下院本会議での慰安婦決議 以後 RSSフィード
 

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45noharranoharra   30  Re:埼玉県平和資料館への知事からの攻撃

埼玉県平和資料館の危機的状況報告   

埼玉県平和資料館の危機的状況報告   


あらたに上田知事が任命した埼玉県平和資料館宍戸信敏館長と小峰副館長・書上学芸担当によって歴史改竄が今一挙に進められようとしている。


今までの問題。

南京大虐殺の文言を紙で覆い隠し南京占領に改竄。

村瀬守保氏の揚子江沿いの虐殺死体の写真を紙で隠蔽。



7月23日第1回運営協議会で館は、常設展の「見直し」を提案してきた。


下館側提案の変更提案の中の特に問題と思われる内容と変更理由を書き出す。

以下の館側の変更提案を検討すると同時に、その反論理由を総括してみる。



館側からの提案1、

年表にある「従軍慰安婦」の従軍を削除して「慰安婦」とする。

館側の変更理由:

政府の文書で使っているから。

  ②アジア太平戦争中には、「従軍慰安婦」という呼称がなかったから。

  ③どちらの呼称も強制があったか、なかったかについての特定の見解と結びついていないから。(和田春樹氏の見解)



反論と理由:

上田知事自らの議会での問題発言(「慰安婦」はいても「従軍慰安婦」はいない)による政治的圧力によって館側が、書き換えようとすることは、学問上も道義上も許されることではない。

②「従軍慰安婦」という歴史的用語は、従軍看護婦や従軍記者とは違い自分の意思に反して慰安婦にさせられたという意味あいから括弧付きで表示されるべきである。

日本軍と一体となって行動させられたという歴史的事実から日本軍慰安婦という表現ならば、許容されるだろう。

  ③名誉と尊厳を傷つけられた女性たちの呼称として学術的にも歴史的にも定着していて変える必然性がない。

アジア太平戦争中には、「従軍慰安婦」という呼称がなかったから変更するという説明は、歴史用語知識や歴史事実認識の欠如を如実に示している。

戦前や戦争中には、当時歴史的呼称として定着していなかった概念や違う呼び方で使用されていた歴史的用語が、戦後になって歴史家によって総括され、あらたな歴史的呼称として一般化されたものが数多くある。

従軍慰安婦」はその意味での重要な歴史的用語であり、一般的である。

戦前や戦中にその歴史的概念を表す言葉がなかったからと言って、突然学問的場からその用語の使用をやめたりしたならば、歴史用語の多くが、表現できなくなる。


館側からの提案2.

 「日本軍南京占領(南京大虐殺)」を「南京事件南京虐殺」とする

現在、「南京大虐殺」の文字が白紙で覆われている。

この覆いをはずすが、「日本軍」を削除し、「占領」を「事件」に変え、「虐殺」から「大」を削除する。

また、「埼玉県民と戦場」コーナーのなかの2か所の「南京大虐殺」も「南京事件南京虐殺」とする。


館側の理由:

外務省は、「(日本政府は)日本軍の南京入場後、多くの非戦闘員の殺害や略奪があったことは否定できない」、「しかし、被害者の具体的な人数については諸説があり、どれが正しいか認定は困難」としている。この政府見解を尊重する。


反論と理由:

① 被害者の人数については、2万人から30万人の「諸説」があろうとも「大虐殺」にかわりはないが、この表現の違いは、あまり問題ではない。

② むしろ「日本軍」を削ることは、虐殺を起こした当時の日本の責任をあいまいにするだけではなく、当時の日本軍隊の醜悪な部分を歴史的に隠ぺいしようとする意図を感じ、絶対に承服できない。

主語のない文章にするのは、歴史学上も問題がある。

この手法は、遊就館の展示にも見られるように、自国の都合のよくない事実をあいまいにして隠すときの手段でもあり、公の展示としてふさわしくない。

③ 現在の記述は、「我が国の行為」がアジアの人々に「多大な損害と苦痛」を与えたとする歴代の総理大臣の言明とも合致する。

日中戦争以降の日本軍によるアジアの戦争被害者は2000万人以上にのぼり、

南京中国人被害者は、その後の被害の端緒にすぎなかったことを理解しなければいけない。


館側からの提案3.

今、紙で覆っている村瀬守保著の「南京占領から10日ほどの揚子江川岸写真」(「南京占領(南京大虐殺)」の項に付された多数の死体が写されている写真) を年表上から完全に削除する。

館側の変更理由:

①撮影者の村瀬守保氏は、この写真について、本文で「揚子江岸で大虐殺がおこなわれたという、その現場でしょうか」、キャプションで「虐殺した後、河岸に運んだのでしょうか、河岸に連行してから虐殺したのでしょうか」と推測を述べている。

② 事件を積極的に肯定し証明しようとしている研究者も、通常「写真資料は厳密に史料批判を行い慎重に扱うべき」としている。「歴史学における写真資料―南京事件の場合―」・『歴史評論』2000年10月号)

③ 公立公営の資料館として、この写真を日本軍による「大虐殺」の証拠資料とすることには慎重になる必要があり、適切でないと考える。


反論と理由:

要望:「南京占領(南京大虐殺)」の項に、村瀬氏によるキャプションとともに載せるべきである。絶対に削除を許すわけにいかない。


キャプションのコメントを素直に判読するならば、村瀬氏は南京揚子江岸で虐殺があったことを確信している。村瀬氏の「推測」は、この河岸がその「虐殺現場」であるか否かについてであり、これを「推測」として排除するのはおかしい。

② 日本軍が南京占領後、多くの非戦闘員を殺害したことは、日本政府も認めている。

③ 最近の研究では、この写真を拡大してみると、この虐殺死体の多くが後ろ手に縛られている。

日本軍による中国人捕虜の虐殺死体であることが、判明した。

④ 館側の井上久士氏の引用は、悪質な誤読である。

井上氏は、通常「写真資料は厳密に史料批判を行い慎重に扱うべき」といってはいるが、村瀬氏の写真は、疑いの余地はなく、信憑性があると言っている。

まず、館として井上氏見解を引用するならば、その真意を聞いて確認をとるべきではないのだろうか。

故に、館側の学術的な見解は、瓦解している。



館側からの提案4.

常設展の「埼玉県民と戦場」の解説文のなかに、「中国東南アジアでは、南京大虐殺三光作戦シンガポール華僑虐殺など日本軍の非人道的な行為があり、今日でもその責任が問われています」とある。

このうち「三光作戦」を「中国側から『三光政策』として非難され」に変え、「日本軍の非人道的な行為があり、今日でもその責任が問われています」を削除する。


館側の変更理由:

①「光」は中国語で「~し尽くす」の意味で、「三光」は「焼き尽くす」

「殺し尽くす」「奪い尽くす」の意。

日本軍が抗日ゲリラの根拠地とみなした地域でとった掃討手法を、中国側が「三光政策」と非難したことから、戦後、日本で「三光作戦」として使われるようになった。オリジナルな用語は「三光政策」である。

②「日本軍の行動が、中国側から『三光政策』として非難された」という意味の表現が正確と考えられる。


反論と理由:

① 「三光作戦」は日本では当時「儘滅(じんめつ)作戦」と呼んでいたものであり、中国語の意味と合致する悲惨で人道を無視した違法な行為であり、国際法上戦闘行為として認められる「掃討手法」ではない。

② 戦後一般にも学術用語としても「三光作戦」として定着しており、変える必要はない。

むしろ、「三光」は中国語をそのまま用いており、見学者が理解できるように日本訳を注記すべきである。

③「日本軍の非人道的な行為があり、今日でもその責任が問われています」

館側からこの文言を削除しようとする理由は、なにを根拠としているのか、

削除説明がまったくなく、当然削除すべきではない。

館側は、三光作戦やその他の作戦が、一方的に中国や他のアジアの国から非難されはしたが、作戦の一つで国際法上違法ではないとでも言いたいのでしょうか。

③ 当時の日本軍が中国東南アジアで、戦時国際法をまったく意に介さない「非人道的な行為」を現地の人たちに加えたことを、私たちは記憶にとどめ、自らの責任を問い続けなければならない。

戦後責任と同時に、道義的にも法的にも今も続く近隣諸国への戦後補償問題を解決していかなくてはいけない故に削除することは、絶対にあってはならない。


以上を振り返ると館側の意図の全体像が、見えてくる。

他にも多くの提案がなされているようだが、特に私たちとしては、この課題について、埼玉県平和資料館を考える会と連携して、緊急に館側に反論していかなくては、ならない。

9月13日の運営協議会で見直しが、決まる可能性が高い。

資料として掲載しておきます。

8/31 受け継ぐ会MLより

返信2007/09/01 10:13:31
  • 45Re:埼玉県平和資料館への知事からの攻撃 noharranoharra 2007/09/01 10:13:31
    埼玉県平和資料館の危機的状況報告    埼玉県平和資料館の危機的状況報告    あらたに上田知事が任命した埼玉県平和資料館宍戸信敏館長と小峰副館長・書上学芸担当によって歴史改竄が今一挙 ...
    • 47埼玉県平和資料館運営協議会 noharranoharra 2007/09/09 12:22:40
      <集会とお知らせ> 上田知事の歴史認識を問う県民連絡会・平和資料館を考える会より 埼玉県平和資料館運営協議会傍聴のお願い  ...