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1ni0615ni0615   公文書焼却について

作成経緯・メンバーの確認のスレッドで、

話が発展しているようなのでここに移したらいかがでしょうか(笑)。

返信1 : 2007/06/24 12:16:55

13noharranoharra   燃えるペーパー

永遠に失われるもの

火葬場で焼けているのは老兵の屍だけではない

老兵の脳髄に刻まれていた

生々しい軍隊と戦場の記憶が

一枚のペーパーのように

青白い炎をあげて燃えているのだ。


 あるところに、上のような詩行が引用されていました。

井上俊夫氏の「燃えるペーパー」という詩の一部。

『詩と思想』5月号より

返信2007/06/25 08:03:38

14ni0615ni0615   12  Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

おや、仰っていたこととは裏腹に、

lunakkoさんの前言は中てにならず、

外地ではなくて内地の方をご存知だったのですね。

題名をかえなくっちゃね

日本語で書いてください。

自分で題名を書いて自分で変えなくっちゃね。って、ギャグですか?

どこが裏腹?

誰が外地って書きました?

敵に渡るとまずい資料は、現地で処理していたのは知ってますが、内地でそんな事があったんですか?

は、

1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立ったこと

に対してですよ?

>内地でそんな事があったんですか?

内地とはどこのことですか?

現地と内地はどう違うんですか?

訂正すれば済むことを、

どうしてlunakkoさんは居直って、毒気の有る言葉を吐くのですか?

あなたはこうやって掲示板をアラシているんですよ。

で、何が言いたいの?

あと、意味の無い引用が多すぎですよ。

正確に事実を捉えることの方が、史料を疎かにしか読まない人との論争より大切です。

あなたが、史料を疎かにしている証明は以下のとおりです。

軍は、8月23日に極秘以下のものを焼いてはいけないと命令を出した。

これは,

lunakkoさんの創作物語ではないですか? そんなことは、どこに書いてありますか?

ああ、8月28日ですね。すみませんね。

で、なにか問題でも?

lunakkoさん、まだあなたは間違えています。

いいですか、その時の陸軍軍務局長が「取り消し命令」を否定してるんですよ。

○徳田委員 こういうものを燒いたために、非常に障害になつておるのですが、この燒いたものを八月二十八日に燒いてはいかぬ、取消すという命令が出ておるのではありませんか。

○吉積證人 それには燒くことについてまでは出しておらぬのです。注意はしたと思いますが、

自分の創作もしくは妄想にしがみつく執念にはあきれ果てます。

極秘以下のものを焼いてはいけないと命令・・・

lunakkoさんの頭の中にこれがどうして浮かんだのでしょう?

返信2007/06/26 09:24:42

15ni0615ni0615   12  Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

早く、1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立ったことを証明してくださいよ。目撃者がたくさんいるんでしょ?

そんなに慌ててどうするんですか?

あなたが知りたいことがあったら、ワガママなお嬢様に傅く召使のように、「早速お答えを」と申し上げなくては成らないのですか?(笑)

「まずはここをお勉強してください。bbs:29:65 」

:

早く、慰安婦に関する資料が極秘以上で燃やされた事を証明してくださいよ。

「極秘以上」。

なるほど、あなたの創作はここにリンクしてたのですね。

そういえば、朝鮮総督府朝鮮軍にかんする文書が、アジ研にはめっぽう少ないですね。

それと、全部燃やされたのに

全部燃やされてはいないですよ。一部隠し持った人がいます。

なぜ慰安婦に関する資料が現存するのか

発見されたのは、多くが昭和13年ごろの文書ですね。それらが、隠されていた文書の一部なのか、燃やされずに残ったものの一部なのかは私にはわかりません。

防衛省の資料室が、

  • 残っているもの、
  • 残っていないもの、
  • 文書の欠番リスト、
  • どこに何が残っていたのか、

そうした文書についての履歴をきちんと調査して、発表してくれるとありがたいですね。

返信2007/06/27 18:28:14

16lunakkolunakko   14  Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

上記の質問に答えるまではコメントしないつもりだったのですが、また、揚げ足取りをされているようなので。

現地と内地はどう違うんですか?

現地とは命令書を受け取った場所ですよ。

内地で受け取る場合もあるし、外地の場合もある。

あなたが外地の事のみと解釈した理由を教えていただけますか?


訂正すれば済むことを、

どうしてlunakkoさんは居直って、毒気の有る言葉を吐くのですか?

あなたはこうやって掲示板をアラシているんですよ。

私の提出した資料も知らず、何の知識もないままに、「公文書焼却について」などというタイトルのスレッドを立て、挙句の果てに日本語も理解できずに人を批判する。

しかし批判するだけで、こちらの質問には答えない。

答えられないから、揚げ足取りもしくは論点のすり替えによって逃げようとする。

こういう人の事を、アラシというのですよ。

揚げ足取りはいいので、私の上記の質問に答えてくださいよ。


lunakkoさん、まだあなたは間違えています。

いいですか、その時の陸軍軍務局長が「取り消し命令」を否定してるんですよ。

○徳田委員 こういうものを燒いたために、非常に障害になつておるのですが、この燒いたものを八月二十八日に燒いてはいかぬ、取消すという命令が出ておるのではありませんか。

○吉積證人 それには燒くことについてまでは出しておらぬのです。注意はしたと思いますが、

自分の創作もしくは妄想にしがみつく執念にはあきれ果てます。

極秘以下のものを焼いてはいけないと命令・・・

lunakkoさんの頭の中にこれがどうして浮かんだのでしょう?

ああ、命令を命令書と書けばよかったですか?すみません。訂正しておきますね。

で、あなたの指摘は慰安婦とどういう関係があるのですか?

まさか、私の批判「のみ」がしたいわけではありませんよね?

批判は何の議論も生み出しませんからね。


あなたは自分で引用した日本語で書かれたこの文章を理解してます?

○吉積證人 それには燒くことについてまでは出しておらぬのです。注意はしたと思いますが、燒きまし先のは十四日の晩くらいから燒いておりますので、これは実際は通知を出しましたけれども、実情は通知を受ける前に燒いたところが相当あります。これはもう軍の習慣といたしまして、たとえば軍が重囲に陷るというときに終計機密書類を燒くとか、そういうくせから燒いたのだろうと思いますが、命令を出す前に燒いたと私は思います。

機密書類を焼くのは当時の情勢からしてあたりまえ。

しかし、機密でもなんでもない資料を焼いたところがあると知って、極秘以下の資料は焼いてはいけませんよ、と言う注意の書かれた命令書を出した。

私はこう理解したのですが、あなたは?


で、慰安婦関連の資料と公文書焼却との関連についてのお答えはまだですか?

早く、1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立ったことを証明してくださいよ。目撃者がたくさんいるんでしょ?

早く、慰安婦に関する資料が極秘以上で燃やされた事を証明してくださいよ。それと、全部燃やされたのに何故、慰安婦に関する資料が現存するのか教えてくださいよ。
返信2007/06/26 11:00:09

17lunakkolunakko   15  Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

そんなに慌ててどうするんですか?

あなたが知りたいことがあったら、ワガママなお嬢様に傅く召使のように、「早速お答えを」と申し上げなくては成らないのですか?(笑)

答えられないのですか?


「ワガママなお嬢様、まずはここをお勉強してください。bbs:29:65 」

は?


「極秘以上」。

なるほど、あなたの創作はここにリンクしてたのですね。

そういえば、朝鮮総督府朝鮮軍にかんする文書が、アジ研にはめっぽう少ないですね。

は?

全部燃やされてはいないですよ。一部隠し持った人がいます。

慰安婦に関する資料が極秘以上のものだとすれば、軍命令違反ですね。

で、慰安婦に関する資料が極秘以上だとする根拠は?

慰安婦に関する資料が極秘以下だとしたら、軍が慰安婦に関する資料を隠滅したというあなた方の主張とは相反するのですよ?


なぜ慰安婦に関する資料が現存するのか

発見されたのは、多くが昭和13年ごろの文書ですね。それらが、隠されていた文書の一部なのか、燃やされずに残ったものの一部なのかは私にはわかりません。

わからないのですか。新聞記事にまでなるような極秘資料って、本当に極秘資料なのですか?


防衛省の資料室が、

残っているもの、

残っていないもの、

文書の欠番リスト、

どこに何が残っていたのか、

そうした文書についての履歴をきちんと調査して、発表してくれるとありがたいですね。

で、慰安婦の資料との関係は?

返信2007/06/26 10:29:20

18ni0615ni0615   16  Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

現地とは命令書を受け取った場所ですよ。

内地で受け取る場合もあるし、外地の場合もある。

これはあなたの言葉です

現地で処理していたのは知ってますが、内地でそんな事があったんですか? bbs:26:3

:

:

ああ、命令を命令書と書けばよかったですか?すみません。訂正しておきますね。

それは間違いを拡大しただけです。

批判は何の議論も生み出しませんからね。

おやおや、

私はあなたが間違ったことを無恥にも繰りかえすから、その間違いを指摘するだけです

しかし、機密でもなんでもない資料を焼いたところがあると知って、極秘以下の資料は焼いてはいけませんよ、と言う注意の書かれた命令書を出した。私はこう理解したのですが、あなたは?

それはどこにも書いてないどころか軍務局長が否定しています。

で、慰安婦関連の資料と公文書焼却との関連についてのお答えはまだですか?

早く、1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立ったことを証明してくださいよ。目撃者がたくさんいるんでしょ?

早く、慰安婦に関する資料が極秘以上で燃やされた事を証明してくださいよ。それと、全部燃やされたのに何故、慰安婦に関する資料が現存するのか教えてくださいよ。

すでに答えましたよ。bbs:26:15

ぺたぺた同じモノを貼るのは、アラシの特徴ですから気をつけてください。

返信2007/06/26 12:21:12

19ni0615ni0615   17  Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

答えられないのですか?

は?

「ワガママなお嬢様、まずはここをお勉強してください。bbs:29:65 bbs:25:69 」

これが答えですけど。失礼しましたリンクエラーでしたね。ごめんなさい。

慰安婦に関する資料が極秘以上のものだとすれば、軍命令違反ですね。

で、慰安婦に関する資料が極秘以上だとする根拠は?

慰安婦に関する資料が極秘以下だとしたら、軍が慰安婦に関する資料を隠滅したというあなた方の主張とは相反するのですよ?

頓珍漢なことをいうまえに、これもお勉強してね。bbs:25:69 

返信2007/06/26 12:32:03

20ni0615ni0615   防衛研究所も認める「大半は終戦時に焼却」

防衛研究所も認める「大半は終戦時に焼却」

http://www.nids.go.jp/military_history/military_archives/index.html

[ 戦史史料の紹介 ]

防衛研究所では、戦史の調査研究と戦史の編さんを行うために、陸海軍にかかわる史料の収集を行いました。史料の大半は終戦時に焼却され、あるいは戦後の混乱により散逸してしまいました。焼却をまぬがれたものは米軍に押収され、米国国務省公文書部の保管するところとなりましたが、長い外交交渉の末、昭和33年4月にようやく我が国に返還され、その大部分が防衛研究所に所蔵されています。

これら米国返還史料のほか、戦後厚生省復員局が整理保管していたもの、防衛研究所が自ら収集したものを含め、防衛研究所図書館史料室が保管する明治期以来の旧陸・海軍公文書類等は約150,000冊(陸軍史料約54,000冊、海軍史料約37,000冊、戦史関連図書等約59,000冊)にのぼっております。

:

史料の主なものを挙げれば次のとおりです。

:

陸軍関係

陸軍省大日

陸軍省が編集した明治元年から昭和17年までの公文書(*)で、密大日記、陸支密、陸満密等の約20種の項目に区分されています。

・ 陣中日誌・戦闘詳報等

日本陸軍の創設から昭和20年終戦までの諸戦闘記録で、部隊が作成した公文書です。

:

海軍関係

海軍省公文備考

海軍省が編集した明治9年から昭和12年までの公文書で、教育、艦船、兵器等の20種の項目に区分されています。

・ 戦時日誌・戦闘詳報等

日清戦争日露戦争・第1次大戦・大東亜戦争の諸戦闘記録で、艦隊等が作成した公文書です。

明治元年から昭和17年までの公文書(*)これは、空襲を避け市谷の陸軍省から疎開先に移されたものが、後に米軍に接収されたものだとすれば平仄が合う。

しかしこれが、返還されたものの、すべての公開が政治的配慮のためか公開されていないという。

http://www.asahi.com/international/aan/report/h_r2002_010622_02d.html

◆資料公開、独立機関で

提言(2) 歴史資料の保存と情報公開を進める。歴史的公文書は担当官庁から独立した国立公文書館で広く利用できるようにする。

 戦争に関する日本政府関係の文書の多くは終戦時の政府の方針により降伏決定後、焼却された。戦争犯罪追及に直結する多くの陸海軍文書も同じ運命をたどる。後の実証的な歴史研究にとって大きな障害となったのは言うまでもない。

 米国が58年になって日本側に返還した接収文書の一つは、42年前半以前の陸軍文書。空襲を避けるため、東京都南多摩陸軍省地下倉庫に移してあったのを進駐軍が持ち帰った。返還後は、防衛庁防衛研修所(現在の防衛研究所の前身)戦史室が保管・整理に当たり、現在に至っている。

 ところが不思議なことに、防衛研究所は米側関係者が返還したと証言した七三一部隊の関連文書がないという。防衛研究所に通う歴史研究者からは、七三一部隊のほか、イペリットなど致死性の猛毒を使った毒ガス戦についても肝心な資料が非公開になっているとの指摘がある。

 歴史研究の領域に入った資料の公開は、防衛研究所のような特定の担当官庁付属機関ではなく、国立公文書館国会図書館のような独立した機関にゆだねる制度に変えるべきだ。

返信2007/06/26 14:38:41

21ni0615ni0615   暗号電報で処分命令

http://www.asyura.com/2002/bd18/msg/896.html

朝日新聞』2002年7月18日(木) 第1面左上

日本軍、大量の「機密」処分を命令 終戦直後

 敗戦の直後、日本軍が組織的に公文書を処分していたことが、米国で公開された資料

から浮かび上がった。外交上不利益になる公文書の焼却などを指示する日本軍の暗号

信を、米側が傍受し解読していた。軍による公文書の処分については、証言などでは残

っているが、裏付ける資料はほとんどなかった。

 この米側資料は「マジック 極東概略」。米陸軍省が、第2次世界大戦中に解読した

日本軍の暗号通信を要約し、関係部門に配っていた速報だ。「日本の戦争責任資料セン

ター」研究事務局長の林博史・関東学院大教授現代史)が米国公文書館で入手し

た。

:

 資料によると、処分の指示は45年8月15日午前0時に始まった。

:

 「ご真影や連隊旗、天皇の手によって書かれた書類を集め、部隊指揮官は崇拝の念を

もって焼却せよ」と、陸軍省が主な野戦司令部に命令した。玉音放送が敗戦を告げた同

日午後には、陸軍の機密文書と重要書類は、保持している者が焼却せよ」と命令を追

加。

:

 翌16日、海軍省軍務局長が主な指揮官に向け、「敵の手に落ちたとしても、帝国に

とって外交上不利にならないもの」を例示。捕虜のリストや死亡記録は保持するように

指示し、暗にほかの文書の処分を求めた。

:

 前線に近い部隊になるにつれ、処分対象の指示は具体的になった。

:

 同月20日、上海にある支那方面艦隊は、将校の登録簿や勤務経歴を「即座に焼却せ

よ」とした。戦争責任を追及される際に、だれがどこに配属されていたかが分からない

ようにするためとみられる。

:

 インドネシア海軍第23根拠地隊は8月24日、「化学戦用機材」や、人体に命中

すると体内ではじけて傷を大きくし、残酷を極めるとして1899年のハーグ会議で使

用禁止が宣言されていた「ダムダム弾」の処分を命じた。明らかになれば国際的な批判

にさらされることを恐れたようだ。

:

 戦争犯罪を裁いた東京裁判に詳しい吉田裕一橋大学院教授(日本近現代史)は

戦犯追及に備えて関係資料は徹底的に処分されたが、それを裏付ける資料がまとまっ

て出たのは珍しい」と言う。林教授は「軍にとって何が都合が悪いかを冷静に識別し、

組織的に処分したことが分かる」と話す。(05:57)

http://www.asahi.com/national/update/0718/004.html

返信2007/06/26 14:48:56

22ni0615ni0615   阿南陸相未亡人インタビュー「市ヶ谷台の弔火」

http://www.geocities.jp/yuzukoseu/page028.html

8月15日市ヶ谷台の弔火:

昭和47年、元毎日新聞記者大森実は週刊誌週刊現代」掲載の「直撃インタビュー」の取材のため、長野県にて出家中の綾未亡人にインタビューを行った。当時、実弟竹下正彦(軍務局国内班長、中佐、戦後陸上自衛隊幹部学校長歴任の後退官)は存命していたが、未亡人はかなり卒直な証言を残している。

  • 阿南:もうあのころは敵軍の部隊が上陸するとかいう情報がずいぶん盛んでございまして。11時ごろ林さんという秘書官の方が迎えに来てくださいました。その車で官邸に参りました。
  • 大森:朝の5時ごろの最後の模様は弟さんからお聞きになりましたか?
  • 阿南:そのとき弟がおりましたんですが、縁側で自決したらしゅうございますね。それで、次男の写真を床の間に飾って…
  • 大森:ああ、戦死なさった…
  • 阿南:はい、そして自分の軍服もその脇にすっかり並べておいて、自分はワイシャツだけになりまして、それで縁側で自殺したらしいんでございます。
  • 大森:軍服はあとで着せろというわけでしょうね。
  • 阿南:はあ、それで弟が「介錯しましょうか」って申しましたそうです。けれども、もう「介錯はいらないだろう、そのためにいままで剣道もしてきたんだから」って申しましたそうです。
  • 大森:剣道何段でございますか。
  • 阿南:段はいただかないんでございますけど、まあちょっと相当だったらしゅうございます。

(中略)

  • 大森:弟さんには、自分の自決と言うことをお話になっているわけですね。
  • 阿南:はあ、それはもうみんな知っていたらしゅうございます。副官はもちろん、官邸におります憲兵さんでもなんでも…
  • 大森:弟さんも?
  • 阿南:はい、弟はもう知っておりまして、それで「介錯しよう」って申したそうでございますけどもね、「介錯はいらん」ということで。

:

(このあと、使った短刀(御下賜金で作った)や遺書の話のあとで、15日の火葬の話にもどる。市ヶ谷士官学校にて阿南は荼毘に付された)

:

  • 大森:士官学校の中に、そういう火葬の設備があるんですか。
  • 阿南:いえいえ、設備はございません。そのときは特別に。まあ、他に行きようもございませんしね。そんなもんで、自分たちの育った士官学校のところが、と言うような意味もございましたか。そこに参りました。
  • 大森:元の士官学校といいますと場所は?
  • 阿南:市ヶ谷でございます。
  • 大森:そうすると市ヶ谷士官学校の校庭かなんかで火葬に。
  • 阿南:はい。そこに日露戦争のときにぶんどった大砲などがございまして、そこで皆腰掛けて遊んだとこだそうでございます。車を降りましてそこまで行きますところは、秘密書類かなんか焼きましたかで熱うございましたよ。草履の下からポカポカと。

:

終戦時の陸軍大臣阿南惟幾は8月15日朝、陸相官邸で自決した。

:

当時三鷹私邸にはたまに帰宅するだけで、ほとんどを官邸で起居してため、阿南綾夫人は当時の彼の日常についてはほとんど把握できなかったようだ。

:

最後に私邸にもどったのは8月11日、ほとんど唐突な帰宅だったという。そして、翌朝には緊急の呼び出しにより出仕することになり、これが生前の別れととなった。

:

昭和20年8月15日朝7時過ぎ、竹下から大臣自決の第一報を電話にて受けた。そして11時、陸軍大臣秘書官林三郎(大佐)とともに車で都心に向かうことになった。

:

官邸で遺体と対面、その後即日荼毘に付し、翌朝葬儀を市ヶ谷陸軍士官学校(後、東京裁判会場。現在跡地には防衛庁本庁舎が建つ)にて実施されることを告げられた。

:

このとき、荼毘、葬儀に付されたのは阿南一人ではない。

:

前夜、近衛師団長殺害に端を発した近衛連隊の叛乱騒ぎの「首謀者」と後言われることになった畑中健二(軍務局軍務課員、少佐)、椎崎次郎(同、中佐)と一緒であった。

:

陸軍省『機密終戦日誌』にいわく。

:

次官閣下以下ニ報告

十一時二十分、椎崎、畑中両君宮城前(二重橋ト坂下門トノ中間芝生)ニテ自決。午後屍体ノ引取リニ行ク 大臣、椎崎、畑中三神ノ荼毘、通夜、コレテ以テ愛スル我ガ国ノ降服経緯ヲ一応潤筆ス陸軍省

:

ようするに三人とも「神」なのである。しかし、陸軍大臣(大将)と中佐、少佐風情は同列に扱えるものだろうか?そして、式場である市ヶ谷とは、このとき三宅坂陸軍省参謀本部から運び込んだ膨大な機密資料を廃棄焼却するため文字通り灰神楽が立っている現場、しかも、これはその日のうちに急遽処置なのである。

:

陸軍はあきらかにこの3名につながりがあり、一刻も早く忘れ去りたいと念願しているかのようである。

:

さらに奇怪なことがある。叛乱事件に連座した近衛師団参謀古賀秀正少佐(森師団殺害後の命令書偽造者、東条英機女婿)は、やはり8月15日午前、近衛師団司令部で自決しているが、彼の遺体のみは用賀の東條邸に送られ、17日に密葬をされている。そして、叛乱関与者の何名かがその後東條邸に出入りし続けているのである。

:

また、阿南夫人の証言によると、竹下からの一報の際、「まだ息があるのか」という質問に竹下があるかもわからんが、もうだめかもしれん、というような答えをしたと言う。

:

通説によると自決時刻は朝3時以降。美山要三(大佐)が駆けつけて、死亡を確認したのが7時15分とされる。介錯不要と言われて傍観したとしても、竹下は割腹した人間を4時間も放置したことになってしまう。自決そのものは種々考え合わせると6時以降ではないか。すると、なぜ、戦後この部分でウソの証言をしたのかと言うことになる。

:

3時とは、近衛師団長殺害想定時刻(2時)以降、偽命令により近衛連隊が宮中に入城した時刻にあたる。この間、井田正孝(軍務局軍事課、中佐)、そして暗殺グループのメンバーと目される窪田兼三(陸軍通信学校、少佐)があいついで報告に駆けつけている。

:

そして、5時頃、東部軍司令官田中静壱(大将)の指揮のもと、反乱鎮圧と侵入部隊の無血撤収が成功した。

:

一方、3時から夜明けまでの間に三宅坂では何があったのか?

:

  • 大森:お葬式には天皇から勅使かなにか…
  • 阿南:いえいえ、そういうことはいっさいございません。で、あの集会場で葬式をいたしましてね。
  • 大森:あの学校の講堂ですね。
  • 阿南:そのときに、朝いっしょに宮城前で自決されました若い方二人と三人いっしょにお葬式でございます。集会場かなんかでございましたわね。陸軍士官学校の生徒の方は全部参ってくださいましてね。まあ、そのときなどは、なかなか憤慨している方も若い方達には多ございましてね。なごやかなお葬式じゃございませんのよね。
  • 大森:憤慨といいますと?
  • 阿南:まあ、陸軍は降参しないつもりでおりましたからね。もめはいたしませんけど、皆が納得しない顔で焼香されましたよね。
  • 大森:そうですか。それはまあ、ご遺族としてわかるわけですね。
  • 阿南:いえ、それはもう遺族でなくても、一目見れば皆興奮しておりますからね。そりゃあの時の状態と言うものは、ただの普通には考えられません。火葬にいたしまして、翌朝そのお骨を拾ってそれから…
  • 大森:お葬式があるわけですね。
  • 阿南:はあ、で、私どもがその上で休んでおりますと、下で燃えてるのが見えるのでね。ほんとうにイヤでございましたよね。

:

陸軍大将とは天皇により親任式を行って任命される職階であり、国務大臣も大命降下を要する。その人物の慶弔に関しては当然勅使が派遣される。これは戦時であろうと敗戦であろうと、また、不祥事、任務失敗による退場だろうと、官制変更がなされていないうちは変更はない。

:

つまりこの場合、その葬儀、しかも省によるオフィシャルなものに勅使派遣がないということは、考えられない事態といえる。強いて考えるなら、現行の体制に対して反逆を企てる、すなわち大逆の嫌疑しかありえないのではないだろうか。

:

(参考資料:「戦後秘史2 天皇原子爆弾」大森実著 講談社 大森は)

返信2007/06/26 15:07:46

23ni0615ni0615   高級幹部が飛び回って慰安婦拉致の証拠書類を焼却している

霍見芳浩ニューューヨーク市立大学教授特別寄稿

より

http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2007/tsurumi_write.html

『日本人の安全と暮らしを損なう安倍「欠陥」首相

『ニューリーダー』(2007年4月号)

ニューヨーク市立大学教授 霍見芳浩

:

安倍日本の醜い姿

(略)

安倍外交の二大失敗

(略)

河野内閣官房長官談話

(前略)

 しかし、一議員時代ならいざ知らず、首相になった今、安倍首相は、自民党内外の国粋右派におもねて、「日本軍による慰安婦の強制拉致の命令書が無いから、日本軍の関与は認められない」などと詭弁をふりまいている。言うなれば、殺人に使った凶器を捨てておいて、「この凶器が見つからないから、殺人はしていない」と開き直り、多くの目撃者証言や物的傍証を「ねつ造」だと強弁するのと変らない。ドイツはじめ欧米のネオ・ナチ右翼達が「ナチス独によるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)や性奴隷化はなかった」というウソ八百の詭弁と同じである。

 河野衆議院議長に聞けば分かることだが、敗戦直前に、当時の内務省陸軍省の高級幹部が植民地と占領地を飛び回って、日本軍による慰安婦拉致の証拠書類を焼却している。問題の証拠はまだ見つかっていないとしても、被害者や現地女性拉致に関与した元日本兵士の数々の証言で国際法廷の審議に叶うものがある。また、占領したインドネシアでは、捕虜にしたオランダ人女性を将校用の性奴隷にした証拠もあり、敗戦後に、オランダ軍事法廷は責任者の日本人将校死刑にしている。フィリピンでも同じである。それなのに、桜井よし子メガホンは、「インドネシアオランダ人女性の性奴隷はたったの2か月間だったから問題ではない」と言う。一度や二度はレイプではないと言うのと同じである。こんな頭だから、「従軍慰安婦ではなかった」などとも言う。朝鮮人奴隷を日本軍は軍用船で南洋の島々の基地に「移動慰安」をしていたのにである。

(後略)

日本の名誉回復

(略)

(略)の部分が実は重要です

返信2007/06/26 15:35:02

24ni0615ni0615   天木 直人:各省の倉庫には夥しい文書が眠ったまま

http://www.amakiblog.com/archives/2007/04/13/

慰安婦問題の解決は徹底した調査しかない

(前略)

 敗戦時に証拠隠滅で多くの文書が焼却されたとしても、各省の倉庫にはおびただし量の文書が未調査のまま残っている。存命している当事者はまだ生きている。私もかつて国会答弁を作成する為に外務省の書庫で調べ物をした事があるが、その時知ったのは、幹部から平の職員に至るまで、外務省の職員がまったく知らない書類が山のように書庫に眠っているという事実だ。それを調べれば良いだけの事だ。それを官僚はやろうとしないのである。しかも調べるとまずい事実が明らかになるからやめようという明確な政策判断で調査をしないのであればまだわかる。しかし実態は単なる怠慢でしかないのだ。そんな面倒な事よりも、目先の事態を政治的に乗り切る事が処世術であるのだ。

:

 軍の強制があったかどうか、狭義の強制なのか広義の強制なのかと言った判断を急ぐ必要はまったくない。慰安婦問題に関わるあらゆる事実関係を一つ一つ確認し、それを羅列して公表すればいいだけの話である。そうすれば驚くほど膨大な恥ずべき事実があった事を我々は知らされるであろう。強制されたかどうかなどという瑣末な話は吹っ飛ぶに違いない。

(後略)

返信2007/06/26 20:47:32

25lunakkolunakko   19  Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

bbs:25:69の資料及び、ぐだぐだと羅列した資料の中のどこに私の質問の答えがあるのですか?

早く、1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立ったことを証明してくださいよ。目撃者がたくさんいるんでしょ?

早く、慰安婦に関する資料が極秘以上で燃やされた事を証明してくださいよ。それと、全部燃やされたのに何故、慰安婦に関する資料が現存するのか教えてくださいよ。

「46年1月3日付覚書では、他の場所に移動させた公文書の原保管場所への復帰、公文書を焼却した場合の写しの作成を命じ、続いて7月24日付指令では、『昭和16年6月1日から同年12月8日までの間に開催されたすべての閣議、連絡会議及び御前会議の議事録の確証された写しを一通』提出するよう命令があった。さらに、10月3日付指令では、『1941年7月1日以降同年12月31日に至るまでの期間における閣議決定事項全部に関する報告書をGHQ国際検事局(IPS)に提出するやう』命令があり、『右報告書提出不可能の場合はその理由を附してその旨報告し、また関係書類がすでに焼棄済の場合は焼棄の日付及び焼棄を命じた責任者の氏名を報告しなければならぬ』と釘をさしている。」(同135頁)

また、公文書の最重要書類については、焼却指示にもかかわらず、所轄の軍将校が、隠匿し、GHQの追求から逃れた。

慰安婦関連の書類は最重要書類なのですか?それとも、燃やされたのですか?どっち?

返信2007/06/26 22:47:25

26lunakkolunakko   18  Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

現地とは命令書を受け取った場所ですよ。

内地で受け取る場合もあるし、外地の場合もある。

これはあなたの言葉です

現地で処理していたのは知ってますが、内地でそんな事があったんですか? bbs:26:3

で?内地は現地ではないのですか?

もう一回書いておきますよ?

敵に渡るとまずい資料は、現地で処理していたのは知ってますが、内地でそんな事があったんですか?

内地でそんな事があったんですか?

は、

1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立ったこと

に対してですよ?

ああ、命令を命令書と書けばよかったですか?すみません。訂正しておきますね。

それは間違いを拡大しただけです。

日本語、読めないんですね・・・。もう一度、声に出して、該当文章を読んでみたら?

それで判らないのであれば、日本語の勉強をした方がいいですよ。


批判は何の議論も生み出しませんからね。

おやおや、

私はあなたが間違ったことを無恥にも繰りかえすから、その間違いを指摘するだけです

しかし、機密でもなんでもない資料を焼いたところがあると知って、極秘以下の資料は焼いてはいけませんよ、と言う注意の書かれた命令書を出した。私はこう理解したのですが、あなたは?

それはどこにも書いてないどころか軍務局長が否定しています。

文章読んでないでしょ?

書き出しましょうか?


○吉積證人 この刷物の八枚目でありますか、二十年の八月二十八日に閣議決定がありまして、八月十四日の閣議決定を廃止するという意味の閣議決定がありました。これに基きまして軍需品等緊急処分変更に関する件という命令が出されたのだと思います。

軍務局長が命令を出したと認識していますが?


○徳田委員 こういうものを燒いたために、非常に障害になつておるのですが、この燒いたものを八月二十八日に燒いてはいかぬ、取消すという命令が出ておるのではありませんか。

○吉積證人 それには燒くことについてまでは出しておらぬのです。注意はしたと思いますが、燒きまし先のは十四日の晩くらいから燒いておりますので、これは実際は通知を出しましたけれども、実情は通知を受ける前に燒いたところが相当あります。これはもう軍の習慣といたしまして、たとえば軍が重囲に陷るというときに終計機密書類を燒くとか、そういうくせから燒いたのだろうと思いますが、命令を出す前に燒いたと私は思います。

ここにも、焼いてはダメとの注意が出ていると言っておりますね。


○下村證人 陸軍といたしましては、この八月二十八日の閣議決定の直後大臣命令を発しまして、――これはあとに書類があるかも知れませんが、私の記憶では、八月十四日に決められた軍需品の拂下、保管轉換は二十九日に止めろ、それからすでにやつたものの中で回收のできるものは努めて回收せよ、できないものは少くもその内容を明らかにしておけ、これだけのことを私は命じたと記憶しております。

ここにも命令が出たと書いてありますね。


あなた、日本語わかるんですか?


で、慰安婦関連の資料と公文書焼却との関連についてのお答えはまだですか?

早く、1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立ったことを証明してくださいよ。目撃者がたくさんいるんでしょ?

早く、慰安婦に関する資料が極秘以上で燃やされた事を証明してくださいよ。それと、全部燃やされたのに何故、慰安婦に関する資料が現存するのか教えてくださいよ。

すでに答えましたよ。bbs:26:15

ぺたぺた同じモノを貼るのは、アラシの特徴ですから気をつけてください。

答えてませんよ。

軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立った

に対しての答えが、市ヶ谷台についてしか貰えておりません。

アメリカ軍に占領されていた沖縄などの役所で、どのように公文書を焼いたのですか?


また、bbs:25:69に書いてある

閣議決定に基づいた各省庁での公文書の焼却」を「秘匿して行った」とは、どういう意味ですか?

閣議決定自体が秘匿されてたのですか?

返信2007/06/26 23:52:16

27ni0615ni0615   25  Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

bbs:25:69の資料及び、ぐだぐだと羅列した資料の中のどこに私の質問の答えがあるのですか?

ちゃんと読んでね。すぐわかるから。

早く、

早く、

すでに答えましたよ。bbs:26:15

慰安婦関連の書類は最重要書類なのですか?それとも、燃やされたのですか?どっち?

朝鮮台湾満州支那では、しっかり燃やされた可能性が高そうですね。bbs:26:23

内地で残っているのは42年前半以前の陸軍文書。bbs:26:20

返信2007/06/26 23:55:03

28lunakkolunakko   27  Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

bbs:25:69の資料及び、ぐだぐだと羅列した資料の中のどこに私の質問の答えがあるのですか?

ちゃんと読んでね。すぐわかるから。

まったくわかりませんが?

該当箇所を示していただけませんか?


すでに答えましたよ。bbs:26:15

まだ、答えて貰っておりません。

bbs:26:26をよく読んでください。

慰安婦関連の書類は最重要書類なのですか?それとも、燃やされたのですか?どっち?

朝鮮台湾満州支那では、しっかり燃やされた可能性が高そうですね。bbs:26:23

これは、

河野衆議院議長に聞けば分かることだが、敗戦直前に、当時の内務省陸軍省の高級幹部が植民地と占領地を飛び回って、日本軍による慰安婦拉致の証拠書類を焼却している。問題の証拠はまだ見つかっていないとしても、被害者や現地女性拉致に関与した元日本兵士の数々の証言で国際法廷の審議に叶うものがある。

妄言を信じているのですか?証拠がないと書いてあるのに、信じちゃうんですか?

敗戦直前に朝鮮台湾満州支那は、どこの国の占領下にあったのですか?


内地で残っているのは42年前半以前の陸軍文書。bbs:26:20

日本語わかりますか?

米国が日本側に返還した接収文書の一つは、42年前半以前の陸軍文書

と書いてあるのですよ?

あなたは、43年から、講和条約締結までの資料が残っていないと考えているのですか?

返信2007/06/27 00:06:02

29ni0615ni0615   20  焼却から逃れて防衛研究所に戻った陸軍文書

焼却から逃れて防衛研究所に戻った陸軍文書

大口は次の3系統か

  1. 接収史料米国が58年になって日本側に返還した接収文書の一つは、42年前半以前の陸軍文書。空襲を避けるため、東京都南多摩陸軍省地下倉庫に移してあったのを進駐軍が持ち帰った。bbs:26:20
  2. 個人隠匿史料:(例)「昭和20年8月14日大東亜戦争終戦に方り陸軍一般に保管書類焼却 の指令が出されたが、第二課〔参謀本部作戦課〕においては本大陸命(指)綴のみは焼却せず、庶務将校椎名典義中尉が都内某所に隠匿し、第一復員省(局)史実調査部(資料整理部)編成に伴い、占領米軍の公私に亘る一般資料追及の監視を避けて部長宮崎周一中将が自宅に保管した。bbs:25:69
  3. 厚生省(復員省)からの移管資料

(参考:防衛研究所史料公開状況)

日本近代史研究のABC

B.図書館を使う

2.防衛庁防衛研究所戦史部図書館史料閲覧室

http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/nationaldifence.html

から一部引用

 このように、空襲を避けるためにとられた一時的な疎開措置の結果、これらの資料が結果的には焼かれることなく残ったということになります。ということは、現在残っている軍関係資料は、参謀本部軍令部の資料をほとんど欠き、陸軍にあっては軍政関係の「陸軍省大日記」を中心としてもの、海軍にあっては軍政関係の内、機密・秘密以外の普通文書類「公文備考」に限られることになりました。

 しかもこれらの資料群には次の災難がふりかかったのです。日本の敗戦によって、WDC(Washington Document Center)による接収が始まりました。このアメリカの機関は、1944(昭和19)年半ばに成立し、もとは米陸軍省副官部の下部機関で、資料接収に当たるものとされており、1945年8月末から、1946年3月31日まで資料の接収作業を展開しました。この間の接収文書の点数が444,522点だったことはわかっています。しかし、1958年4月に返還された時には、「陸軍省大日記」の3分の1、「公文備考」の7分の1が返ってこなかったのです。つまり現存する「陸軍省大日記」と「公文備考」を全部閲覧しても、旧軍資料のごく一部しか見たことにはならないのです。

 とはいえ、当面は限られた資料で勝負しなければならないとすれば、陸軍省大日記はどのような利用価値があるのでしょうか。それについて、相澤淳「文書館史料館めぐり 防衛庁防衛研究所戦史部」(『日本歴史』1992年10月号、533号)によりながら見ておきましょう。陸軍省大日記は、1868(明治初)年から1942(昭和17)年分までが現存しています。大日記には幾つかの種類があり、分類方法は、大正期以降では、次のようになっています。

 ⅰ)甲輯 諸規則関係の普通文書綴。徴兵令など法律の改正などの書類はここに綴じられている。

 ⅱ)乙輯 甲輯以外の普通文書綴。

 ⅲ)密大日記 「秘」の区分のある文書綴。

 ⅳ)機密大日記 戦時動員関係など「機密」の区分のある文書綴。

(中略)

 ここで、前掲相澤淳氏のご論文による内容紹介によるものも補充しておきます。

・返還資料

①「陸軍省大日記」(7700冊)

②「公文備考」(11000冊)

③「陸軍戦時書類」

④「海軍戦時書類」

  日清戦役戦時書類(明治27~28)

  清国事変書類(明治33)

  日露戦役戦時書類(明治37~38)

  清国事変戦時書類(明治44~大正2)

  大正戦役戦時日誌(大正3~9)

  大正戦役戦時書類(大正3~9)

厚生省(復員省)からの移管資料

・個人・団体等からの寄贈資料

①服部史料・堀場史料日中戦争太平洋戦争期の国防政策に関する文書)

②宮崎史料(国防政策に関する文書1900-1945、参謀本部歴史草案および草案資料1871-1941)

③榎本史料海軍軍縮会議関係文書1921-1937)

千代田史料(日清日露戦争前後の上奏書類・記録など)

霞ヶ関史料海軍軍令部関係資料)

以上、陸軍関係83000冊、海軍関係33000冊。

他には

http://kins.jp/pdf/20hatano.pdf

が詳しそう

 

返信2007/06/27 00:55:04

30ni0615ni0615   28  Rex11: 44: lunakko 内地での文書焼却

最後をのぞいては、あなたの勉強が未だということですね。

頑張ってください。ゆっくり読めばわかりますから。

あなたは、43年から、講和条約締結までの資料が残っていないと考えているのですか?

いちいち、ズラすのはお辞めなさいね。

42年後半から終戦直後45年8月までの史料は殆ど残ってない、ということが

防衛研究所のサイトなどから読み取れます。bbs:26:20 bbs:26:29

返信2007/06/27 18:26:49

31ni0615ni0615   26  Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

軍務局長が命令を出したと認識していますが?

>命令が出されたのだと思います。

この言い回しは、自分のことではありませんね。他人事です。

焼いてはダメとの注意が出ていると言っておりますね。

あなたの解釈が、実際は命令を出したのだけど、命令権者として訴追されたくないので、「注意」とぼかしたということならば、かなり理解できます。

ここにも命令が出たと書いてありますね。

それは文書焼却のことですか? そうは書いてありませんね。

答えが、市ヶ谷台についてしか貰えておりません。

3日間燃えつづけたというリポートは市谷台のことです。

「全国一律3日間」というのは、lunakkoさんの創作Qですから、ご自分でAを探してください。

閣議決定に基づいた各省庁での公文書の焼却」を「秘匿して行った」とは、どういう意味ですか

命令、伝達を「秘匿して行った」と書いたと思いますが、ズラシの狙いは何ですか?

いちいちずらす時はこれからは、回答せずにズラシと同定することにします。

閣議決定自体が秘匿されてたのですか?

秘匿したかったけどできなかったのでしょうね。

極秘電報も米軍に解読されていたのですから。bbs:26:21

:

あ、それから、あなたがいう

日本語わかりますか?

という決り文句は、

逃げ口上でしかない

ということが分かりました。

返信2007/06/27 18:26:09

32lunakkolunakko   31  Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: 44: lunakko 内地での文書焼却

bbs:26:30への返事

最後をのぞいては、あなたの勉強が未だということですね。

頑張ってください。ゆっくり読めばわかりますから。

あなたは、43年から、講和条約締結までの資料が残っていないと考えているのですか?

いちいち、ズラすのはお辞めなさいね。

あなたが、ズルくみえるだけですから。

42年後半から終戦直後45年8月までの史料は殆ど残ってない、ということが

防衛研究所のサイトなどから読み取れます。bbs:26:20 bbs:26:29

読み取れませんよ?

もし、そう読み取れるのなら、日本語勉強しなさいな。


「42年後半から終戦直後45年8月までの史料は殆ど残ってない」との事ですが、現存する膨大な量の「42年後半から終戦直後45年8月までの史料」はどう説明するのですか?

あと、レスを分けて書くのはやめてくださいね。


この言い回しは、自分のことではありませんね。他人事です。

は?


あなたの解釈が、実際は命令を出したのだけど、命令権者として訴追されたくないので、「注意」とぼかしたということならば、かなり理解できます。

私は最初から注意と書いてますが?

「命令権者として訴追されたくないので」って何ですか?

閣議決定されたものを命令として出すのになにか問題でも?

あなたの頭の中では、公文書を焼く命令を出すのは悪い事となっているのですか?

世界中の戦争を行った国がしている行為では?


極秘以下の資料は焼いてはいけませんよ、と言う注意の書かれた命令書を出すと、訴追されるのですか?あなたの立場からすると、褒められる行為なのでは?

で、命令は出されたのですか?軍務局長が否定しているのですか?

ここにも命令が出たと書いてありますね。

それは文書焼却のことですか? そうは書いてありませんね。

前後の文章を読まれました?


答えが、市ヶ谷台についてしか貰えておりません。

3日間燃えつづけたというリポートは市谷台のことです。

「全国一律3日間」というのは、lunakkoさんの創作Qですから、ご自分でAを探してください。

創作は野原さんがしたのでしょう?

1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立った

は、野原さんの書いた文章ですよ?

軍を始めとする日本の役所が市ヶ谷台「だけ」なのですか?責任の擦り付けですか?


閣議決定に基づいた各省庁での公文書の焼却」を「秘匿して行った」とは、どういう意味ですか

命令、伝達を「秘匿して行った」と書いたと思いますが、ズラシの狙いは何ですか?

いちいちずらす時はこれからは、回答せずにズラシと同定することにします。

公にされた閣議決定を実行するために「命令伝達を秘匿して」行うという行為の意味は?

と聞いているのです。

ずれているのは質問の意図も読めないあなたの方ですよ。


閣議決定自体が秘匿されてたのですか?

秘匿したかったけどできなかったのでしょうね。

閣議決定を秘匿する意図は?


極秘電報も米軍に解読されていたのですから。bbs:26:21

そんな当たり前の事実をいまさら言う意図は?

戦争中のほとんどの日本の暗号は解読されているのでは?


あ、それから、あなたがいう

日本語わかりますか?

という決り文句は、逃げ口上でしかないということが分かりましたので、今後は、あなたこそ!

という決り文句で答える事にしましたので、よろしく。

いえ、ただ単にあなたの日本語読解力が不足しているのですよ。

以前から、私の書いた文章を捏造してましたしね。

あなたは日本人なのですか?

日本の義務教育を受けられました?



私の質問は、以下です。

ぐだぐだ書かずに、ソースを示すだけでいいですので、答えて貰えますか?


敗戦直前に朝鮮台湾満州支那は、どこの国の占領下にあったのですか?

1945年8月15日から3日間ほど、「軍を始めとする日本の役所」で公文書を燃やす煙が立ったことを証明してくださいよ。

少なくとも、「軍」と、「日本の役所」の二箇所に於いては示してくださいね。

示せないのでしたら野原さんの創作になってしまいますよ?


慰安婦に関する資料が極秘以上で燃やされた事を証明してくださいよ。それと、全部燃やされたのに何故、慰安婦に関する資料が現存するのか教えてくださいよ。

慰安婦関連の書類は最重要書類なのですか?それとも、燃やされたのですか?どっち?

極秘以下の資料は焼いてはいけませんよ、と言う注意の書かれた命令書を出すと、訴追されるのですか?軍務局長が命令書が出た事をあなたの仰るとおりに否定しているのですか?

新聞の記事にまでなるような慰安婦関連の資料って、本当に極秘資料なのですか?
返信2007/06/27 10:16:49

33ni0615ni0615   32  lunakko

最後をのぞいては、あなたの勉強が未だということですね。

頑張ってください。ゆっくり読めばわかりますから。

あなたは、43年から、講和条約締結までの資料が残っていないと考えているのですか?

いちいち、ズラすのはお辞めなさいね。

あなたが、ズルくみえるだけですから。

42年後半から終戦直後45年8月までの史料は殆ど残ってない、ということが

防衛研究所のサイトなどから読み取れます。bbs:26:20 bbs:26:29

読み取れませんよ?

もし、そう読み取れるのなら、日本語勉強しなさいな。

あなたこそ!

「42年後半から終戦直後45年8月までの史料は殆ど残ってない」との事ですが、現存する膨大な量の「42年後半から終戦直後45年8月までの史料」はどう説明するのですか?

あるべき資料の一部でしかありません。

この言い回しは、自分のことではありませんね。他人事です。

は?

あなたこそ!日本語勉強しなさいな

「命令権者として訴追されたくないので」って何ですか?

閣議決定されたものを命令として出すのになにか問題でも?

あなたの頭の中では、公文書を焼く命令を出すのは悪い事となっているのですか?

世界中の戦争を行った国がしている行為では?

極秘以下の資料は焼いてはいけませんよ、と言う注意の書かれた命令書を出すと、訴追されるのですか?あなたの立場からすると、褒められる行為なのでは?

で、命令は出されたのですか?軍務局長が否定しているのですか?

ここにも命令が出たと書いてありますね。

それは文書焼却のことですか? そうは書いてありませんね。

前後の文章を読まれました?

戦争犯罪の証拠隠滅も実行責任者が特定されれば訴追されます

答えが、市ヶ谷台についてしか貰えておりません。

3日間燃えつづけたというリポートは市谷台のことです。

「全国一律3日間」というのは、lunakkoさんの創作Qですから、ご自分でAを探してください。

創作は野原さんがしたのでしょう?

1945年8月15日から3日間ほど、軍を始めとする日本の役所で公文書を燃やす煙が立った

は、野原さんの書いた文章ですよ?

軍を始めとする日本の役所が市ヶ谷台「だけ」なのですか?責任の擦り付けですか?

野原さんの文章は「全国一律3日間」ではありません。

あなたこそ!日本語勉強しなさいな

閣議決定に基づいた各省庁での公文書の焼却」を「秘匿して行った」とは、どういう意味ですか

命令、伝達を「秘匿して行った」と書いたと思いますが、ズラシの狙いは何ですか?

いちいちずらす時はこれからは、回答せずにズラシと同定することにします。

公にされた閣議決定を実行するために「命令伝達を秘匿して」行うという行為の意味は?

と聞いているのです。

ずれているのは質問の意図も読めないあなたの方ですよ。

閣議決定自体が秘匿されてたのですか?

秘匿したかったけどできなかったのでしょうね。

閣議決定を秘匿する意図は?

極秘電報も米軍に解読されていたのですから。bbs:26:21

そんな当たり前の事実をいまさら言う意図は?

戦争中のほとんどの日本の暗号は解読されているのでは?

戦争犯罪の証拠隠滅も実行責任者が特定されれば訴追されます

あなたは日本人なのですか?

日本の義務教育を受けられました?

答えが詰まると、外国人呼ばわりですか?

それも逃げ口上ですね。

私の質問は、以下です。

ぐだぐだ書かずに、ソースを示すだけでいいですので、答えて貰えますか?

ソースは示してますし、あなたが挙げたソースもあります。

あなたが読もうとしないだけです。

私はあなたという乳児の母親ではありませんから、いちいち噛み砕いて差し上げたりはしません。

敗戦直前に朝鮮台湾満州支那は、どこの国の占領下にあったのですか?

意図不明な質問です

1945年8月15日から3日間ほど、「軍を始めとする日本の役所」で公文書を燃やす煙が立ったことを証明してくださいよ。

少なくとも、「軍」と、「日本の役所」の二箇所に於いては示してくださいね。

示せないのでしたら野原さんの創作になってしまいますよ?

おなじことの繰り返しです。

慰安婦に関する資料が極秘以上で燃やされた事を証明してくださいよ。

あなたの妄想は私には証明できません。燃やされたと推定することに妥当性があります。その理由は既に示しました。しかし、官庁の地下室に眠っている資料を掘り起こせば出てくるかもしれません。

それと、全部燃やされたのに何故、慰安婦に関する資料が現存するのか教えてくださいよ。

燃やされたのは大部分です。

慰安婦関連の書類は最重要書類なのですか?それとも、燃やされたのですか?どっち?

意味不明な日本語です。

敗軍にとってはやばいから燃やす必要がある書類でしょう。

極秘以下の資料は焼いてはいけませんよ、と言う注意の書かれた命令書を出すと、訴追されるのですか?軍務局長が命令書が出た事をあなたの仰るとおりに否定しているのですか?

新聞の記事にまでなるような慰安婦関連の資料って、本当に極秘資料なのですか?

意味不明な日本語です。

新聞の記事にまでなるような慰安婦関連の資料って

って何のことでしょう? 意味不明な日本語です。資料名を具体的に!

返信2007/06/27 18:29:57

34ni0615ni0615   3  Re: 44: 美山要蔵は内務省とは関係なし

lunakkoさん

気になるんですが、美山要蔵の事ではないですよね?

内務省の裏で燃やしたんでしたっけ?

目撃者もおらず、三日三晩で全部の資料を燃やしたのですか?

あと、当時の内務省にはそんな権限無いでしょ。

美山要蔵と当時の内務省は関係なし。

美山要蔵大佐は8月15日に自刃した阿南惟幾陸軍大臣付きの陸軍省高級副官。

第一復員局(解体した陸軍省の残務)文書課長を経て、後に厚生省引揚援護局次長となる。

その旧陸軍厚生省援護局人脈が、A級戦犯靖国合祀の陰の力だととされる。

返信2007/06/27 18:31:02

35ni0615ni0615   Apeman氏ブログ:オンラインで閲覧できる一次史料(追記あり)

オンラインで閲覧できる一次史料(追記あり)

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070304/p1

コメント欄の討論も有用)

返信2007/06/27 15:40:58

36lunakkolunakko   33  Re:lunakko 相変わらずのぐじゃぐじゃ戦法

あなたが本当にバカな事がわかりましたよ。

あなたの頭は、日本軍の行為は全て悪である。という固定観念によって支配されているようです。

物事をさまざまな方面から見る事の出来ない人はあなたのようになるのでしょうね。

議論というものは、相手をただ単に批判するのではなく、相手の主張を理解し受け入れ、矛盾点はないか、資料を正確に読み取っているのか等の考察を行い、真実を知るために行われるものであるべきです。

また、論破とは、されるほうにもそれなりの頭が必要であり、論破されたと気付かないバカを論破するのは無理だということがよくわかりました。ありがとうございます。


慰安婦関連の書類も、日本軍にとってあるとまずいものであると考えておられるようですが、当時合法である売春婦の募集を業者に委託し、その管理を行うことは全く違法性が認められません。

違法性があるのならば、東京裁判で裁かれていたでしょうね。

また、日韓条約にも明記されるべき事象ですね。

当時のアメリカ軍も、ベトナム戦争時における韓国軍も慰安所を使用していましたし、日本軍「のみ」が非難されるべきものではありません。

現在の法を当時の状況に当てはめるのではなく、当時の状況及び法の存在下で物事を判断すべきです。


あなたへのレスはこれで最後にしますね。

罵倒でも批判でも好きにしてください。

私のブログにも書きこまないで下さいね。汚らわしいですので。

日本人なら、句読点はきちんとつけたほうがいいですよ。

返信2007/06/27 16:12:48

37ni0615ni0615   36  Re:Re:lunakko では、これにて。

lunakko:

あなたが本当にバカな事がわかりましたよ。

ni0615:

他人をバカといって人生が楽しいなら、どうぞいくらでも壁に向かって叫んでください。私に聞こえなければ、平和は妨げられません。

lunakko:

あなたの頭は、日本軍の行為は全て悪である。という固定観念によって支配されているようです。

物事をさまざまな方面から見る事の出来ない人はあなたのようになるのでしょうね。

ni0615:

固定観念?

そんなことはありませんよ。

とはいえ、私の2人の親戚は戦争で犬死しました。働き手を失ったその家族の苦労をわたしはさんざん聞かされ子供ながらに見ていました。いま、その大オジたちが戦争犯罪人と一緒に靖国に祀られて、ほんとうに気の毒だと、私は思っています。

私の親たちも東京大空襲で逃げ惑い、幸いにも生還できました。しかし多くの知人家族の惨劇を目の当たりにしました。もちろん私は生まれていませんが、さんざんその体験を聞かされて育ちました。私が戦争や軍隊を美化することに賛成できないのは、そうしたことがあるからかもしれません。

lunakkoさんは、史料に書かれていることを正確によみとる努力をすべきです。

私だってもちろん、まだまだ不十分ですが、

あなたのように「日本軍の行為は全て善」という信念をかざすのは、決して良いことではありません。

史料に都合が悪いことが書いてあるからといって、それをわざとズラシたり無視する、あるいは、論理的な議論を妨げるために、相手の言葉意味を平気で書き換えて平然としている。

あなたがたが、もしそれを「情報戦」だなんていって粋がっているのでしたら、とんでもないことです。どこやらの国の人がやっている「愛国無罪」と変わりないではありませんか。

lunakko:

議論というものは、相手をただ単に批判するのではなく、相手の主張を理解し受け入れ、矛盾点はないか、資料を正確に読み取っているのか等の考察を行い、真実を知るために行われるものであるべきです。

ni0615:

そこまであなたが奇麗事をいうなら、きちんと正確な史料引用をしてくださいね。

自分で史料に基づく立論はせず、

「これを否定してみなさい」とか「あれを証明してみなさい」の連発はいただけません。

lunakko:

また、論破とは、されるほうにもそれなりの頭が必要であり、論破されたと気付かないバカを論破するのは無理だということがよくわかりました。ありがとうございます。

ni0615:

そうですか。そうですか。

あなたが何を持って優越に浸っても、それはあなたの自由です。

lunakko:

慰安婦関連の書類も、日本軍にとってあるとまずいものであると考えておられるようですが、当時合法である売春婦の募集を業者に委託し、その管理を行うことは全く違法性が認められません。違法性があるのならば、東京裁判で裁かれていたでしょうね。また、日韓条約にも明記されるべき事象ですね。

ni0615:

東京裁判で裁かれなかったのは、違法性がなかったからではないでしょう。拉致問題だって、問題が顕在化するまでには、長い時間がかかっています。

lunakko:

当時のアメリカ軍も、ベトナム戦争時における韓国軍も慰安所を使用していましたし、日本軍「のみ」が非難されるべきものではありません。

ni0615:

ベトナム戦争におけるアメリカ軍韓国軍が「慰安所」というシステムを持っていたということは知りません。女性虐待の問題、性的虐待の問題はかなりあったでしょう。しかし、軍付属の性サービス施設を各部隊に設けて、軍が音頭をとって女性をそこに送り込むといった、軍管理の公娼制度は日本軍に特有のものです。

他国に避難すべき点があったらそれを批判すればいいじゃないですか。そのかわり、批判を受けることがあればそれを正直に認めるべきです。

lunakko:

現在の法を当時の状況に当てはめるのではなく、当時の状況及び法の存在下で物事を判断すべきです。

ni0615:

当時の法や世間常識に照らしても、誉められたことじゃあないから、色んな通牒を出したのでしょう。あまり大ピラにならないように苦慮しながら、慰安所・慰安婦制度を遂行した。

lunakko:

あなたへのレスはこれで最後にしますね。

罵倒でも批判でも好きにしてください。

ni0615:

あなたが慎むことは平静に成りますので大歓迎です。

lunakko:

私のブログにも書きこまないで下さいね。汚らわしいですので。

ni0615:

了解しました。

あなたのブログでも、個人中傷を目立たないようにしてくださいね。

http://d.hatena.ne.jp/lunakko/

おおっぴらにやられたら、反論せざるを得ませんから。

ではこれにて停戦ということにしましょう

【追記】

ありゃりゃ?!

lunakkoさん、ご自分のブログでは、

見苦しい個人中傷の貼りネタはそのままに、

それをご注意した私を、コメント欄アクセス禁止処分ですか。

http://d.hatena.ne.jp/lunakko/20070702

せっかく信頼して休戦のチャンスだったのに残念です。

もはや着ける薬はないようですね。

まあ、lunakkoさん、

ワガママに世間知らずに、好き勝手をおやりなさい。

返信2007/07/02 18:41:46

38: このエントリーは削除されました

このエントリーは削除されました

返信2007/07/04 00:55:46

39kmiurakmiura   書類焼却の写真(NARAアーカイブより)

"Researching Japanese War Crimes" (2006)

Published by the National Archives and Records Administration for the Nazi War Crimes and

Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group, 2006

http://www.archives.gov/iwg/japanese-war-crimes/introductory-essays.pdf

Introduction by Edward Drea

p9より。

Factors Influencing the Number of Documents in U.S. Possession

U.S. government agencies held far fewer records pertaining to Japanese war crimes than to Nazi war crimes. A major reason is that at war’s end, the Japanese destroyed or concealed important documents, which dramatically reduced the amount of evidence available for confiscation by U.S. authorities. How could this happen? At the time the Third Reich surrendered in May 1945, Allied armies occupied almost every inch of Germany. Document collection teams and specialists were on the scene and already confiscating Nazi records for use in announced war crimes trials. While the Germans, beginning in 1943, did engage in substantial efforts to obliterate evidence of such crimes as mass murder, and they destroyed a great deal of potentially incriminating records in 1945, a great deal survived, in part because not each one of the multiple copies had been burned. The situation was different in Japan. Between the announcement of a ceasefire on August 15, 1945, and the arrival of small advance parties of American troops in Japan on August 28, Japanese military and civil authorities systematically destroyed military, naval, and government archives, much of which was from the period 1942–1945. Imperial General Headquarters in Tokyo dispatched enciphered messages to field commands throughout the Pacific and East Asia ordering units to burn incriminating evidence of war crimes, especially offenses against prisoners of war. The director of Japan’s Military History Archives of the National Institute for Defense Studies estimated in 2003 that as much as 70 percent of the army’s wartime records were burned or otherwise destroyed.12

f:id:kmiura:20070704005234j:image

A report filed by the 27th Marines, 5th Marine Division, on September 24, 1945, documents the systematic destruction of records by the Japanese after the initial surrender to the Allies but before Allied troops arrived. NA,

RG 127, entry 1011, box 23, folder: Intelligence–Japanese.

返信2007/07/04 00:54:52

40ni0615ni0615   39  Re:書類焼却の写真(NARAアーカイブより)

kmiuraさん

A report filed by the 27th Marines, 5th Marine Division, on September 24, 1945, documents the systematic destruction of records by the Japanese after the initial surrender to the Allies but before Allied troops arrived. NA,

RG 127, entry 1011, box 23, folder: Intelligence–Japanese.

このキャプションで、A report filed by the 27th Marines, 5th Marine Division, on September 24 を、「9月24日に撮影した」と早とちりすると、after the initial surrender to the Allies but before Allied troops arrived と辻褄が合わなくなりますね。

なお、写真には広島湾の似島が写っているような気がしますので場所は特定できそうです。広島の人に確かめてもらうといいですね。

広島の調査に入った入ったのは、第五海兵師団第27海兵隊だったのか、いつだったのかが分かるといいですね。

返信2007/07/04 11:26:51

41ni0615ni0615   40  before Allied troops arrived 

広島の調査に入った入ったのは、第五海兵師団第27海兵隊だったのか、いつだったのかが分かるといいですね。

中国新聞のサイトには、

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/03abom/kiroku/pictures/index.html

米軍は、原爆投下の威力と残留放射能の有無を調べるため、

  • 一九四五年九月八日に「マンハッタン管区調査団」を、
  • 続いて十月十二日に「日米合同調査団」を広島入りさせている。
  • 同時に、大量に詳細な写真を撮った「米国戦略爆撃調査団」が十月十四日から十一月二十六日まで活動した。

とあります。ということは、

写真が

after the initial surrender to the Allies but before Allied troops arrived 

のものだとすれば、写真の撮影者は日本人だということになります。

あるいは、写真はあとからとられたものの、焼却現場がそのままになっていたのかもしれません。

~~~~~~~

写真は私の想像では、宇品港(当時宇品には陸軍輸送部:海上挺身隊本部=「沖縄集団自決」でおなじみ、などの軍事施設が集積していました)の軍事施設で、焼却炉の背景に似島=安芸の小富士が写っています。

http://ns.himahima.co.jp/PeaceWeb/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0403/exh04031.html

http://www.ujina-e.edu.city.hiroshima.jp/ujina-rekisi.htm

~~~~~~~~~~~~

返信2007/07/04 12:17:25

42nagaikazunagaikazu   40  Re:Re:書類焼却の写真(NARAアーカイブより)

kmiuraさん、ni0615さん

広島の調査に入った入ったのは、第五海兵師団第27海兵隊だったのか、いつだったのかが分かるといいですね。

 第5海兵師団が属していた第5水陸両用軍団(司令官ヒル海軍中将)の進駐区域は広島ではなくて九州でした。第5水陸両用軍団司令部および第5海兵師団司令部は最初佐世保に駐屯しています。第2海兵師団長崎です。

 連合軍の先遣隊が佐世保、大村、長崎に到着するのが1945年の9月16日で、22、23日から本格的進駐がはじまりました。第5海兵師団佐世保上陸は9月23日です。同師団の第28海兵連隊は、9月30日に福岡に進出していますが、第27海兵連隊の動向はわかりません。

 広島に行ったのは、米陸軍第10軍団で、広島より先に呉に入っています。先遣隊の呉到着が9月26日、本隊の進駐は10月6日からでした。

 以上は、江藤淳編『占領史録』(講談社文庫版、下巻)によります。

 ですので、写真が広島のものだとすると、第5海兵師団がとったものではありませんし、第5海兵師団がとったものなら、写真は広島ではないことになります。

返信2007/07/04 17:09:17

43ni0615ni0615   39  Re:脚注12について

The director of Japan’s Military History Archives of the National Institute for Defense Studies estimated in 2003 that as much as 70 percent of the army’s wartime records were burned or otherwise destroyed.12

三浦さん

この防衛研究所の所長発言とは、だれ? 文献名は? 

脚注12にはなんと書いてありますか?

返信2007/07/05 07:46:39

44kmiurakmiura   40  Re:Re:書類焼却の写真(NARAアーカイブより)

ni0615さん、永井先生

さっそくの応答ありがとうございます。

参照にしたPDFによると、米軍には証拠資料を差し押さえるだけが仕事の係りがいたようなので、そうした係のの人は、任務上本隊よりも先に派遣されていた可能性も考えられます。

メリーランドまで行って、オリジナルの

RG 127, entry 1011, box 23, folder: Intelligence–Japanese.

A report filed by the 27th Marines, 5th Marine Division, on September 24, 1945

のレポートをみてみないと、撮影場所、撮影日時等はっきりしたことは結局わからないだろうな、と思います。撮影した人は「ヤラレタ」という感じだっただろうな、とか思うのが今のところの関の山

なお、上の2006年に出版されたPDFには、米軍差し押さえた資料がどのような経緯で集められたのか、とかその後のたどった道がいろいろ書いてあります。資料の来歴を知るにはよいレポートだと思います。

kmiuraさん

A report filed by the 27th Marines, 5th Marine Division, on September 24, 1945, documents the systematic destruction of records by the Japanese after the initial surrender to the Allies but before Allied troops arrived. NA,

RG 127, entry 1011, box 23, folder: Intelligence–Japanese.

このキャプションで、A report filed by the 27th Marines, 5th Marine Division, on September 24 を、「9月24日に撮影した」と早とちりすると、after the initial surrender to the Allies but before Allied troops arrived と辻褄が合わなくなりますね。

なお、写真には広島湾の似島が写っているような気がしますので場所は特定できそうです。広島の人に確かめてもらうといいですね。

広島の調査に入った入ったのは、第五海兵師団第27海兵隊だったのか、いつだったのかが分かるといいですね。

返信2007/07/05 07:53:37

45dempaxdempax   43  Re:Re:脚注12について

> この防衛研究所の所長発言とは、だれ? 文献名は? 

防衛研究所 http://www.nids.go.jp/dissemination/nids_news/index.html

防衛研究所の戦史編さん等に関する達 防衛研究所長 柳澤協二

http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/d_fd/2003/dy20030401_00005_000.html


> 脚注12にはなんと書いてありますか?

12. Conversation with author,2003.

返信2007/07/05 08:08:41

46kmiurakmiura   asahi.com 軍の焼却命令メモ発見 徴兵日誌にはさまれ 鳥取

軍の焼却命令メモ発見 徴兵日誌にはさまれ 鳥取

2007年07月06日08時41分

 敗戦の際、旧日本軍が全国の自治体に出した徴兵関係書類の焼却命令を記録したメモが、鳥取市鳥取県公文書館で確認された。燃やされなかった同県日野郡二部村(にぶそん)(現・西伯郡伯耆(ほうき)町)の「兵事動員ニ関スル日誌」の1945(昭和20)年8月15日の項にはさまっていた。研究者によると、軍の焼却命令を伝える文書が残っているのは極めて珍しく、軍部による指示の具体的内容を知る貴重な資料という。

 メモは、はがき大の紙にインクの手書きで、「連隊区司令部ヨリノ通知」として、「現在入営並(ならび)ニ応召者ノ名簿丈(だ)ケヲ残シ其他(そのた)ノ兵事関係書類ヲ全部至急焼去スル事」などと書かれていた。末尾に赤字で「二部駐在所 津島巡査」とあり、当時、村の駐在所に勤務していた津島亀吉巡査(故人)が軍部からの命令を書き取り、村役場に渡したものとみられる。

 敗戦によって不要になった召集令状の回収・焼却なども指示されており、その内容は日誌にも転記されていた。日誌の翌16日午前の項には、「関係一切ノ焼去ヲ実施ス」との記述があり、命令通り焼却が行われたとみられる。

 防衛省防衛研究所戦史部の柴田武彦・主任研究官によると、敗戦時の軍内部の焼却命令は、痕跡を残さないよう、ひそかに出され、命令を伝える文書自体が焼却の対象だったという。軍から自治体に対する命令も同様の扱いだったとみられる。

 メモがはさまっていた日誌は、37年7月22日から45年11月24日まで、村民の出征先や戦死場所など、召集にかかわる出来事を564丁(丁は表裏2面のとじこみ)にわたって記録している。柴田氏は「村は日誌を残すべき名簿類に含むと判断したのではないか」と推測。その日誌にはさまっていたことで、メモが偶然、残ったとみる。

 二部村の人口は当時、2千数百人。約400人が出征し、48人が戦死した。日誌には、37年10、11月、記録上、最初の戦死者2人が出た時、知事が弔問に訪れ、約800人が参列する村葬が行われたことや、敗戦直前の45年6月13日、「未(いま)ダ兵籍編入ノ年令ニ至ラザル者」に令状が届くなど、動員システムに混乱があったことなどが書かれている。

 焼却命令のメモだけでなく、当時の召集の実態を記録した資料の発見もまれで、県立公文書館の伊藤康・総括専門員は「召集令状が役場に届いてから本人に通知されるまでの過程が分刻みで書かれるなど、村が戦争に巻き込まれていく様子が目に浮かぶようだ」と話している。

 旧二部村は合併により、溝口町を経て05年から伯耆町となった。溝口町当時の00年10月の鳥取県西部地震で役場の庁舎が被害を受け、過去の公文書の散逸を懸念した片山善博知事(当時)が公文書館での保管を指示。資料を整理中、偶然メモが見つかったという。

http://www.asahi.com/national/update/0706/OSK200707050134.html

返信2007/07/06 11:08:35

47nagaikazunagaikazu   44  Re:Re:Re:書類焼却の写真(NARAアーカイブより)

ni0615さん、kmiuraさん

 写真は、どうやら佐世保のようです。遠景に写っているとんがった山は、赤崎山ではないでしょうか。

ネットで、こういう写真をみかけました。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~yamag/Photo/Sasebo.files/photo014.htm

 佐世保だとすると、第5海兵師団第27海兵連隊が佐世保に上陸した直後に撮影したとみてまちがいないですね。レポートの日付とも合致します。

A report filed by the 27th Marines, 5th Marine Division, on September 24, 1945, documents the systematic destruction of records by the Japanese after the initial surrender to the Allies but before Allied troops arrived. NA,

RG 127, entry 1011, box 23, folder: Intelligence–Japanese.

返信2007/07/07 01:48:03

48kmiurakmiura   47  Re:Re:Re:Re:書類焼却の写真(NARAアーカイブより)

永井先生、ni0615さん、

グーグルアースで確認したら、これではないか、という場所がありました。山の形と配置から、赤崎岳の南東方向から眺めていると思われます。

f:id:kmiura:20070706192737j:image

俯瞰の再構成3D画像なので、縦方向がつぶれた感じになっていますが(注)、輪郭はほぼ一致します。下の地図上では赤丸のあたりから左上の角にある赤崎岳を見ている感じになります。この赤丸の場所の海岸沿いは今では海上自衛隊佐世保教育隊の敷地になっているようです。

f:id:kmiura:20070706192453j:image

赤丸の部分の拡大航空写真が以下です。

f:id:kmiura:20070706193608j:image

今でもこの焼却炉、あるかもしれませんね。それにしても永井先生の画像認知力、すごいですね。

どの程度つぶれるのかというと、永井先生リンクされた先の写真

http://www5c.biglobe.ne.jp/~yamag/Photo/Sasebo.files/photo014.htm

これをグーグルアースでみるとこんな感じになります。

f:id:kmiura:20070706191324j:image

返信2007/07/07 05:15:29

49kmiurakmiura   48  Re:Re:Re:Re:Re:書類焼却の写真(NARAアーカイブより)

情報を追加します。当時、写真の場所である崎浜にあったのは佐世保海軍航空隊です。写真にあるのは、この航空隊の焼却炉だったと思われます。

http://www1.linkclub.or.jp/~chi-tan/sakibesdf.html

 第一次世界大戦後、佐世保にも海軍航空隊が設置されることになり、崎辺地区の民有地173,286m2が買収された。4つの島を切り崩して海面を埋め立て1920年に佐世保海軍航空隊が開隊した。さらに陸上小型機が離着陸できる東西300mの滑走路を持つ平地を埋立によってつくり、39年に現在の地形ができあがった。

 戦後は連合国軍が接収し、45年9月からは米軍によって通信施設、倉庫、野積場、ゴルフ場として使用された。

 太田貯油所は戦時中の43年7月に旧海軍の給油施設として建設された。戦後は米軍が管理していたが、54年に返還され海上自衛隊の貯油所として使用が始まった。また59年3月に港湾防備を主任務とする佐世保防備隊が開隊し、米軍との崎辺地区の共同使用が開始した。

返信2007/07/08 10:36:25

50zames_makizames_maki   三日三晩、夜空を焦がして文書を燃やした

敗戦後の日本軍の資料焼却については吉田裕が「現代歴史学戦争責任」(青木書店、1997年)で詳しく書いていますね。1章を設けて「敗戦前後における公文書の焼却と隠蔽」p127~141で書いています。この中で、

敗戦当時、官房文書課事務官であった大山正が「内務省の文書を全部焼くようにという命令がでまして、後になってどういう人にどういう迷惑がかかるか判らないから、選択なしに全部燃やせということで、内務省の裏庭で三日三晩、えんえんと夜空を焦がして燃やしました」と回想している。

とあります。(p129)

返信2007/07/13 01:02:24

51dempaxdempax   鹿内信隆フジサンケイグループ会議議長(1973年当時)が語る公文書焼却

櫻田武/鹿内信隆『いま明かす戦後秘史 上』(サンケイ出版 1973/11/30 isbn:438302288X )p.129-134を抜書き

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終戦の混乱,750万円の証文[p.129]


鹿内信隆 もう一度,話を戻しましょうか.


櫻田武 終戦直後のことですが,一つ面白い話があるんですよ.


日清紡は戦時中,飛行機の部品をずいぶん作っておったでしょう. その代金は三菱重工業の関係のはもらったんですが,中島飛行機のほうは,中嶋知久平さんのお屋敷が駒場にあったんですけれども,そこへ行っても,まあお気の毒で,請求書を置いて私は黙って帰ったぐらいなんです.


鹿内信隆 終戦直後といっても,いつごろなんですか.


櫻田武 終戦8月20日前後なんですよ. ところが,そのころになると陸軍省の経理局も書類をどんどん焼きますわな. そのときに私は「日清紡績は,これだけ払っていただかなきゃならんものがあるんだが」と聞きにやりました. 金額は83万5千円ぐらいのものでした. するとね. 「それは用意してある」とおっしゃるんです. 私は大変に喜んで,営業部の次長をやったら小切手でちゃんと払ってくだすった. ところが,払ってくれたのを私がよく見てみると,一ケタ違うんだ. 835万円なんだ(笑). 私は自転車ですっ飛んで行った. 日本橋の本社から陸軍省まで. そして,経理局長閣下に,確か中将少将でしたが,その人に「これは一ケタ違います. 書き直して切り替えてください」といった. そしたら「きみ,いまそんなことをいわれても,書類は全部焼いちまったんだ. しかし,その小切手日銀へ持っていけば,ちゃんとそれだけの金はくれます」「いや,私はもらうわけはいかん. 閣下,それじゃそれだけもらって余分を返すが,あなたは引き受けますか」と押し問答です. でも,さすがだったなあ. その経理局長はね「おい,馬鹿にするな. おれはそんなものの上前,負けたうえにはねるわけにはいかん」っていいましてね.


鹿内信隆 結局,どうなったんですか.


櫻田武 「じゃあ,どういうふうにいたしましょうか. 私の方が陸軍省の経理局から頂戴せんならんものは83万5千円なんですから. それなら,余分のほうは私のほうへ一年でも二年でもお貸し付け願えませんか. どうせ,陸軍とはいいながら,国の財政資金でしょうが.」といったら「それはそのとおりだ」「それじゃ拝借することにして,その書類は私が作りましょう. それは受け取ってください」ということになりましてね. 結局,私は835万円マイナス83万5千円の借用証文に櫻田武の判を押して置いてきました.

鹿内信隆 面白いお話ですね.


櫻田武 その経理局長の名前はもう忘れましたが,そのときに「そんなことをいってきたのは,きみの会社一つだ」といわれましたよ. 835万円といえば,当時は大変な金ですからね. でも,まあ私が一年半ほど借りましたよ. そうしたら,そのうちにこんどは大蔵省弁護士さんが,私のところへえらい剣幕でねじ込んで来て「あれを勝手に持っとるとは何事だ」というんです. だから「いや,勝手に持っとるんじゃない. お払いになろうという分を,それは金額が違うからと借用証文にしたんですよ」といったんですが,そうはいっても,それを証明するものは何もないわけです. こっちも.

まるで,こっちが悪いようなことを弁護士さんがいうもんですから,えらいけんかになりましたけれども,結局,お借りした分については一年あまりの利息をつけてお返ししましたがね. とにかく,あのころは書類を片っぱしからドラム缶の下のほうに穴をあけて,どんどんぶち込んで燃やすんですから,陸軍省でも海軍省でも. それはもう,大変な書類の焼却でしたね. あれは,むしろ焼かないで,とって置いたほうがよかったんじゃないかと思いましたね.




敗戦処理,隠退蔵物資がヤミ成り金 [p.132]


鹿内信隆 そのころ,ぼくはもう民間人になっておったんですが,それでもぼくのところは完全な軍需会社だったでしょう. それで,清算はちゃんとしてもらって,櫻田さんのところのようなことはありませんでした. しかし,書類はやっぱり全部焼き捨てたもんですから,残った品物が隠退蔵物資になったわけですよ. ぼくたちが,自分で扱っていたときの物資や何かも,敗戦と同時にみんななくなってしまった. それは盗まれたものもあるし,担当官がどこかへ隠したのもあるし. ところが,書類をみんな焼き捨てたわけですから,それが隠退蔵物資になって戦後のヤミ成り金ができた. 国会で隠退蔵物資の摘発の法律ができたのは,そのあとのことでしたね.


櫻田武 そうだ.世耕弘一なんて人が活躍していた.


鹿内信隆 あれは結局,敗戦処理で書類を全部焼き捨てたところに,すべての原因があるわけです.


櫻田武 そのとおりだ.


鹿内信隆 ぼくは,いまでも考えさせられるんですよ. 自分が扱っていたあの膨大な物資がどこへ霧散霧消しちゃったのかと. いまなら,全くありえないわけだから.


櫻田武 ほんとうにそうですね. 隠退蔵物資といえば,私が経験したなかで,いちばんうまいやり方をしたのは航空本部だったと思います. 航空本部のなかの東部航空本部というんですか. いまの吉祥寺の成蹊学園のなかに東部地区の航空本部がありましてね. そこへ繊維関係の紡績はあ十社,化繊会社が七社ぐらい呼ばれまして,能力の多いのに案分してガソリンとトラックを分けてくれたんです. われわれは,いくらで頂戴していいのか,タダでもらうとあとできっと"とがめ"がくると思ったから借用書を入れて,その写しを持ってそれを運んで工場へ入れました. ところが,その保管が大変でしてね. なにしろ西新井亀戸の工場はみんな焼けとるんですから,下手なところに置いておくと,それを盗みにくるやつがいる. ですから,これは地方の工場のほうへ運んでおきましたがね. そしたら,二年ぐらい経ってからそれの請求書が回ってきて,何ぼかに値踏みされて,その金を払わされましたよ. でも,それまではタダでガソリンやトラックを使わせてもらったわけですから,航空本部はうまい分配の仕方をしてくれたと思いますよ.「どうせ,これからは繊維が非常に不足するんだから,きみらは繊維を作って,その輸送に使いたまえ」というので分けてくれて,二年ぐらい経ってから,その代金を徴収した. これなんか非常にうまいやり方のほうでしょうね. 大体,みんなネコババになっちまってますよ.


鹿内信隆 でしょうね. いやそれは大変なものだったはずですよ.


櫻田武 そりゃそうですよ. 日清紡亀戸の本社工場なんか陸軍の被服本廠の倉庫に貸しておったんですね. ずいぶんいろんな物資が入っていましたが,敗戦の年の三月十日か何かの空襲で完全に焼けてしまった. でも焼けたものはそのまんまですわ. 建物に対する補償もなければ何もない. 補償の話を持って行くにも,持って行き場がない. これは海外の青島上海の工場と一緒ですわ.


鹿内信隆 戦時補償打切法案というのが出ましてね. 要するにみんな泣けと. 政府はもう面倒を見ないという法律がしょうことなしに最後にでたんですよね.


櫻田武 そうでした.


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返信2007/07/24 11:14:27

52StiffmuscleStiffmuscle   秦郁彦が語る公文書焼却

たとえば、軍は有史いらい初めての敗戦に動転したのか、終戦の日に重要書類の大部分を燃やした。戦犯裁判の材料にされるのを恐れたからとされるが、選別の余裕もないままに、人事記録まで処分してしまう

そのため、講和後に軍人恩給が復活したとき、裁定に困惑した。しかたなく、履歴がない軍人・軍属には申請書に同一部隊の戦友二名の証明を添付することで間に合わせた。部隊行動の記録はあるので、それと照合して計算したのである。看護婦も類似の手法で処理している。

しかし慰安婦の場合は、身分が軍人でも軍属でもないため公的書類がない。業者があちこちからかき集めてきた例が多いので、女性同士のつながりもなく、戦友会的な組織もない。「源氏名」を名のっていたので、同じ慰安所に起居した仲間同士でも、本名や出身地を覚えてないのが普通だった。

慰安婦だった事実だけでも、立証困難な例が多いから、彼女たちが数十年の歳月を経て記憶だけを頼りに語る「身の上話」は雲をつかもようなものばかりである。それでも親兄弟、出身地の古老、隣人、警察官、業者、なじみ客の姓名・部隊名などが分かれば追跡調査も可能だが、それも不自然なほど明らかでない例がほとんどである。


秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』、1999年 新潮選書、177-178ページ。 強調は引用者による。)

返信2007/07/24 11:53:38

53dempaxdempax   東京新聞 2007/10/16 補給艦の航海日誌を廃棄 防衛省「誤って」と説明



防衛省は16日,インド洋で給油活動に従事していた海上自衛隊の補給艦「とわだ」について,2003年7月から11月までの5カ月分の航海日誌を,文書の保存期間内にもかかわらず廃棄したことを明らかにした.


海自の文書管理規則によると,艦船の航海日誌の保存期間は4年間になっている. 同補給艦は03年7月中旬から同11月中旬まで給油活動にあたっていた. イラク作戦への燃料転用疑惑が指摘される中,防衛省のずさんな管理体制が批判される可能性がある.


16日午前,民主党の外務防衛部門会議での資料要求に対し答えた. 防衛省側は「07年7月に『とわだ』艦内で保存期間が過ぎている資料を整理した際に,誤って保存すべき資料も廃棄した」と説明. 分量は1航海分の日誌すべてという. (共同)


NPO法人ピースデポ代表・梅林宏道氏を講師に迎え,「海上自衛隊の給油活動の実態について」説明を受けた. 梅林氏は,海上自衛隊の給油活動の実態について,海上自衛隊の補給艦「ときわ」から米国の米給油艦「ペコス」を介して米空母キティホーク巡洋艦カウペンスに給油した事実を説明. ペコス,キティホーク,カウペンスの航海日誌とキティホークの司令官報告の記述は,「自衛艦が給油した油はイラク作戦のために使われたことを証明している」と明言. 「ときわ」の航海日誌を公開するよう求めているが,防衛省が全面拒否していることを明かし,日本の情報公開の在り方について改善を求める意向を示した.





返信2007/10/17 08:36:19

54dempaxdempax   文書を最初から作らないという手法

口頭指示,通達,非公開の運用基準などなど.



東京新聞2007/10/17朝刊[3]タウンミーティング開催 契約書作らず120回 法令違反か

契約書作らずTM開催「法令に反する」と検査院 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007101701000465.html

小泉純一郎首相が提唱し内閣府が2001年6月から昨年9月まで実施したタウンミーティングTM)をめぐり,発注先の広告会社と直接請負契約を結んだ172回分のうち,120回分の契約5件は契約書が初回の開催までに作成されておらず会計法令に反する可能性のあることが17日,会計検査院の調べで分かった.


契約書は事後に作成され,内閣府の決裁文書には契約の日付をさかのぼって記載. 業務ごとの単価を業者が自由に決めたり,実費が予定した落札価格を大幅に上回ったりして多額の追加費用が必要となったケースがあったことも判明した.


検査院は「不適切な処理が繰り返されないよう法令順守の徹底など再発防止策が必要」とし,「コスト意識が不十分. 事前の見通しが甘く,より経済的な運営に努めるべきだ」と指摘した. (共同)

関連記事 http://news.google.co.jp/news?hl=ja&ned=&ie=UTF-8&ncl=1106588252



会計検査院公表資料 http://www.jbaudit.go.jp/effort/zuiji/demand/index.html

返信2007/10/18 08:41:56

55kmiurakmiura   南京攻略戦に参加した部隊の戦闘詳報

関連なので、リンクします。

「上限」の問題

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080107/p3

返信2008/01/09 02:18:32

56dempaxdempax   大阪府特高文書の焼却処分


井形正寿「反戦投書 戦時下,庶民のレジスタンス


[見出し]特高のマル秘文書に焼却命令

私には60年以上も前の1945年8月15日の終戦の日のことが今もあざやかに脳裡によみがえってくる.


その年の7月1日,私は大阪府警察本部から八尾警察署の特高係として赴任,45日目に終戦日を迎えた.


私は1943年に警察官となった. 今の若い人たちには特高警察といっても伝わらないかもしれない. 特高は,戦争遂行のために国民の思想を監視し,反戦・反軍の思想を持つ人間を弾圧する警察組織だった. 私が敗戦時に焼却を命じられながらも持ち帰ってきた書類の一つ,「特別高等警察執務心得」に,次のように記されている. [中略]

[……]

終戦前日の8月14日の正午ごろ,大阪城を中心としたB29の爆撃があり,大阪陸軍造兵廠などが灰燼に帰したのだから,15日の天皇の重大放送なるものが終戦を告げるものであると思いながら,あるいは徹底抗戦の重大声明ではないかという気持ちもしていた.


敗戦の15日の午後,特高関係の書類を焼却せよとの指令が入ったので,山なす書類を暑い陽ざしのなかで次々にドラム缶の中に投げ込み,まる二日間かけて焼いた. その時,私の眼をひいたものがある. それは係の部屋で二,三度みかけたことのある,当時の言葉で「不穏文書」といわれていた反戦投書などを,府警の本部鑑識係が一枚一枚写真撮影して現像した特高マル秘の内部手配写真である.

[以下省略]

【出典:『世界』2008/4月号(no.777)pp.262-268 より抜粋】

返信2008/03/12 20:59:37

57yamaki622yamaki622   内務省事務官が全国をまわって公文書焼却の通達

全部の書き込みに目を通せなかったので既出かも知れませんが、「慰安婦は商行為」発言の奥野誠亮法相(当時は内務省財政課事務官)が、自分と他3名で全国をくまなくまわって公文書焼却の通達をしたと証言しています。

以下、上杉聰氏の著書『脱ゴーマニズム宣言』より孫引き

昭和三十五年十二月五日 自治大学校史料編集室作成

とき 昭和三十五年九月六日 ところ 地方財務協会

山崎内務大臣時代を語る座談会


出席者

(氏名)   (現職)       (当時の職名)

奥野誠亮 自治省財政局長 内務省財政課事務官

(一九四五年八月)

司会

この十五、十六日のことで思い出がありましたら、どなたからでもお話いただきたいと思います。


奥野

…その外(ほか)公文書は焼却するとかいった事項が決定になり、これらの趣旨を陸軍陸軍の系統を通じて下部に通知する、海軍海軍の系統を通じて下部に通知する、内政関係は地方統監、府県知事市町村の系統で通知するということになりました。これは表向きには出せない事項だから、それとこれとは別ですが、とにかく総務局長会議で内容をきめて、陸海軍にいって、さらに陸海軍と最後の打ち合わせをして、それをまとめて地方総監に指示することにした。十五日以降は、いつ米軍が上陸してくるかもわからないので、その際にそういう文書を見られてもまづいから、一部は文書に記載しておくがその他は口頭連絡にしようということで、小林さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私の四人が地域を分担して出かけたのです。それが何日に出発したか覚えてはいないのですが…。


入江 

十六日だと思います。

(『山崎内務大臣時代を語る座談会』1960年

奥野誠亮法相の問題発言についての詳細はこちら

慰安婦」は商行為か?

http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm

返信2008/03/23 11:47:40

58: このエントリーは削除されました

このエントリーは削除されました

返信2008/03/23 12:08:24

59yamaki622yamaki622   57  "慰安婦の取扱い規定"を焼却したという軍医の証言

「軍女子特殊軍属服務規定」(=慰安婦の取扱い規定)を敗戦で逃げるとき焼却したという軍医の証言です。


従軍慰安婦110番 電話の向こうから歴史の声が』(従軍慰安婦110番編集委員会、明石書店、1992)から引用します。


関東軍女子特殊軍属服務規定 軍医(78)


従軍慰安婦110番」へ電話をしようか、ずいぶん考えました。元上官だった人たちに電話をしてみましたが、80歳を越えてみんな戦争のことは忘れてしまったとのこと。事実を知っている者が発言しなければ闇から闇に葬られると思い、電話をしたわけです。


昭和14年(1939)、軍医だった私は、ハルピン陸軍病院で、衛生兵の教育の担当をしました。グアム島の生き残りだった横井庄一さんも、私が教育した一人です。昭和15年(1940)には、関東軍に引っ張られ、関東軍司令部朝鮮後方部隊で、司令部の家族、補給監部の診察をやらされました。


「軍女子特殊軍属服務規定」は分厚い規定書で、詳細な規定が網羅されていました。関東軍後方部隊3100部隊の衛生部の所轄でした。いわゆる、慰安婦の取扱い規定で、女子特殊軍属というのは、「朝鮮ピー」のことです。この中には給与規定もありました。女性たちの月給は、800円とありました。日給がおよそ70円だったということです。その他、被服、寝具、化粧品なども貸与する書かれていました。この書類は、敗戦で逃げるときにみんな燃やしてしまいました。

(後略)

(『従軍慰安婦110番 電話の向こうから歴史の声が』p.23)


上記の文書中に「月給は、800円とありました。日給がおよそ70円だったということです」とありますが、誤解を与えそうなので説明を補足しておきます。800÷70=11.5では休日が多すぎて計算が合いません。この証言を解説したページ(p.99)を確認したところ「給料は年800円」と記載されていました。正しくは「年収800円、月給70円」だと思います。

返信2008/03/23 19:24:44

60yamaki622yamaki622   59  朝鮮総督府の書類をみんな焼かせたという元朝鮮総督府警察署長の証言

西野留美子さんがヒアリングした元朝総督府下で警察署長の神谷寛さん(仮名1906年生まれ)の証言を紹介します。

(前略)

負けたとわかったとき、私の判断で役所の書類はみんな焼かせました。特に高等警察の「内鮮」に関するものはぐあいが悪い。しかし、書類というものは燻って燃えないものですよ。一週間くらいかかって焼きました。

(後略)

(西野留美子「従軍慰安婦 元兵士たちの証言」P.217)

タイトルに「朝鮮総督府の書類をみんな焼かせた…」と書きましたが、少し自信がありません。役所=朝鮮総督府という解釈で合ってるでしょうか?どなたか助言いただけるとありがたいです。 よろしくお願いします。

返信2008/03/27 10:26:28

61noharranoharra   林博史氏が英国立公文書館で見つけた資料

御真影」など焼却命令

「御真影」など焼却命令

御真影」など焼却命令 旧海軍戦争責任を意識か

 1945年に日本が敗戦受け入れを決定した後、旧海軍天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた通達内容が4日までに、連合国側が当時、日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる希少な史料という。

 関東学院大の林博史教授(現代史)が英国公文書館で見つけた。

 研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、今回が初めてとみられる。

 発見されたのは、45年8月16日から22日までの間に、東南アジア中国などで連合国側に傍受された通達で、計35の関連文書のうち天皇関係は4文書。(ロンドン共同)

2008/04/04 18:35 【共同通信

http://www.47news.jp/CN/200804/CN2008040401000776.html

 梶村太一郎さんがあるMLで紹介していたので知りました。

返信2008/04/05 07:43:03

62kmiurakmiura   61  Re:林博史氏が英国立公文書館で見つけた資料

もう少し詳しい、暗号文のないようなども引用されている記事が林さんのサイトにあったので、追加します。

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/books31.htm

2008.4.4 共同配信記事 2008.4.5 各紙に掲載

「御真影」など焼却命令  旧海軍、戦争責任を意識か 

 英公文書館で暗号解読文書

 一九四五年に日本が敗戦受け入れを決定した後、旧海軍が天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた通達内容が4日までに、連合国側が当時、日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる希少な史料という。関東学院大の林博史(はやし・ひろふみ)教授(現代史)が英国立公文書館で見つけた。

 研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、今回が初めてとみられる。

 重要文書類の焼却は、四五年八月十四日の閣議決定などを受け、連合国軍進駐までの約二週間に、政府や旧軍が組織的に実施。研究者らは、焼却は戦犯訴追回避が目的で、御真影などの焼却も、天皇と軍の密接な関係を可能な限り隠し、天皇の責任が追及されるのを避けようとした可能性もあると指摘している。

 今回発見されたのは、四五年八月十六日から二十二日までの間に、東南アジアや中国などで連合国側に傍受された通達で、計三十五の関連文書のうち天皇関係は四文書。

 同十七日の第二三特別根拠地隊司令官名の命令は「すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ」と指示。第十方面艦隊司令長官は翌十八日に御真影、紋章などを神聖なものとして「最大限の敬意を払い、箱に安置」するよう指示し、敵に渡る恐れがある場合は処分を命じた。さらに、二十一日のスラバヤ第二一通信隊の命令は「御真影は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に報告せよ」と、焼却を具体的に指示した。

 ほかの焼却命令は、暗号帳や軍艦に関する文書、個人の日記などを細かく指定し、今後の「外交関係に不利となる恐れ」のある文書はすべて焼却するよう繰り返し指示していた。(ロンドン共同)

英公文書の要旨

 旧日本海軍の暗号による文書焼却命令を解読して作成された英公文書の要旨は次の通り。

 ▽一九四五年八月十六日、第一七警備隊より

 一、ポツダム会談の××(判読不明)、帝国は以下の手順で機密文書を処分することになった。

 一、現在使用中の暗号帳、機密文書を除き、すべてを完全に焼却せよ。作戦終了後、残りも完全に焼却せよ。命令了解後、この通達も焼却せよ。

 ▽同、大本営海軍部第三部長より(海軍)学校長あて

 一、捕虜や尋問に関する全文書は、敵に口実を与えないように、この通達とともにただちに確実に処分せよ。

 ▽同十七日、海軍より第九特別根拠地隊あて

 一、軍艦旗、機密に関する本、資料、帳面、日記といった作戦の目的を敵に知らせる恐れがあるものはすべて即刻焼却せよ。この電文を内容理解後すぐに焼却せよ。

 ▽同、第二三特別根拠地隊司令官より同隊分遣隊などあて

 一、すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ。

 ▽同十八日、クパン分遣隊第六警備隊より

 一、わが国の外交関係に悪影響を与える恐れのあるすべての暗号通信文や文書を焼却し、その旨を報告せよ。

 ▽同、第十方面艦隊司令長官より同艦隊などあて

 一、天皇陛下の御真影、勅命、紋章などは最大限の敬意を払い、箱の中に安置せよ。敵の手に渡る恐れがある場合は処分せよ。

 ▽同二十一日、スラバヤ第二一通信隊より第六警備隊などあて

 一、天皇の御真影と××(判読不能)は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に電報で報告せよ。  (ロンドン共同)

原史料なく重要な発見

 一橋大大学院の吉田裕(よしだ・ゆたか)教授(近現代史)の話 

 今回の英公文書から、旧海軍が一九四五年八月の段階で、天皇の戦争責任の訴追回避をかなり意識していたのは確かだと思う。焼却命令で、天皇の御真影や紋章などに言及した日本語の原史料は残っておらず、今回の発見は重要だ。

 政府は敗戦で、開戦責任まで問われることは理解していた。焼却で天皇と軍の結び付きを弱く見せようとした可能性もある。連合国側が御真影などを入手した場合の日本軍将兵らへの衝撃などを恐れたとも考えられる。

 政府や旧軍の焼却命令は関係者の回想などでは残るが、原文は陸軍関係が若干確認されただけだ。旧海軍の焼却の実態解明は最も遅れている。

 この徹底焼却のため、日本の指導部を裁く東京裁判は証人に依存した裁判となった。対照的にドイツのニュルンベルク裁判は連合国側が押さえた証拠書類に基づく裁判と言われる。(ロンドン共同)

返信2008/07/16 07:03:54