下院本会議での慰安婦決議 以後 RSSフィード
 

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72zames_makizames_maki   65  朴裕河「和解のために」のどこが問題なのか

金富子氏や鈴木裕子氏は朴裕河の「和解のために」を厳しく批判している。批判される箇所は以下であろう。(鈴木裕子氏講演録より)転記者が朴裕河の著作の何が問題なのかをメモ書きした。


右派は責任を『否認』し続けたが、それでも日本政府は1990年代以降、関係者が考える限りでの『せいいっぱい』の対応に踏み出していた。『女性のためのアジア平和国民基金』の設立がそれである。(p66)

朴氏はアジア女性基金が日本の精一杯の対応であると認めており、日本国による責任の明確化など近年のアメリカ等からの批判には従う必要はないと考えているらしい


誠意と正義感から始まった『挺対協』の運動は、いつのまにか、かつて国家によって被害をこうむった人々を『国家』にかわって統制する行為となり、『個人』の意思をいまひとたび抑圧するのではなかったか。それが正義のためだとするのならなおのこそ、その正義はエリート女性が自ら理想を実現するためのものへと自己目的化してしまったのではないだろうか(p78)

挺対協の運動に関わっていない人間による酷い評価と非難。


挺対協関係者が金を受領した人々をさして『罪を認めない同情金を受け取れば被害者はみずから志願に赴いたこ公娼になる』(尹貞玉)と非難したことは「慰安婦」を支援する彼女たちにする「慰安婦」に対する偏見があることを示すものだ。(p78)

挺対協はその運動の中で元慰安婦は強制されたものであり公娼ではないとしている、その上で日本政府がその責任を認ないでおいて、金を与えることで元慰安婦に自らへの虐待行為を黙認をさせる状態を娼婦と呼んだのである。挺対協はこの行為を厳しく批判したのであり朴裕河の批判は的外れの曲解だろう。


そうした事実すら認めない「挺対協」の非難は、不十分ではあるとしても日本政府から譲歩を引き出した関係者の誠意まで踏みにじることになり、日本の右翼の新たな反発をも呼んだ。「挺対協」の対応は非寛容な「正義」であり、適切でもなくて正しくもなかったと言わざるを得ない。日本政府を相手に行動していながら、その相手に対する知識も、それにもとずいた理解も欠如していたがために、そうなってしまったのである。

そしてこの構造は、韓日間に存在するほとんど全ての問題においてみられるものだ。いわば不信と誤解が問題を実際以上に大きくし、それだけ解決を困難にしているのである。(p82)

朴裕河は、日本政府がその責任を認めず補償もしない(アジア女性基金の金は償い金であり意味不明になっている)状態が、正しい行為だとし、それを批判するのは不適切で不正だとしている。


責任の主体を明らかにすることは必要だが、「慰安婦」の被害が複合的な構造を持つからには、国(=韓国)の親日派の清算と同様に「主体」を目指すことは必要だが、それは常に別の何者かを免罪する可能性を内包している。日本国民は被害者であるが同時に加害者だった。…しかしながら「政府」と「国家」の補償ばかり主張する声は、そのような複合的な構造を覆い隠す。さらに基金に譲金した日本人の声、国家を超えて責任を負おうとする意識から、顔を背けることになるのである(p108)

アジア女性基金への一般個人からの寄付金は企業などを介した集団募金によるものが多い、日本の一般的な個人が自らの個々の慰安婦への責任を感じているとは、到底言えない。朴裕河はまったく日本の状況を理解していない。

返信2008/04/07 20:04:38
  • 72朴裕河「和解のために」のどこが問題なのか zames_makizames_maki 2008/04/07 20:04:38
    金富子氏や鈴木裕子氏は朴裕河の「和解のために」を厳しく批判している。批判される箇所は以下であろう。(鈴木裕子氏講演録より)転記者が朴裕河の著作の何が問題なのかをメモ書きした。 右派は責任 ...