沖縄「集団自決」論争の陰に隠れて RSSフィード
 

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11dempaxdempax   3  「内地」と「軍の法」

いま≪沖縄ノート≫を刊行して,ひとつの作業を終えた,という感慨とはおよそ逆に,これから,自分のあたうかぎりの力をそそいで,たちむかわねばならない仕事がはじまる,という緊張感をいだいている. いうまでもなく,一箇の小説家のやることにすぎないのであるから,客観的には,いったいなにほどのことをまえにして不安に緊張しているのかと,滑稽に見えることであろう. そして,ぼく自身,そういう滑稽さを身のまわりにまといつかせたまま,生きてゆくほかはないし,ちかごろでは,むしろすすんで,そうした滑稽さと共にありたいとねがうようになった. したがって,問題は,ぼくの主観にかかわってのことなのではあるが,いったん書物を刊行すると,それは,赤裸の主観にむけて,投げかえされるツブテの雨にさらされる状態になった,ということである. とくに沖縄からのツブテについて考えると,緊張することなしではいられないのである. そしてその緊張とは,期待の緊張でもあるのであって,ぼくは,そのような緊張のなかにはじめて,自分の想像力をためすヤスリを見出す.


その緊張感のうちにあってのことではあるが,故広津和郎の『さまよへる琉球人』復刻*1をめぐっての,たまたま『毎日新聞』にのった,ぼくの「談話」に,「内地」という言葉があらわれるのを読んだ時には,おもてをあげていられぬ気持をあじわった. 外地--内地の対比において沖縄を考えるところの植民地主義めいた,あやまった感覚こそ,ぼくの排撃したいものであるからである. ぼく自身が,あたかも,そのような言葉を,不用意につかう人間であるかのごとくに誤解されることを,ぼくは恥辱とする. あわせて,この植民地主義的な言葉が,いま,あらためて,抵抗感なしに,自分と同世代のものたちのなかに,通用しはじめていることを,恥辱とする.


『さまよへる琉球人』復刻の意味あいについては,すでに『群像』にぼく自身の考えかたをのべたが,この小説と,それへの沖縄からの抗議,そして広津和郎の美事な責任のとりかた*2の,全体が,あらためて提示されるということは,一九七〇年代のいま,ほかならぬ今日のすべての日本人に,正面からそれにたちむかうべき課題として,まだ決して完結していない,広津和郎沖縄知識人の問いかけ合いが,生きた血液をかよわせつつ,よみがえる,ということなのである.


七二年の施政権返還にむかって,まことに激しい洪水がうずまいている,日本本土--沖縄の相互関係の現場に,あたかもなお活動をつづける,誠実な知識人としての広津和郎の肉体が,くっきり浮びあがって,さあ,あなたたちはどうです,きみたちはどうなのだと,まっすぐ問いかけてくる,ということなのである. その問いかけの声を聞きつつ,ぼくはあらためて「内地」と要約されるようなことになった自分の「談話」に恥辱の思いをいだく.


もうひとつの,やはり沖縄への日本人一般の感覚にかかわって,どす黒くよどんでくる思念をさそうきっかけは,ひとりの女性知識人からの思いがけぬ電話をつうじてやってきた. ぼくは沖縄戦における日本軍人の,沖縄の住民に課した,差別的な犠牲について,ほかならぬぼく自身をふくめた,いったい日本人とはなにか,という,にがいあじのする自省を≪沖縄ノート≫に書いたのである. それについての反応が,戦時の軍隊の法によって,あの日本軍人は縛られていたのだと,教示してくれるための電話となってあらわれたわけであった.


ぼくはこの女性知識人にたいして,なにごとかを考えるのではない. 一般化して,さてわれわれの年代の日本人が,というふうに,自分の暗い思念を追うのであるが,いったい,沖縄における,軍人の自己保全のために住民が強制された,集団自決について考えつつ,その住民たちにむけて想像力をはたらかせるかわりに,軍人が,軍隊の法によって,そのようにせざるをえなかったのだと,その軍人を「理解する」ことができる,というのは,この二十五年間,無疵で生きのびえた,日本人のうちなる,あるグロテスクなものを思わせないであろうか.


植民地はなくなったが,植民地主義的な意識構造はのこっている. 旧軍隊の法は実在しないが,個人の倫理的想像力によって責任をとる態度のかわりに,天皇制を頂点とするタテの筋みちをもった仕組みにわれとわがみを埋没させようとする意識はのこっている. 飛び石のように戦後二十五年をのりこえて,われわれの年代の日本人にのこっている.


それが日本人なのだ. 日本人とはそのような意識構造において,まったく独特なのだと,沖縄からの声が,もっとも硬く激しい勢いをもったツブテをなげかけてくるのを,ぼくは予期せずにはいられないのである.



【出典:大江健三郎『鯨の死滅する日 全エッセイ集 第三』(文藝春秋 1972/02/10 BOOK-OFF価\400+悪税)p.145-147 『沖縄経験 同時代論集4』(岩波書店 1981/02/26) 未収録  所収か否かは現品未確認  / はてな形式の注は写経にあたって『廣津和郎全集』中央公論社のあとがきを参照して,投稿者が追加した】


 

 

*1:『新沖縄文学17 夏季号』1970年8月 沖縄タイムス

*2:『廣津和郎全集 8評論1』中央公論社1974/02/10 p.509-517「沖縄青年同盟よりの抗議書」=大正15年5月『中央公論』に発表『自由と責任とについての考察』1958年4月 中央公論社/『宇野浩二広津和郎集』1971年9月 筑摩書房/『新沖縄文学17 夏季号』1970年8月 沖縄タイムス社所収

返信2008/01/08 17:15:57
  • 11「内地」と「軍の法」 dempaxdempax 2008/01/08 17:15:57
    いま≪沖縄ノート≫を刊行して,ひとつの作業を終えた,という感慨とはおよそ逆に,これから,自分のあたうかぎりの力をそそいで,たちむかわねばならない仕事がはじまる,という緊張感をいだいている. いう ...
    • 12Re:「沖縄ノート」と、その後 ni0615ni0615 2007/12/23 12:41:33
      2007.11.9大阪地裁、大江健三郎証人陳述書より  私は一九六五年(昭和四十年)文藝春秋新社の主催による講演会で、二人の小説家とともに、沖縄本島、石垣島に旅行しました。この旅行に先立って ...