1:
nagaikazu
南方軍政と軍票政策(追記あり)
永井です。
Kmiuraさんの日記のコメント欄ではじまった議論は、いくつかに枝分かれして、掲示板にあらたなスレッドがつくられました。そのうち私とlunakkoさん、Kmiuraさんの議論は、談話室に移行し、さらにseabass35さん、ni0615さんがこれに参加されました。議論の内容はインフレはあったのかなかったのかも含んでいますが、私とlunakkoさんの議論は、南方占領地とくにビルマにおける日本軍の軍票政策に関わるものが中心です。
いつまでもその話を談話室で続けるのは、談話室の趣旨からしてふさわしくないので、このスレッドを新たに立てました。
もともと「慰安婦の給料は高かったのか」という問題から出発したので、インフレ問題が中心になるのは当然ですが、lunakkoさんの「インフレはなかった」論のキモは、
1.「価値が下落したのは、日本軍占領以前に流通していた在来通貨であって、軍票および南発券の価値下落はなかった。」
2.「インフレとみえる現象は、この在来通貨の価値下落による物価上昇にすぎない。」
3.「在来通貨の価値下落は日本軍の占領によりおこったことであるが(一般的にある地域を敵国が占領すれば、その地域で流通していた通貨の価値は下落する)、さらに日本軍は在来通貨と軍票の交換レートを最初は1対1としていたが、在来通貨を回収または廃止するために、交換レートを在来通貨安にどんどん低下させていったので、在来通貨の大幅な価値下落が生じたのである。」
とまとめられます。
私とlunakkoさんの議論は、主として3の論点にかかわるものです。これは、いわば日本軍の南方においてどのような通貨政策(この場合は軍票政策)をとったのかという、事実認識にかかわる問題です。と同時に、上のまとめからわかるように、lunakkoさんの「インフレはなかった」論を支える論点でもあります。
というわけで、このスレッドのタイトルは「南方軍政と軍票政策」としました。
追記
このスレッドでは上記3の問題をめぐる問題を議論します。日本軍の通貨政策についての事実問題ですので、「南方軍政と軍票政策」とした次第です。談話室での議論をこちらに移行させます。
45:
nagaikazu
38
戦争前の南方各地における貨幣流通量(追記あり)
『日本金融史資料 昭和編』第30巻に収録の
「東亜共栄圏内諸地域通貨等ニ関スル参考資料」日本銀行調査局昭和17年6月
に、戦前の南方各地における貨幣流通量が記載されていますので、ご参考までに紹介しておきます。
戦争前の南方各地における貨幣流通量
これによりますと、マレーは、通貨流通高が、1938年末で、105百万海峡ドル、1939年末で126百万海峡ドルでした。
なお、マレーの貨幣発行準備高は不明です。
次ぎに英領ボルネオ(北ボルネオ)が、流通高1938年末1.3百万海峡ドル、41年末不明、準備高はマレーと共通で不明。
蘭印(ジャワとスマトラ)が、流通高1938年末197百万グルデン、41年末260百万グルデン、準備高は41年末で336百万金グルデン。
ビルマは、流通高1938年末77百万ルピー、41年末182百万ルピー、準備高は41年末で16百万ポンド(当時のポンド、ルピーのレートで計算すると、約13百万ルピーとなります)。
フィリピンが、流通高が1938年末で139百万ペソ、41年末で175百万ペソ、準備高は41年末で158百万ペソ。
この数字とすでに紹介した南発券の発行高を比較してみると、マレーでは、昭和17年12月で1939年末の流通高を超える額の軍票が発行されており、以下
北ボルネオでは17年12月
スマトラ+ジャワでは、18年12月に1941年末の流通高をこえ、
ビルマでは18年3月
フィリピンでは18年6月
ということになります。
【追記】2007年6月9日21時25分
scopedogさんのブログの下記エントリ「日本軍侵攻前の通貨流通量」
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10036010761.html
によれば、シンガポール陥落後の時点で、日本側の試算では、1942年2月16日時点での海峡植民地での紙幣発行高は2億2千万海峡ドル、そのうち流通高は2億1千万海峡ドルだったそうです。
scopedogさんのネタもとは、神戸大学の新聞記事文庫で、大阪朝日新聞 1942.3.23(昭和17)の記事だそうです(同文庫東南アジア諸国(10-039))
1943年6月時点での在来通貨と軍票・南発券の流通高
また、同じ『日本金融史資料 昭和編』第30巻には、
日本銀行調査資料
「南方占領地経済対策ノ現状ニ就イテ」日本銀行昭和18年10月15日
という資料が収録されており、以下の表が掲載されております。
■ 総軍管下地域別通貨流通高(昭和18年6月末現在)
(単位:千ドル・千グルデン・千ルピー)
地域 | 在来通貨 | 軍票・南発券 | 計 |
---|---|---|---|
マライ | 213,000 | 221,000 | 434,000 |
北ボルネオ | 13,000 | 12,000 | 25,000 |
スマトラ | 90,000 | 84,000 | 174,000 |
ジャワ | 514,000 | 87,000 | 601,000 |
ビルマ | 160,000 | 315,000 | 475,000 |
合計 | 990,000 | 722,000 | 1,712,000 |
フィリピンについては、18年3月時点で、
在来通貨 100,000 軍票・南発券 130,000 合計230,000 いずれも千ペソ
だそうです。
ジャワでは在来通貨が圧倒的であり、マレーと北ボルネオとスマトラでは両者がほぼ同額、フィリピンでは軍票・南発券がややうわまわり、ビルマでは軍票・南発券が在来通貨をうわまわっていることがわかります。だいたいこの順序で物価騰貴が激しくなります。
46:
ni0615
42
Re:Re:Re:Re:linakkoさんは分かっていながらウソを主張してるのですか?
年率は、1.427ですが?
すでに、あなたが投稿する以前に訂正しております。
1.46にですか? それは3ヶ月前との比率ですよ。私の値に近くなりましたが。
年率に換算するには、それを4乗しなくてはなりません。
基本的な間違いに気づいてないままですね。
:
あわてずに、ゆっくり点検してください。誤りを見出すのに大事なのは他人に頼らないことです。
47:
lunakko
46
Re:Re:Re:Re:Re:linakkoさんは分かっていながらウソを主張してるのですか?
は?4.146ですよ?
人の文章もきちんと見れないのですか?
教授の出した表によると、ビルマにおいて、日本のビルマ占領前から、占領直前まで年率7倍くらいで物価が高騰してますよね?
この物価上昇と、日本の軍票の関係を教えてくれませんか?
そして、日本占領中も、年率約5倍で物価が上がってますよね?これが、軍票を使用したからなのですか?
日本が撤退した後はものすごく物価が上がってますが、これと日本の軍票の関係を教えてくれませんか?
私は、1及び2については、戦時中のインフレであると思い、最初からそう主張しています。
3は、再占領したイギリス軍が引き起こしたと予想されます。
軍票を大量発行して、ハイパーインフレが起きたのなら、日本占領中にもっと物価が高くなりませんか?
49:
inuda_one
36
Re:Re:観客向けのまとめ(落穂拾い)
olinさん、こんばんは。
こういうことを書くとあなたの人間性が疑われますよ。
少なくとも、議論の相手を口汚く罵る人間が常識だの知識だのという言葉は使うのは
ずいぶんとおかしな話だと思いますが。
そう思われてしまったならば残念です。私としては穏健な表現に収めたつもりなんですがねぇ。後学のためにお知恵を拝借したいのですが、議論の対象となっている分野について
- 基本文献も読んだことがない
- 言葉の定義もわかってない
- いくら指摘されても確認しようとしない
- 主張したいことを明示すらしない
- 都合が悪い質問には答えない
- 相手に「歴史を知らない」「経済に疎い」などと言いがかりをつける
人間のことをなんと呼べばいいんでしょうかねぇ。「知識が足りない」なんてのは相当かわいらしい表現だと思いますが。
50:
inuda_one
31
Re:Re:観客向けのまとめ
永井さん
私のような漫才を書き込んでいるだけのものにまで丁寧なご挨拶ありがとうございます。私もこの辺りの分野については体系だって学んだわけでもないのですが、理解の助けになれば幸いです。
歴史的なデータというものはやはり素人にはその存在を知ることすら容易ではありませんから、今回のような形でまとめていただけるというのは大変ありがたいことです。ざっとデータを拝見しましたが、やはり地域ごとに異なる傾向を持っているというのが興味深いですね。まず間違いなく資金移動が制限されていたことが窺えるのですが、同時に物の移動が制限されていたことの影響も大きかったと思われますので、このあたりの財・資本の移動の様子を調べるのも面白そうです。余裕があれば経済史の論文などを漁ってみたいと考えています。
52:
olin
49
Re:Re:Re:観客向けのまとめ(落穂拾い)
さあ、そういう言葉には疎いものなのでわかりかねますね。
むしろ、そのような相手に何がしたくてあなたが議論に参加しているかの方が不思議です。
53:
inuda_one
52
Re:Re:Re:Re:観客向けのまとめ(落穂拾い)
さあ、そういう言葉には疎いものなのでわかりかねますね。
むしろ、そのような相手に何がしたくてあなたが議論に参加しているかの方が不思議です。
人間性が疑われるような私に対してわざわざコメントしたあなたも相当不思議な人みたいですね。
55:
ni0615
47
Re:Re:Re:Re:Re:Re:linakkoさんは分かっていながらウソを主張してるのですか?
は?4.146ですよ?
人の文章もきちんと見れないのですか?
>年率は、1.2474.146ですが?
ですね。数字が密着して読み取れなかったのです。
>4.146ですよ
といわれて初めて分かりました。
:
こういうときは、誤読が無いように、
>年率は、1.247 4.146ですが?
とブランクぐらい入れとくものですよ。
58:
lunakko
56
Re:Re:Re:Re:Re:Re:観客向けのまとめ
その部隊が軍票を使用するために占領中のほぼ倍の軍票を刷ったのですか?
3月の発行残高と8月のそれを比べると約1.6倍ですから、ほぼ6割の増刷ですね。
また、占領は東部で続いていたし、28軍は中部に展開して戦闘を繰り返していたはずです。
その規模は?占領期間中の軍の1.6倍の規模ですか?
紙とインクで食料を買ったと言えるでしょうね。
物資の不足する中で、紙とインクを何故残存兵がそんなに持っているのか説明していただけますか?
あれ?日帝は残酷なのではなかったのですか?
そもそも、最初から、軍票なんか刷らずに強奪すればいいんじゃないんですか?
何故、律儀に軍票を刷るのですか?
それで、軍票を刷ることで得をすることとは?
あと、あの表を見ていて疑問に思ったのですが、
フィリピンで、19.12から、20.3月までで、軍票の発行高が上がっているのにもかかわらず、
物価指数が14,285 で同じなのですが、
軍票を刷っても物価が上がらないのは何故ですか?
軍票を刷れば物価が上がるのは当然なのですよね?
60:
zames_maki
30
Re:観客向けのまとめ(落穂拾い)
63:
ni0615
61
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:観客向けのまとめ
47と、58のその他の質問にもお答え願いますか?
47の前半はお答えしました。
47の後半は質問の意味が不明です。もう一度きちんと御願いします。
58はお答えしました。
:
なお、悪態を吐かれてもそれを質問とは思えませんので、悪しからず。
64:
lunakko
63
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:観客向けのまとめ
物資の不足する中で、紙とインクを何故残存兵がそんなに持っているのか説明していただけますか?
何故、律儀に軍票を刷る必要があるのですか?
教授の出した表によると、ビルマにおいて、日本のビルマ占領前から、占領直前まで年率7倍くらいで物価が高騰してますよね?
この物価上昇と、日本の軍票の関係を教えてくれませんか?
そして、日本占領中も、年率約5倍(占領前とほぼ同様)で物価が上がってますよね?これが、軍票を使用したからなのですか?
軍票を大量発行して、ハイパーインフレが起きたのなら、日本占領中にもっと物価が高くなりませんか?
日本が撤退した後はものすごく物価が上がってますが、これと日本の軍票の関係を教えてくれませんか?
65:
lunakko
45
Re:戦争前の南方各地における貨幣流通量
永井教授、資料の提示だけでなく、私の質問にも答えていただけませんか?
質問は、
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/14/5
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/14/10
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/14/17
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/11/142
です。
よろしくお願いいたします。
66:
zames_maki
lunakkoさん敵前逃亡ですか?
68:
zames_maki
67
Re:Re:lunakkoさん敵前逃亡ですか?
lunakkoさんへ
せっかくnoharraさんが、あなたの為にスレッドを作ったのに・・・
残念ながら、ネット上でのこうした反応は、lunakkoはnoharraさんが提起したこの議題については、まったく自分の正当性は主張できない為である。要はnoharraさんになげつけた言葉は単なる戯れ言葉にすぎず、真実ではなかったと判断せざるをえないですね。(一般社会でもそうですね、例えば秦郁彦から投げつけられた糾弾に何も答えられない吉田清治など)
>悪魔の証明を求める人には興味はありませんので。
もし何かlunakkoに主張したいことがあるなら、noharraさんの設けた場ですべきです。私宛に書かれても、それを判断する権限は私にはない。私はただlunakkoがどうやら、嘘を平気で主張する事があると、判断するだけです。つまりlunakkoは吉田清治と同じような存在だったという事ですね。
69:
seabass35
28
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:主張の核心を語らなかった真意は
何か、夜、これを書いている間にすごい量の書き込みがあって、中には今更書く必要もなくなっているものもあるんですが。
でも、せっかく書いたので投稿します。
500%って5倍ってことですか?正確には、私の計算によると4.15倍ですね。これは、私の戦時のインフレの範囲内です。500倍?等のハイパーインフレが起こったのは、日本軍撤退後、イギリス統治下に戻ったビルマですね。
4.15倍とは、どの値を使って計算したんですか?
それはともかく、年4.15倍が戦時のインフレの範囲というのはなぜなんですか。
大体年4.15倍でも、日本が占領していた3年間で71.5倍になるはずですが、どうして、「実際の物価上昇は、日本占領直後と日本撤退直後において、多く見積もって10倍です。」とか言われるんですか?
MOを1.0で計算したらいいじゃないですか?勝手に何十倍にもしたのはinuda_oneさんでしょ?
意味が分かりません。「MOを1.0で計算」ってどういう意味ですか?
勝手に何十倍にもしたのは、当然それだけ軍票刷った日本に決まっているじゃないですか。
片方の貨幣の何倍、何十倍も軍票を刷っているとは、どこから?現地通貨の総貨幣量をご存知?
あなたのいう、「何十倍も」とは、南発券が刷れる銀行が出来る以前と出来た後の「軍表の数」比較でしょう?
現地通貨の総貨幣流通量の資料の提示を求めます。
私が、ハイパワードマネーが何倍何十倍になったと言っているのは、もちろんinuda_oneさんのbbs:16:8の注を読んでそう書いているわけです。
まあ、確かにちゃんと確認しろと言うのは、もっともな話で、
Gregg Huffの"The Economics of the Second World War in Southeast Asia"のTable7に書かれています。(早めにdownloadしておいて良かった~)
M0に関しては、
Base money supply or the monetary base (M0) is defined as the sum of currency held by the public and currency held by banks as vault cash.
と説明されています。
つまり、現金と預金準備の合計だとはっきり書かれていますね。
それでも、信じないというのなら勝手ですが、少なくとも、ここに上げられている数字が捏造である場合にしか、lunakkoさんの仮説が成立する場合はないということには同意していただけると思います。
(もっとも捏造であった場合でも、成立するとは限りませんが。)
同じように、1943年12月から1944年12月までの物価指数のデータから、日本がビルマを占領した1942年3月の物価指数を推定することができます。(ただし、一定のインフレ率で物価が上昇すると仮定します。)
で、物価指数が100.35なわけですよ。私はもっと驚いて欲しかったんですがね。
だって、3ヶ月前の1941年12月の100とほとんど同じわけですよ。
それは、1941年12月の物価とほとんど変わっていないということですよ?物価が安定していたことを示しているのですよ?自爆してますよ?上昇率は、0.35倍ですね。これのどこがハイパーインフレ?
自分のいっていることが間違いであるということを自分で証明されたら、そりゃあ、こっちは驚く前に呆れますよ。
?????
この方法で推定した「1942年3月の物価指数」が100.35だと言っているんですよ。
あなた以外の人は、日本占領当時の物価指数として、1941年12月の値をそのまま使っています。
それで、36ヶ月で87倍の物価上昇だと言っているわけです。
でも、lunakkoさんはそれが不満なんでしょ?だから、1943年12月から1944年12月までの値しか、考慮しないわけでしょ?
それで、「実際の物価上昇は、日本占領直後と日本撤退直後において、多く見積もって10倍です。」って言うんでしょ?
しかし、私の方法で推定した(と言ってもたいした計算したわけじゃありませんが)1942年3月の物価指数は100.35なわけです。
ということは、こういうことも考えられるわけです。
1.1941年12月から1942年3月まで、物価が安定していた。
2.日本が占領したせいで、年率5倍のインフレになった。
もちろん、この推定の精度を考えるとそこまではっきりとしたことは断言しませんが、1941年12月の物価指数の値を1942年3月の物価指数として使うことの正当性は確保できていると思います。
そして、(1942年3月の物価指数のデータがないとはいえ、)36ヶ月で87倍の物価上昇という推定も妥当なものだと、言えると思います。
では、そのアメリカの例を対数グラフで示してみてください。そこに、年1%、5%、10%、100%、500%のインフレが起こった場合の例を示してみて下さい。自分でしないと理解出来ないと思いますよ。
グラフの載せ方が分からないので済みません。
ところであなたはやったんですか?やったら直線にならなかったわけですね?その結果を示していただけますか?
EXCELのA列に0,1,2,3,4…と入れていって、B1に(1+x/100)^A1(xはインフレ率)と入れて、下の行にコピーしていくだけですから。
一つの直線に乗るのは、安定して物価が上昇しているからですよ?表の見方がわからない?傾きが急激に変化したところを見るべきですよ?
一つの直線に乗るのは、指数関数で増加しているからですよ。つまり一定のインフレ率(毎年約5倍)で物価が上昇しているからです。もちろん、毎年1%の物価上昇だろうが、百万倍の物価上昇だろうが、指数関数的に増加している限り直線に乗ります。
それとも年5倍で物価が上昇しても、lunakkoさんから見ると安定しているんですか?
「傾きが急激に変化する」というのは、「物価の変化率が変化した」ところを見ているだけで、そこからインフレが始まったわけじゃありません。
正直どうして、こんな反論が来るのか理解できないでいます。もしかして、言葉の定義とか認識とかの差かもしれないので、以下について、あなたのお考えを教えて頂けますか?
すべて、YESかNOだけでも答えられますので。
1.「物価が安定している」というのは、物価の変化率が小さいことを言う。
2.インフレとは物価が継続的に上昇することを言う。
3.インフレ率とは時間に対する物価の変化率を表す。
4.「ハイパーインフレ」とは、インフレ率が非常に大きいインフレを指す。
5.物価が年に5倍になるような状況はハイパーインフレである。
6.物価が年に500倍になるような状況はハイパーインフレである。
7.ある年の物価指数を100と置く。物価が年にx倍になるとする。このときn年後の物価指数y(n)は、y(n)=100*x^nで表される。
8.上の数式を片対数グラフで表すと、直線になる。
9.物価が年に1%上昇するようなインフレも、5倍になるようなインフレも、500倍になるようなインフレも、物価を年に対し片対数グラフで表すと、それぞれ傾きの異なる直線になるはずである。
以上お願いします。
「小さい」とか「非常に大きい」とかいう言葉に曖昧さが残るものの、私は1から9まで全てYESと答えるでしょう。
72:
inuda_one
60
Re:Re:観客向けのまとめ(落穂拾い)
ゼームス槇さん、こんにちは。
喜んでいただけたようでなによりです。あんな「面白おかしい」スタイルにした理由と言うのは、そうでもしないと私自身のモチベーションを保てそうにないという情けないものだったりするのですが(苦笑)。
とはいえ、一人でも多くの人が立ち止まって考えるきっかけになってくれればとは思っております。
74:
lunakko
45
Re:戦争前の南方各地における貨幣流通量
永井教授、こんにちは。
昨日提出していただいた資料で、とても興味深い点が2点ほどありました。
一つは、ビルマにおいて、もう一つは、フィリピンについての箇所です。
あなたの提示した資料より抜粋して、数値を再掲しますので、ご確認の上、返答いただきますよう、お願いいたします。
■ 在来通貨の年経過による現象について
ビルマにおける流通高(単位:ルピー)
年月日 | 地域 | 在来通貨 | 軍票・南発券 | 計 |
---|---|---|---|---|
1941年末 | ビルマ | 182,000,000 | 0 | 182,000,000 |
1943年6月末 | ビルマ | 160,000,000 | 315,000,000 | 475,000,000 |
フィリピンにおける流通高(単位:ペソ)
年月日 | 地域 | 在来通貨 | 軍票・南発券 | 計 |
---|---|---|---|---|
1941年末 | フィリピン | 175,000,000 | 0 | 182,000,000 |
1943年3月 | フィリピン | 100,000,000 | 130,000,000 | 230,000,000 |
これによると、1941年にビルマ及びフィリピンにおいて流通していた在来通貨が、何らかの要因によって、減少していることがわかります。
これのご説明をお願い出来ますか?
この現象は軍票を大量に刷ったことに起因するものなのですか?
また、私の説では、占領地下において、軍票が現地通貨と入れ替わることによって在来通貨の価値が下がり、在来通貨の流通量が減ったため。と解釈出来ます。
■ 占領地での必要通貨量について
教授は、
この数字とすでに紹介した南発券の発行高を比較してみると、マレーでは、昭和17年12月で1939年末の流通高を超える額の軍票が発行されており、以下
北ボルネオでは17年12月
スマトラ+ジャワでは、18年12月に1941年末の流通高をこえ、
ビルマでは18年3月
フィリピンでは18年6月
ということになります。
ジャワでは在来通貨が圧倒的であり、マレーと北ボルネオとスマトラでは両者がほぼ同額、フィリピンでは軍票・南発券がややうわまわり、ビルマでは軍票・南発券が在来通貨をうわまわっていることがわかります。だいたいこの順序で物価騰貴が激しくなります。
とおっしゃられておりますが、そもそも、現地における必要総貨幣量を考慮しておられるでしょうか?
具体的にビルマの例で言いますと、
年月 | 物価指数 | 物価に対する貨幣量流通量(理論値) | 在来通貨+軍票流通量 | 在来貨幣流通量 |
---|---|---|---|---|
1941年12月 | 100 | 182,000,000 | 182,000,000 | 182,000,000 |
1943年3月 | 705 | 1,283,100,000 | 426200000(推測値) | 163670000(推測値) |
1943年6月 | 900 | 1,830,983,700 | 475,000,000 | 160,000,000 |
注2)貨幣流通量の単位はルピー
注3)物価に対する貨幣量流通量(理論値)は、物価上昇率と平行して貨幣流通量が増えたとした場合。
となります。
これは、軍票と現地通貨が両方出回っても、まだ通貨が足りないという事を意味します。
つまりこれは、「インフレを起こそうとしてもデフレになってしまう状況」であり、
物が買いたくても、それを買うのに使用する貨幣が足りなくなっている状況です。
もしもこの状況で、インフレが起こるまで軍票を刷るとなると、この時点での軍票の流通高(315,000,000)程度の量ではなく、約1,800,000,000ほどの軍票を刷らなければなりません。桁が違います。
グラフにすると、
こうなります。
注)1943年3月における在来通貨及び軍票流通量及び在来貨幣流通量は推測値
よって、「軍票を大量発行した」の時点で、それは、インフレを引き起こすほどに大量ではないのです。
もっとも、物資不足の戦時中ですので、必要な物の価値はあがるでしょう。私は、それを戦時中のインフレである。と言っています。
追記:実際にはインフレではなく、物価の高騰。
また、正確に記載するのであれば、1943年3月直前の現地の流通貨幣の量を知る必要があります。
もし、可能であれば、ご提示いただけないでしょうか?
また、これに対する反論もお待ちしております。よろしくお願いいたします。
■ 物価に対する貨幣量流通量(理論値)の計算方法
貨幣数量説とは
貨幣の量が下がると貨幣の価値は上がり、物価が下がる
貨幣の量が上がると貨幣の価値は下がり、物価が上がる
という考え方でいわば経済の基本的な考え方です。
M=貨幣の量
V=貨幣の流通速度
P=物価
T=商品の取引量
k=マーシャルのk
Y=実質国民所得
公式は「MV = PT」及び「M = kPY」
左辺は貨幣供給量、右辺は貨幣需要量。
ビルマにおいては、1941年12月から1943年6月までに、物価が9倍になっています。
では物価が9倍になった時には何故「貨幣の量が9倍必要」なのでしょうか?
言葉で説明すると、「そうしないと貨幣の価値が9倍に上がる」つまり極端なデフレーションを起こしてしまうからなのですが、それを式で表すとこうなります。
1941年12月を「MV=PT」とすると1943年6月の状態は「mV´=9PT´」となります。
mV´/9T´=P MV/T=P このようにPを代入可能にします。すると
mV´/9T´=MV/T こうなるわけです。一度コレを整理すると
1/9m(V´/T´)=MV/T こうなります。ここで一旦古典学派の流れとしてVとTが一定のものとするならば
1/9m=M つまり1941年12月のMは1943年6月のmの1/9 言い方を変えれば
m=9M 1941年12月の貨幣流通量の9倍の貨幣流通量が必要となるわけです。
また、式が求める結果自体は同じですが、これによりVとTを算出できない場合でもGDPやGNI、マネーサプライから算出できるようになります
M=kPY m=9k´PY´ Mを1941年12月、mを1943年6月とし、Pに代入可能にする事で
M/kY=P m/9k´Y´=P となるので代入し、
M/KY=m/9k´Y´ この式が成り立つ。
M(9k´Y´/KY)=m はこのようになります。
つまり、
{(9×1941年12月のGDP×1941年12月のGNI)/1941年12月のマネーサプライ}/{(1943年6月GDP×1943年6月GNI)/1943年6月マネーサプライ}
が「1943年6月の貨幣流通量は1941年12月貨幣流通量の何倍必要か」を導き出す式になります。
1941年12月を「MV=PT」とすると1943年6月状態は「2MV´=9PT´」となります。
これは、占領後、総流通貨幣量が2倍(現地通貨+軍票)になり、物価が9倍になったことを意味します。
これを解くと、2/9(T/V)=(T´/V´) となります。
新古典派の考え方としてはTとVは不変であるため、T=T´、V=V´となります。
これは、、T´/V´の値が占領前の2/9でないとMとPの関係が占領前と同じ水準にならないことを意味しており、
つまり、実際に現地で流通していた貨幣量(475,000,000)の4.5倍の貨幣量がないと、「貨幣不足による貨幣価値の高騰」となります。
これらのことから、「日本軍の軍票発行がインフレの原因」という説は全く根拠がないと判断します。
また、軍票がインフレを発生させる為には上記の金額が必要なため、その証拠が出てこない限り、軍票がインフレを引き起こすことはありえないことを明記しておきます。
また、http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/14/65
についても回答願います。
75:
lunakko
69
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:主張の核心を語らなかった真意は
正直どうして、こんな反論が来るのか理解できないでいます。もしかして、言葉の定義とか認識とかの差かもしれないので、以下について、あなたのお考えを教えて頂けますか?
すべて、YESかNOだけでも答えられますので。
YES
2.インフレとは物価が継続的に上昇することを言う。
流通貨幣量が判らないので答えられません。
3.インフレ率とは時間に対する物価の変化率を表す。
YESかな?状況しだいですけど。
4.「ハイパーインフレ」とは、インフレ率が非常に大きいインフレを指す。
YES
5.物価が年に5倍になるような状況はハイパーインフレである。
6.物価が年に500倍になるような状況はハイパーインフレである。
YESかな?状況しだいですけど。
7.ある年の物価指数を100と置く。物価が年にx倍になるとする。このときn年後の物価指数y(n)は、y(n)=100*x^nで表される。
YES
8.上の数式を片対数グラフで表すと、直線になる。
YES
9.物価が年に1%上昇するようなインフレも、5倍になるようなインフレも、500倍になるようなインフレも、物価を年に対し片対数グラフで表すと、それぞれ傾きの異なる直線になるはずである。
YES
以上お願いします。
「小さい」とか「非常に大きい」とかいう言葉に曖昧さが残るものの、私は1から9まで全てYESと答えるでしょう。
そうですか。
77:
ni0615
39
自分でも意味のわからないガセ・グラフを使っての荒らしはお止めなさい
それ、http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/14/23に出したグラフと同じこと言ってるんですよ?
やっと、そこまで追いついたってことですか?
ぜんぜん違います。
そのグラフは、
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/l/lunakko/20070607/20070607071558.jpg
lunakkoさんが、自分でも意味が分からないグラフです。
きっと「ほれ」とかいわれて、お友達に渡されたのでしょう。
意味が分からないから、
何故、対数にする必要があるのですか?上がっているように見せたい「だけ」でしょう?そんな対数グラフ書いたら、今の日本だって10年前と比べてインフレがおきていることになりませんか?
そして、質問があります。
軍票を大量に発行し、インフレが生じたのならば、このグラフのどこを見ればいいのでしょうか?教えてください。
対数グラフって何ですか? 聞かれてもわからないのでしょ。
グラフの意味がわからないから、きっと自分の質問の意味もわからないはずです。
:
3ヵ月後との物価上昇率をなぜ棒グラフにしたのですか? 私は無意味なグラフだとしかいいようがないのですが、lunakkoさんは、渡されたときそうは思わなかったのですか? それとも、ちゃんと説明してくれない無責任だとおもったけど、お友達だから文句が言えなかったのですか?
:
でもふしぎですねえ
物価上昇率が安定してると
物価が安定してた
と思っちゃう人がいるのでしょうかね。
:
lunakkoさん、いいかげんなグラフまで使ってガセを飛ばすのはおやめなさい。
あなたは確信犯の「荒らし」です。
80:
ni0615
78
Re:Re:自分でも意味のわからないガセ・グラフを使っての荒らしはお止めなさい
確信犯の意味も知らないでよく言いますね。
もしかしてあなた、何もかもチンプンカンプンだけど、ファイトあふれる善人だと、自分で思い込んでいるのですか?
これだけ議論のマナー破りを指摘されても、えーゆー気取りなのですか?
だったら確信犯です。
あなたは、物を考える人間が確信犯で、物を考えない人間は確信犯ではない、と錯覚してますね。
物を考えなくても貴方は十分に確信犯です。確信犯の称号を差上げます。
ですから、あなたには意味がわからないのでしょう?意味がわからないなら無視すればいいじゃないですか。何故出来ないのですか?
あれ、あのグラフの意味を頑張って説明なさるかと思ったのですが・・・説明はとりやめですか?
あなた、意味があってしたのではないのですか?
81:
ni0615
74
誹謗中傷文を取り下げることが先
永井教授、こんにちは。
昨日提出していただいた資料で、とても興味深い点が2点ほどありました。
一つは、ビルマにおいて、もう一つは、フィリピンについての箇所です。
あなたの提示した資料より抜粋して、数値を再掲しますので、ご確認の上、返答いただきますよう、お願いいたします。
~~~~~~~~
また、http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/14/65
についても回答願います。
だめだよ、ニセモノの猫なで声をだしたって、
先生の答えが欲しかったら、誹謗中傷文を取り下げることが先でしょうが。
83:
lunakko
82
Re:自分の間違いに気が付くどころか罵声
85:
nagaikazu
62
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:観客向けのまとめ
ni0615さんへ
ご指摘のマニラの19年12月と20年3月の物価指数がまったく同じ数値なのは、原表のままです。
転記する際に、私も気になったのですが、ともかくオリジナル・ソースをそのままに紹介することを優先したかったので、何らの手も加えずにそのままにしておきました。
可能性としては、原表作成時の記載ミスだろうとは思いますが、19年9月と19年12月の間でもわずかの変動しかありませんので、あるいは実際にこの数値だったのかもしれません。
なお、日本銀行では敗戦後すぐに特別調査室を発足させ、満洲事変以来の日本の財政金融史をまとめる作業をはじめます。その結果1948年に『満洲事変以後の財政金融史』という1000頁をこえる報告書が作成されました。監修は大内兵衛、対外金融編の執筆は阪谷芳直。この『満洲事変以後の財政金融史』にも、南方占領地における物価指数の変化表が掲載されていますが、ここでも原表のまま、マニラの19年12月と20年3月とはまったく同じです。
これは私の想像ですが、この数値が実質的な価値0であって、これ以降は、ペソ表示南発券は物価変動にすら影響を及ばさないほどに価値が下がっていたとみるべきなのかもしれません。なお、20年1月には米軍がリンガエンに上陸しております。米軍のマニラ入城は2月4日、日本軍のマニラでの抵抗がやむのが、3月4日です。
これもまた私の推測にしかすぎませんが、意地悪く考えると、あの表のもとになるデータを日銀が集めていたのは、南発券がどれほど価値下落したかをはかるためではなかったかと、思ったりします。最終的には、日本円との実勢交換レートを算出するための基礎データにするつもりではなかったのか、と。
物価指数はそのためのデフレーターのようなもので、流通地域の物価騰貴を考慮した購買力ではかってみると、南発券の実質的価値はこの程度である、日本円と交換せざるをえないとすれば、その実勢交換レートは(当然ながら)1:1ではありえません。南発券の下落に見合ったレートになるでしょう。
そのようにして実勢交換レートが定まれば、日本政府の南方開発金庫に対する負債(経理上は南発券の発行高は、金庫から日本政府への貸出金の扱いになります)もその実勢レートで算出されることになりますから、大きく切り下げることができます。
それによって、円との交換性を回復しても、南方での軍票インフレの内地への影響をより穏和なものにすることができる。
これが日銀側の考えのような気がしてなりません。それを裏づける具体的な根拠はありませんが、なぜこういうデータを日銀は残したのか、表をみながら、それを考えているうちに、以上のようなことを考えつきました。
もしこれが私の妄想でなければ、この実勢レートは、慰安婦の資産(例えば文さんの貯金)にもあてはめられる可能性は大きいでしょう。
86:
nagaikazu
21
提灯記事というか軍見解そのものです。
seabass35さんへ
そんなの戦時中の提灯記事だとおもいます。
bbs:14:19 で引用されている新聞記事( 東京新聞 1943.8.4-1943.8.6(昭和18))は、「今二月一日陸軍当局によって発表された南方軍政状況」の要約紹介ですので、陸軍そのものの見解にほかなりません。ですので立派な「提灯記事」です。
ここに行けば、新聞記事がみられます。
「政府は南方陸海軍軍政地域の基本的軍政方策について詳細に発表しその軍政状況並に将来の方向を明示した、これによって国民は大略の南方軍政々策を知るを得たのであるが今二月一日陸軍当局によって発表された南方軍政状況を見ると次の通りである。」
とあって、その下に続く何項目かのひとつに、
「通貨問題
南方各占領地の各使用通貨は軍票であるが在来通貨も之が使用を許し今は二本建の通貨制度が行われている。しかして両者の価値関係等価の政策を採り、この関係は南方において円滑に行っている。勿論現地における軍票は所により在来通貨以上に現地住民の信頼を見、円滑な流通を見ているのであるが、在来通貨も軍票に対する価値低下を防止しているので両者の順調な流用は今後とも持続するであろうし、この現象は通貨工作上注目すべきものである。現在の通貨流通量は戦前通貨流通量と大差なき状態にあるものとして推定せられ、悪性なインフレーションなどの傾向は起っていない。ここに注目すべきことは現地通貨と本邦通貨又外国通貨の価値関係の成立又現地各通過間の為替は立たないようにしているので、南方とわが国との交易等には臨時軍自□(事費―永井注)資金を利用して之を通しこの南方開発国庫よりの融資制度によって実施せられている。これが南方通貨、交易等の実況で、将来の対策としては具体的に研究を進めている。」
と続くのです。
これが東京新聞の見解でないことは、昭和18年4月刊行の日本銀行調査局「戦時金融統制の展開」(『日本金融史料 昭和編』第27巻、p.468)に、ほぼ同内容の文章が、昭和18年2月陸軍当局の見解として引用されているからです。
東京新聞は陸軍が2月に発表したものを半年後の8月になって、ほぼそのまま流しているだけにすぎないので、「提灯記事」とすらいえないかもしれません。
同じ頃の日銀のレポートに比べると、危機感がまったくちがいます。日銀は同年10月には通貨膨張に対して如何なる対策がとられるべきか、レポートをまとめています。
87:
nagaikazu
38
日銀のレポートからみた南方インフレ
せっかくですので、前に紹介した日銀の報告から、当時の日銀が南方でのインフレーションに対してどのような危機感をもっていたのか、簡単に紹介しておきます。なお、原文はすべてカタカナ書きですが、読者の便宜を考え、ひらかなに直し、表記も現代風にあらためました。
A:「南方占領地経済対策ノ現状ニ就テ」日本銀行昭和18年10月15日
B:「南方ニ於ケルインフレーションノ問題」日本銀行昭和18年12月9日
(日本銀行調査局編『日本金融史史料 昭和編』第30巻、大蔵省印刷局、1971年)
です。
まずAから。この段階では、インフレーションへの危機感はまだ強くはありませんが、それでも、「通貨」の節において次のように指摘されています。
南方占領地通貨対策の目的とするところは、南方占領地に通貨制度を確立するとともに、通貨膨張を阻止して、その価値維持をはかり、以て南方占領地諸経済対策の円滑なる遂行を遺憾なからしむるにあり。各地域を通し一般に現地軍の経費支弁・開発資金放出・輸入途絶・対日物資輸送・ストック減少等々の理由に基き、占領後現在に至るまでの通貨膨張かなり顕著なるものあるのみならず、此の趨勢は今後も引き続き持続するものと認められる現状においては、南方占領地通貨対策として、なかんずくインフレ阻止は刻下の急務と思考せられ、これがためには財政・金融・物価・産業・交易・配給の各般にわたり、あらゆる措置を講ずる必要あるものと考えられる。
つまり、本来南方占領地での通貨対策は通貨の膨張を阻止して、インフレをおこさないことを目的にしているのだが、占領後の現実から、現在までかなりの通貨膨張がみられ、さらにその勢いはとまりそうもなく、今後も持続するであろうというのが、この時点での日銀の現状認識でした。
通貨膨張は避けられないから、インフレ阻止のためにあらゆる措置を講じる必要があると提言しているわけです。いうまでもなく ここでいう通貨膨張とは南発券の増発を意味します。
日銀の試算では、フィリピンと海軍管轄地区を除く南方占領地での通貨流通高は、占領直後で約10億ドル(ルピー・グルデン、以下同じ)、昭和17年末で12億8800万ドル、それが昭和18年6月末には17億1200万ドルに増加しました。増加率は占領直後に対して71%、前年末に対して32%にのぼります。
また、昭和19年3月には、さらに22億4600万ドルに膨張すると見積もられています。これに海軍地区とフィリピンを加えると、総額27億ドルになる見込みとされています。これだけの通貨の膨張はさけられないわけです。
また、物価騰貴については、こう記されています。
南方占領地における物価の騰勢は最近漸次激化の趨勢にあり。全地域を通じ一般に食料品は騰勢緩慢なるも、衣料品・日用品は騰勢乱調子にして殊に昭南(シンガポール―永井注)及びビルマ奥地は他地域に比し昂騰率甚だしく、例えば石けん、マッチのごとき戦前に比し、十倍乃至二十倍に昂騰し、総平均指数にて五倍に達する状況なり。従来物価昂騰率比較的軽微なりしジャワにありても、上向歩調侮り難きものあるを観取せらる。
シンガポールやビルマでは戦前比で平均5倍近くに物価が上昇しており、比較的物価が安定していたジャワでもじりじりと上がりつつあると認識しています。十倍、二十倍は昂騰であるという認識です。
それから3ヶ月後のレポートである.Bではインフレーション問題がより深刻にとらえられていることは、そのタイトルがズバリ「南方ニ於ケルインフレーションノ問題」であることが語っています。
全体の流れはAと同じであり、占領後通貨の膨張がみられ、さらに今後もその趨勢をとどめることが難しいとの現状認識と物価昂騰の数値が示され、インフレの原因として
>>
1.本邦への輸出超過(南方資源を日本へ輸出しているが、その見返りに日本から輸出するものが少ないので、物資不足をきたしている。また輸出代金は軍票・南発券で支払われるので、それだけ通貨が膨張する)
2.軍費調達額(要するに戦争遂行のために軍票・南発券を発行し、現地に投下されていることをさす。また、それにより物資が日本軍に吸収されるので、物資不足をきたす)
3.現地生産の不振(本国との関係が途絶したために、全般的に生産が低下したことをさす)
をあげています。インフレを引き起こした原因は占領にともなう軍票・南発券の増発と物資不足であるというのが、日銀のこの時点での認識であったわけです。
そのあとインフレ対策をあげていますが、注意すべきは、その前に、「南方インフレーションの本邦に対する影響」のところで、こう述べている点です。
南方各地域における通貨膨張並に物価高の現況は既述のごとく顕著なるものあり。これが本邦の物資調達並に現地民生の上よりみて、影響甚大なるは申すまでもなきところなるが、これを本邦の物価に対する関係よりみれば、左記のごとく南方における所要資金は原則として現地において調達せしむることとし、又本邦対南方地域間の資金交流も原則として認めざる方針なるため、直接の影響は遮断せられおり。
つまり、南方と内地の間には資金の移動が厳しく制限されているので、南方でインフレーションが起こっても、日本内地には影響が及ばないと言っているわけです。
南発券は名目的には日本円とパーでリンクなのですが、実質的には交換性をまったくもたないのです。南発券の100ルピーは日本円の100円ではありません。
そうすると、次の問題は、戦争が終わった時点で、この膨れあがった南発券と日本円の交換性をどういう形で回復するかというところにしぼられるであろうことは、容易に推測できます。
価値の低下した南発券をパーで日本円に交換すれば、はたしてどんなことになるか。
88:
inuda_one
74
貨幣数量説とSNA
今日は酔っ払っているので軽い指摘にとどめておきます.
貨幣数量説
貨幣数量説はおそらく経済学における貨幣と価格の関係に関する最も古い考え方です.その意味は狭義には「貨幣供給量に比例して物価水準が決まる」ですが,そのような古典派は100年以上前に絶滅しています.現在におけるその意味は「物価水準は貨幣供給量で決まる」すなわち,貨幣→物価という因果を認めることにあります.フリードマンの貢献が「短期では撹乱が存在するが,長期的には貨幣と物価の間に安定的な関係を認められる」というものであったことも思い出しておくべきでしょう.
したがって「所与の物価水準に対して必要な貨幣量を決める」というのはこの貨幣数量説の根本の因果関係を否定するものであり,貨幣数量説の理解としては端的に間違っています.物価水準から貨幣数量が決まることを示したいのであれば貨幣数量説がいかに経済学者に受け入れられていないかをまず示すべきでしょう.
GDPとGNI
前段の話が間違っているのでこれ以上続ける必要はないといえばないのですが,一応補足ということで.
lunakkoさんはGDPをGNIとはまったくの別物とし,マーシャルのkの代替指標として扱いたいようですが,私の知る限りそのようなことを認める経済学の文献は存在しません.もし存在するのであればそれを教えていただきたいです.まず指摘しておきたいのは,マーシャルのkはむしろ物価水準,貨幣供給量,そして国民所得から推定されるべきパラメータであるということです.
そしてもう一点,こちらがより重要ですが,GDPとGNIは国民経済計算上ほぼ同じ指標です.「ほぼ」,と書いたのはGross Domestic ProductとGross National Incomeの違いを考慮する必要があるからです.これは大まかには「ある地域で働く人(Domestic)」と「ある地域に居住する人(National)」に対する指標の差という形で表れます.
ではProductとIncomeの違いはどうなるのかですが,これは「三面等価の原則」により恒等的に等しいことが示されます.すなわち,
- 生産されたものは必ず市場で販売される,あるいは販売されたように計上される(生産面)
- 販売金額は購入者の支出金額に等しい(支出面)
- 販売金額は誰かの所得になっている(所得面)
ということで生産=支出=所得が必ず成立するようになっているのです.したがってDomesticとNationalの違いを無視すれば,ProductもIncomeも一年間の経済活動の集計指標であることに違いはありません.
89:
nagaikazu
88
Re:貨幣数量説とSNA
inuda_oneさん、こんばんは。
貨幣数量説はおそらく経済学における貨幣と価格の関係に関する最も古い考え方です.その意味は狭義には「貨幣供給量に比例して物価水準が決まる」ですが,そのような古典派は100年以上前に絶滅しています.現在におけるその意味は「物価水準は貨幣供給量で決まる」すなわち,貨幣→物価という因果を認めることにあります.
つまり、そういう言い方が許されるならば、貨幣供給量が「独立変数」、物価は「従属変数」ということですよね。
その考え方にしたがえば、証明の展開はこうなるはずですね。もっとも、これが厳密に経済学的に正しいかどうかは、私には何ともいえませんが、とりあえずは、パロディということで。
貨幣数量説によるビルマのインフレの証明
貨幣数量説とは、社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定しているという理論です。
M=貨幣の量
V=貨幣の流通速度
P=物価
T=商品の取引量
公式は「MV = PT」
左辺は貨幣供給量、右辺は貨幣需要量。
ビルマにおいては、1941年12月から1943年6月までに、貨幣流通量が182百万ルピーから475百万ルピーに増加しています。2.6倍の増加です。
貨幣数量説では貨幣流通量が2.6倍になった時には、物価水準はどこまであがるのでしょうか。
1941年12月を「MV=PT」とすると1943年6月の状態は「2.6MV´=P´T´」となります。(m=2.6M)
M=PT/V M=1/2.6(P´T´/V´) このようにMを代入可能にします。すると
1/2.6(P´T´/V´)=PT/V こうなります。ここで一旦古典学派の流れとしてVとTが一定のものとするならば
1/2.6P´=P つまり1941年12月のPは1943年6月のP´の1/2.6 言い方を変えれば
P´=2.6Pとなります。1941年12月の物価水準の2.6倍が貨幣数量説が導かれる物価(理論値)ということになります。ところが、実際には、P´=9Pです。つまり、物価上昇率は理論値よりもさらに3.5倍高いことがわかります。
さて1941年12月を「MV=PT」とすると1943年6月状態は「2.6MV´=9PT´」となります。
これは、占領後、総流通貨幣量が2.6倍(現地通貨+軍票)になり、物価が9倍になったことを意味します。
これを解くと、2.6/9(T/V)=(T´/V´) となります。
新古典派の考え方としてはTとVは不変であるため、T=T´、V=V´となります。
これは、、T´/V´の値が占領前の2.6/9でないとMとPの関係が占領前と同じ水準にならないことを意味しており、実際の物価水準の2.6/9倍=29%の物価水準でないと、貨幣流通量の増加に見合った物価水準といえないことを意味します。
つまり、ビルマの物価は貨幣数量説の理論値よりもさらに3.5倍高いことを示します。
このことは、経済の実態からいえば、1943年の貨幣流通量は多すぎるということを意味します。よって、これらのことから「日本軍の軍票発行がインフレの原因」という説は妥当性があるといえます。
90:
lunakko
89
Re:Re:貨幣数量説とSNA
MV=PTを占領前、2.6mV´=9PT´を占領後とし、「P=Pである」、つまり価格水準が同じである為には、M=2.6/9mとなりM≠mとなり、m=9/2.6M ≒ m=3.5となります。
追記:m=3.5は、m=3.5Mです。
つまり貨幣の価値が上がってしまうとなるわけであり、軍票発行よりも物価高騰に紙幣増刷が追いついていかない状況です。
よって、どちらにせよ理論値との乖離が起きていたことは確かでしょう。
しかし、価格の高騰要因を判断するにあたってですが、貨幣的要因によるインフレの場合はMが上記比率において大きくなりすぎる事が要因であり、それによりPが9Pとなるケースに対して当てはまるといえます。
しかしながらグラフを見る限りではMが物価指数を追い抜いて発生しているとは言いがたい状況あり、今回のケースが貨幣的要因に起因するケースに該当するとは言えないと判断できます。
その要因については統計白書から確認しなければいけませんが、PがMによって増大したのではないと判断できる以上、種類としてはコストインフレ等の供給インフレか、需要インフレであると判断できるでしょう。
この場合、それ自身が「戦災によるもの」として推測すべきではありますが、戦災によるインフレと意図的な財政インフレを一緒に考えるのはおかしな話では無いでしょうか?
今回のケースに関して「戦争の混乱により結果的にインフレが生じた」と判断する事は問題ありませんが、それを「日本軍が意図的に財政インフレの為に通貨を大量に発行させた」という根拠にはなり得ません。
よって「日本軍が意図的に財政インフレを引き起こし、それによって従軍慰安婦の方々の預金価値を無くした」という説は論理正当性を欠くと思います。
また、私の意見が間違っているというのであれば、当時における必要貨幣量をあなたの提出した資料に基づき、あなたがどのように計算したのかをお教えください。
そして、「1941年にビルマ及びフィリピンにおいて流通していた在来通貨が、何らかの要因によって、1943年に減少している」ことに対して、説明をしてください。
私には、あなたが客観的に物事を判断できず、何もわからずに適当に答えているようにしか思えません。
また、何度も書きますが、http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/14/65にも回答願います。
追記:そもそも、「財政インフレ」(貨幣乱発によるインフレ)と「需給インフレ」(需要と供給に因るインフレ)の違いを認識していないinuda_oneさんの意見を鵜呑みにしてるだけではないのですか?
91:
nagaikazu
90
数式まちがっていますよ。
MV=PTを占領前、2.6mV´=9PT´を占領後とし、「P=Pである」、つまり価格水準が同じである為には、M=2.6/9mとなりM≠mとなり、m=9/2.6M ≒ m=3.5となります。
m=2.6Mですから、ここは、
MV=PTを占領前、2.6MV´=9PT´を占領後とし、「P=Pである」、つまり価格水準が同じである為には、M=2.6/9Mとなり、9=2.6 となります。
でなければいけないところでしょう。
93:
lunakko
91
Re:数式まちがっていますよ。
ビルマにおいては、1941年12月から1943年6月までに、貨幣流通量が182百万ルピーから475百万ルピーに増加しています。2.6倍の増加です。
貨幣数量説では貨幣流通量が2.6倍になった時には、物価水準はどこまであがるのでしょうか。
1941年12月を「MV=PT」とすると1943年6月の状態は「2.6MV´=P´T´」となります。(m=2.6M)
(略)
これは、、T´/V´の値が占領前の2.6/9でないとMとPの関係が占領前と同じ水準にならないことを意味しており、実際の物価水準の2.6/9倍=29%の物価水準でないと、貨幣流通量の増加に見合った物価水準といえないことを意味します。
追記:m=9/2.6M ≒ m=3.5となります。は、m=9/2.6M ≒ m=3.5Mですね。脱字失礼しました。
貨幣流通量を求めたいのに、自分で2.6倍と設定し、確定している自分の出した物価よりも、本当は3.5倍も高かったですか?
大丈夫ですか?
あなたの出した、資料を元に、推定流通貨幣量を算出したのですよ?
推定流通貨幣量が3.5倍なのですよ?
物価は、あなたが出した資料ですよ?
このことは、経済の実態からいえば、1943年の貨幣流通量は多すぎるということを意味します。よって、これらのことから「日本軍の軍票発行がインフレの原因」という説は妥当性があるといえます。
一度、経済学部の方にでも見てもらったらどうですか?
m=2.6Mですから、ここは、
MV=PTを占領前、2.6MV´=9PT´を占領後とし、「P=Pである」、つまり価格水準が同じである為には、M=2.6/9Mとなり、9=2.6 となります。
でなければいけないところでしょう。
m=2.6Mはあなたが勝手に決めたのでしょう?しかも、m=2.6Mでは、あなたの示した物価と合わないのでしょう?
しかも、 9=2.6 ってなんですか?
数学の常識にも挑戦するつもりですか?
9個のお饅頭は2.6個のお饅頭と同じですか?
私の式及び計算は間違っていないと思いますが?
追記:インフレの原因をグラフから見る限りでは、貴方の主張される「日本軍が軍票を乱発して意図的に発生させた」財政インフレではなく、戦災被害による需給系のインフレであることに代わりは無いと思われます。この点については如何お考えでしょうか?
そして、
永井先生は私に「もうlunakkoさんは相手にしない」と仰ったはずです。嘘だったのでしょうか。
とはなんですか?
自分の意見に反論するものは排除ですか?
94:
monyupo
日本銀行が出した「南方ニ於ケルインフレーションノ問題」から、議論の参考になりそうな部分を少々。
(イ)各地域通貨発行高ノ情況
南方各域ニ於ケル最近ノ通貨発行高ハ邦貨換算ニテ仏印約六億五千万円、泰国約五億五千万円、南発券十八億円、占領地在来通貨約十二億円合計約四十二億円ニ上リ大東亜戦争直前ニ比シ二倍強ノ増加ヲ示シ居レリ、尤モ占領地ニ於テハ在来通貨ハ退蔵セラレ居ルモノ多ク又南発券発行高中ニハ委託支金庫及ヒ軍並ニ一般銀行ノ手持分、本行ニ保管ノ引換用ノモノ等ヲモ含メ居ルヲ以テ右在来通貨ト南発券ノ全部カ市場ニ流通シ居ル次第ニハ非サルモ、最近半ヶ年間ニ於ケル南発券発行高ノ増勢ハ特ニ顕著ナルモノアリ。更ニ今後ビルマ作戦ノ進展ニ伴ヒ泰・ビルマヲ首メ南方一般ニ軍費調達ヲ原因トスル通貨膨張ノ傾向ハ一層拍車ヲ加ヘルモノト思考セラル
尚占領地ノ一部ニ於テ在来通貨ハ南発券ニ対シ或ル程度ノプレミアヲ生ジ居ル模様ナルカ右ハ主トシテ戦局其他ノ政治上ノ原因ニ基クモノニシテ、インフレ問題ノ対象トシテ論スルコトハ妥当ナラサルモノト考ヘラル
(A)南方各地域通貨流通高ノ戦前トノ比較 (単位 千銖・比弗・留比・比・弗・盾)
泰 仏印 ビルマ 比島 マライ 北ボルネオ 東印度 軍票(南発券) 計 戦争直前 297,300 279,600 266,000 241,900 210,000 15,000 618,000 0 1,927,800 18年9月末 550,000 650,000 160,000 206,000 213,000 13,000 634,000 1,820,000 4,246,000 比較増減 252,700 370,400 -106,000 -35,900 3,000 -2,000 16,000 1,820,000 2,318,200
(B)軍票(南発券)発行高 (単位千円)
盾券 弗券 比券 留比券 磅券銖 計 昭和18.4.1現在 333,247 218,126 156,625 270,662 53,050 1,031,710 昭和18.9.30現在 537,265 384,937 347,808 497,011 53,050 1,820,071 比較増加 204,018 166,811 191,183 226,349 0 788,361 % 61.2 76.4 122.8 83.6 0 76.4