下院本会議での慰安婦決議 以後 RSSフィード
 

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33noharranoharra   24  パンパンを知っていますか?

パンパンを知っていますか?

パンパンを知っていますか?


 パンパンは食べ過ぎてお腹がいっぱいなのではありません。

私は69歳です。終戦の年が、小学生一年生でした。現在の大阪空港の側に住んでいました。当時、小さかったから良く知りませんが、この飛行場は、終戦後しばらくは、アメリカの駐留軍が使っていました。この頃は、アメリカ軍のし放題で、ジェット機が必要以上に低空を飛び、窓ガラスが割れたことがありました。飛行場からの砂ぼこりのため、どこの家もいくら掃除をしても家の中が、砂だらけであったことを覚えています。このようなことは、仕方がないことで、誰も苦情をいうことすら知らなかったと思います。

当時は、子供ですから、それほど、貧しいと思った記憶はありません。親は食べるものも食べないで我々子供を育ててくれたのだと思います。とにかく、全員が、貧しかったので、どれほど、ボロボロの服を着ていようが、穴のあいた靴を履いていようが恥ずかしいことはありませんでした。

 どこの家でも、お正月は、頑張って新しいものを買って初詣などに出かけましたが、その頃は、2~3年持つように、少し大きめの服を買ってもらいました。あまりにも、新しいのと、余りにも大きい服なので、歩いている間、恥ずかしい思いをしたのを覚えています。

 その貧しさと比べようにないほどの世界がありました。とは言うものの、その世界は知らないのですが。飛行場から少し離れたところに、グリーンいっぱいの芝が植えられた広大な山の傾斜地がありました。そこは、アメリカ軍将校の家族が住むところだと聞いていました。兵隊はどこに住んでいたのか知りませんが、飛行場の中の兵舎だったと思います。

 このような環境の中で、生活をしていましたから、アメリカ人に接する機会は多かったのですが、一度、びっくりするような光景を見ました。確か、中学一年のころだったと思います。私が小学生のときに、同じクラスのおんなの子が、隣のクラスのおんなの子と、アメリカ人の兵隊と歩いていました。確かに、顔は見覚えがあるのに、パーマネント(当時は、このように言ってました) をあてて、綺麗な花柄の服を着ていました。一瞬でもあり、50年も前であるのに、未だに覚えているところをみるとショックが大きかったのだと思います。このような人をパンパンということは知っていました。半分馬鹿にしたようなところがありましたが、子供でしたから、男である私でも、すごくきれいだなと思いましたから、女の子ですと、羨ましく思ったかもしれません。

 何のことはありません。売春婦だったのですね。売春婦とはどのようなことをするのか知らなかった私ですが、印象は未だに残っています。その人は、今でも覚えていますが、家庭が貧しい人だったと思います。今から思えば、そのことで家庭を助けていたのかもしれません。60人近くいました同級生のうち、私が名前を覚えている女性は、10人ぐらいですが、その人の名前は、親しくも無かったのに、何故か覚えています。

 その頃の大人たちも、このような光景を見ていたでしょうが、誰も、この子供たちを助けることができませんでしたから、皆、見て見ないふりをしていたのではないかと思います。どれぐらい、ひどいものであったかは、生き残っている人は、喋るべきでしょう。

その後、アメリカは、延々と日本に駐留を繰り返し、日本人に性的被害を行っても、裁判権は、日本にはなく、すべて泣き寝入りでした。

パンパンをしなければ生きていけなかった人がおられたのですが、当時は、どのような仕組みであったのか知りません。

どのようなことがあったか、新聞に掲載された事件だけでも調べて、アメリカ下院議員に知らせてやらねばなりません。

致知』という雑誌がありますが、9月号において、上智大学名誉教授渡部昇一氏が、

「死者を鞭打たない風習は承知だが、あえて宮沢さんの大罪を問う」と題して、いくつかの苦言を呈しておられます。その中で、中国アメリカに対する認識の仕方に間違いがあったことを指摘されています。安倍首相も同じような認識で、4月にアメリカを訪問し、慰安婦問題は決着したと考えておられました。「アメリカは完全な三権分立の国なのだ」であることを理解していないからだと述べておられます。

ではどうするのかと言いますと、世界のメディアに対して、軍や国が慰安婦の強制連行に関わったというのは嘘であると説明することであると。

私は、その前に、どちらに転ぼう(調べますと当時の日本はけしからんことをしていたということになるかもしれません) が、国民に説明すべきであることは、昨日述べたとおりです。

渡部昇一氏は、昭和5年生まれですから、当時のことは、説明して貰わなくても分かっておられるでしょうが、殆どの人は知りません。渡部氏は、日本を占領していた時に、アメリカ軍は、アメリカ兵のための慰安所を開くように命令した命令書が残っていることを書いておられます。

アメリカの新聞が書いたのではありません。いくら三権分立の国と言っても、アメリカ国の名(下院)において、日本人はクズのように言われて、黙っておくわけにはいきません。

http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-115.html

おかしな世の中 パンパンを知っていますか?

 被占領地住民としての日本人の体験がリアルに回想される。

かってのクラスメートがその時華やかな服に身を包み、征服者と親しげに手を繋いで歩いている事への大きな驚き。ここに第一にあるのは、権力関係の跳躍だ、次に思春期の男性として華やかな女性そのものへのあこがれがある。考えてみるとあこがれというものは、上級の階層に所属する手に入らない女性へのあこがれというものが原型にあると考えても良さそうだ。彼女は手に入らない女性であるが、一方かってのクラスメートであるという強いつながりがあり手に入るべき女性でもある、書き手にとっては。

「このような人をパンパンということは知っていました。半分馬鹿にしたようなところがありましたが、子供でしたから、男である私でも、すごくきれいだなと思いましたから、女の子ですと、羨ましく思ったかもしれません。」

パンパンというものは、正視してはいけないものであることは強く言い聞かされたわけではなくとも、黙契としてしっかり中学生にも分かっていた。しかしそのようなタブーと目の前にいる少女との落差へのとまどい。そのとまどいを筆者は60年間捨てることなく保持してきたようだ。

「 その頃の大人たちも、このような光景を見ていたでしょうが、誰も、この子供たちを助けることができませんでしたから、皆、見て見ないふりをしていたのではないかと思います。どれぐらい、ひどいものであったかは、生き残っている人は、喋るべきでしょう。」

筆者は、被害者としてのパンパンという像に定位しようとする。

下院議会決議に対する「お前に言われたくないわ」という庶民の実体験から来る反発の一つである。

原爆の被害だけでなく、米兵の性暴力による被害も掘り起こされ、公に語られてしかるべきだろう。こうした問題を後世に正しく伝え、再び同じことが繰り返されな いよう、教育的施策を講じることが、アメリカ政府に要求されるべきであろう。http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/28/3

従軍慰安婦の問題は、「帝国主義、国家暴力、戦争と結びついた性暴力」の問題なのか? それとも天皇制という特異な国体を持つ日本という国家の特殊な問題なのか?

とりあえず前者のような普遍的問題であるとして考えていってよいだろう。

自ら自発的に自国民の女たちを占領軍の前に差し出しながら、そんなことはなかったフリをする。そして、パンパンの氾濫に対し、風紀の乱れだ、愛国心の欠如だと非難するのが上品な身振りだと大衆に教え込む。そのようなダブルスタンダードの結晶のような奴らは、強く侮蔑されるべきだろう。

パンパンを前にした少年のとまどい。*1

パンパンを直視せず民族の恥として忘れ去ろうとすることに筆者が荷担せず、とまどいを保持し続けたことを貴重な態度だと考える、わたしたちは。

パンパンの体験に近づこうとすることは、慰安婦の体験に近づこうとすることに類似する営みであるだろう。

この文章は結論としてなかった派的なそれを採用する。しかし、

慰安婦の自主性を強調する論」の否定の効果の方が大きいだろう。

*1:少し時代が遅れるが、東京郊外の基地周辺での酒井直樹の自身の体験の回想も参照すべき。pp14-16 isbn:9784791763504

返信2007/08/04 10:13:28
  • 33パンパンを知っていますか? noharranoharra 2007/08/04 10:13:28
    パンパンを知っていますか? パンパンを知っていますか?  パンパンは食べ過ぎてお腹がいっぱいなのではありません。 私は69歳です。終戦の年が、小学生一年生でした。現在の大阪空港の ...