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写真は元に戻された
■ 写真は元に戻された
「南京大虐殺」表記は元のまま
速報 埼玉県平和資料館の展示について
11月6日平和資料館館長宍戸信敏氏より、平和資料館を考える会運営委員に展示の件について文書連絡がありました。
歴史的事件・事象名称表記について
3)三光作戦 変更 中国側から「三光政策」として非難された作戦行動
4)写真 白紙で覆われていた件
展示を再開する
『私の従軍中国戦線(村瀬守保写真集)』より
この写真は、当時、輸送部隊の兵士であった撮影者(後に埼玉県在住・故人)が、占領の2週間ほど後に南京に入り、下関埠頭で見た場景を撮影したものです。
経過説明
昨年7月に埼玉県平和資料館の歴史年表が運営協議会にかけられず一方的に変更されていたことが発覚、平和資料館を考える会はこれを公にし、館に抗議、運営協議会でも問題にした。
埼玉県知事上田清司氏の6月議会発言に呼応して館が行ったと考えれ、内外からこの埼玉県平和資料館が注目された。
館は当初南京大虐殺の「大」を削除し、写真も削除すると譲らなかったが今回これを復活、写真も元に戻すこととなった。
なお「慰安婦はいても従軍慰安婦はいなかった」と発言した知事の意向を受けてか、「従軍」は館の主張どおり削除、戦時中の「慰安婦」問題と変更してきた。
「従軍」の文言の削除については私たち考える会の主張を尊重せず、運営協議会で出された意見を採用した。他の点では館は譲歩してきた。
平和資料館を考える会としては館の見解をもう一度運営協議会に諮れと主張していた。
市民・県民・韓国・朝鮮人・中国人ほか外国人および全国から抗議、マスコミの報道もあり、今回の結果となった。
皆さんのこれまでのご支援に対し厚く御礼を申し上げます。まだ不十分でありますが一定の前進は認められたと思います。
今後について皆さんのご意見をお待ちしています。
平和資料館を考える会
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6aecd2dbd111070466d454276f381fec
「従軍慰安婦」から「従軍」表記削除~県平和資料館が変更案 運営協で批判、結論出ず
県平和資料館は13日、東松山市の市立高坂図書館で運営協議会を開き、従軍慰安婦問題の「従軍」を削除するなどの方針を、協議会の委員に示した。この方針に対し、複数の委員は日本軍の加害の事実が不明確になるなどと批判したが、委員全員の一致した結論は出なかった。資料館は協議会全体の意見を考慮しつつ、近く展示方法を最終決定する。
協議会で資料館側はまず、年表の1991年の欄にある「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」について、「戦時中の『慰安婦』問題など…」と変更する方針だと説明した。委員の1人は「91年ごろ軍の関与が問題になったので、『従軍』をつけるべきだ」と主張。しかし、同館学芸員は近年の政府や歴史研究者の用法をふまえ「従軍があるないかは(軍による)強制性とは関係ない」との立場を示した。
また、年表の1937年の日本軍南京占領に付随する、揚子江岸にある多数の遺体の写真が05年3月から白い紙で覆われていることについて、資料館は近年7月の協議会で、「南京虐殺の証拠とは言えない」との立場から「展示は適切ではない」と表明。今回は協議会の意見を一部ふまえ、展示する方針に切り替えたが、その説明文に「撮影者は『虐殺』との関係を推測するにとどまっている」と記入する方針であることを委員側に示した。複数の委員は虐殺の事実を文書に残した撮影者の考えを「曲解している」などと批判し、館側の意見と主張が食い違ったままだった。
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50写真は元に戻された
noharra 2007/11/08 18:51:27
写真は元に戻された 「南京大虐殺」表記は元のまま 速報 埼玉県平和資料館の展示について 11月6日平和資料館館長宍戸信敏氏より、平和資料館を考える会運営委員に展示の件について文書連絡があ ...