はっきり言ってウンザリだ。歴史学を擁護しようという人間が、まるでファシズム体制や社会主義体制の独裁者と同じ発想をする。もしかしてabesinzou氏は、日本人全体が反歴史修正主義で大同団結することを望んでいいるのか?そうとも思えてきてしまう。だったら、とっとと革命を起こして僕や愛・蔵太氏を収容所に送って労働改造してほしいものだ。

歴史修正主義批判は絶対正義ではない。あくまでテキスト解釈なのだ。ここはポストモダニストが言うことが正しい。ポストモダニストは、歴史学を謙虚にした。絶対正義のテキスト解釈により、社会を変えようとした結果、とんでもない悲劇がいくつも起こったことを僕らは知っている。現代歴史学の直接的な祖先マルクス主義がそうだったではないか!それらを反省し、テキスト解釈が、現実に積極的に影響を及ぼそうとすることにはかなり懐疑的になるのが現在の歴史学的態度のはずだ。間違ったテキスト解釈を、テキスト解釈のより正しいあり方で批判し、現実へ悪影響を阻止する。その程度でいい。氏もそういう考えのようだが?だったら、僕は何も間違っちゃいない。

加えて、abesinzou氏はもっと言論・思想の自由についてナイーヴになるべきだ。歴史学を擁護する人間なんてのは、圧倒的少数だ。圧倒的少数の人間が、好き勝手言えるのは言論・思想の自由が保障されているからである。愛・蔵太氏や僕の考えを、abesinzou氏のように変えたいという欲望は、言論・思想の自由への攻撃であり、現代社会においてはもっとも危険な発想である。何が危険って、自分の首を絞める。「敵」が数で押し通した場合、歴史学は必然的に敗北するのだ。だからこそ、僕は個人主義という数の論理とは違う倫理を掲げ、自由を擁護した方が、結局身を助けると思っている。だから、愛・蔵太氏がああ言うのも、言論の自由であり仕方がない。しかし、言論の自由があるからこそ、批判もできるのだ。そこで留まることが、多分共存なんだと思う。

こうして見ると、僕にはabesinzou氏が非常に利己的で自分の欲望に忠実な人物であるかのように思えてくるのだ。自覚していない分、僕や愛・蔵太氏より実は始末に負えない。

最後にもう一つ、abesinzou氏はどうも思い上がりも甚だしいように僕には思えてくる。氏は自分がありとあらゆる不正に敢然と全力で立ち向かっているのだろうか。そうでもなければ、自分の正義にあそこまで確信できないだろう。氏はラディカルな革命家なのだろうか。多分違うだろう。氏も恐らくは実際のところ僕とほとんど変わらない小市民だと思う*2。そうだとしたら、客観的に見て僕とあなたの社会的・歴史的価値はほとんど変わらない。僕が死んでも、あなたが死んでも(良くも悪くも)歴史は何も変わらないだろう。多分。その深淵のような圧倒的歴史的事実・ニヒリズムの前で、自己を立て直す幻想が個人主義だと僕は考える。そこでは、他者に対しては、他者の個人主義を尊重するだけで十分なのだ(これは実は非常に困難)。その上で、何かよきことができれば、それは悪くない。

返信2008/08/13 21:36:12
  • 102Re:このスレッドの意味 kmiurakmiura 2008/08/13 21:36:12
    zames_makiさんへ 今年の4月にabesinzouさんという方を巡って同じ問題がありました。このときにhazamaさんが書かれたabesinzouさんの発言に対する批判は、zames_m ...