「強制売春説」など RSSフィード
 

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4nagaikazunagaikazu   秦氏の説も3b・2a説

次に、ebizoh様が「秦説こそが2b・3b混合説の元祖だと考えています」と評価される秦郁彦氏の議論を検討してみましょう。秦氏が3b説であることは、私もebizoh様も等しく認めていますので、この場合検討すべきは、はたして秦氏は2b説であるのか、すなわち「一部には、売春を強制された例もあったが、基本的には従軍慰安婦の実態は、自由売春であった」と主張しているのかどうか、にしぼられます。

 秦『慰安婦と戦場の性』の第12章で秦氏は、元慰安婦の証言から「官憲による組織的な「強制連行」はなかったと断定できる」としたうえで、それでは実際に「慰安婦はどのように集められたのか」との問いをたてています。彼は「私が信頼性が高いと判断してえらんだ」9つの証言・回想をもとに検討を加え、以下のような結論を下しました。

 「このような一連の証言から観察すると、慰安婦になった動機は各人各様、千差万別としか言いようがない。「だまし」と言っても、女たちではなく業者自身も乗せられたらしいケースが混じるとすれば、詮索は不毛の作業になりそうだ。」(秦前掲書、386頁)

 慰安婦になるに際して、「自由意志」なのか、「欺騙」「拐取」のような「強制」がはたらいたのか、千差万別であると言っていますが、それは裏を返して言えば、「欺騙」「拐取」があったことは否定できないと、秦氏も考えていることを意味します。実際に秦氏があげている9証言のうち、「就業詐欺」や「威し」によって慰安婦となったとみられるのが6例あります。もっとも、そのうちの1例は、朝鮮人慰安所経営者の、自分ところは前借金を親に渡して雇い入れているが、他の業者は「悪どい手を打っているらしい」「軍命と称したり部隊名をかたったりする女衒が暗躍しているようです」という話を、その業者から聞いたという日本人憲兵の回想です。

 あとの3例は、

1)従軍看護婦慰安婦の職務をはたした例で、言い出したのは婦長(ただしすでに一人の将校がこの婦長を独占していた)ですが、しかし実際には「応じなければ食糧が与えられない」状態で、従軍看護婦が「一日に一人ずつ兵を相手にすることを強制された」とあります。

2)ビルマに駐屯していたある部隊が村長を通じてビルマ人女性を慰安婦に募集しようとしていたのを、「半強制的になっては治安対策上まずいと判断し」た憲兵が連隊本部へ申し入れて中止させたという回想で、実際に募集はされませんでしたが、もしも実施されておれば、半強制的に行われたであろうと推測させる例です。

3)シンガポール陥落後に日本軍が慰安婦を募集したところ、それまで英軍兵士を相手に商売をしていた現地の売春婦が多数応募したという回想。

 唯一これだけが、自発的に慰安婦を志願してなった例です。しかし、秦氏は回想のこの部分のあとに続くエピソードを引用していません。そのエピソードというのは、自発的に慰安婦に志願した売春婦たちが、あまりに過酷な労働だったので、もうやめたいと言い出したにもかかわらず、ベッドに縛り付けてそのまま兵士の相手をさせたというものです。該当箇所を示します。

「ところが慰安所へ着いてみると、彼女らが想像もしていなかった激務が待ち受けていた。昨年の一二月初めに仏印を発ってより、三ヵ月近くも溜りに溜った日本軍の兵士が、一度にどっと押し寄せてきたからである。・・・(中略)・・・英軍時代には一晩に一人ぐらいを相手にして自分も楽しんでいたらしい女性たちは、すっかり予想が狂って悲鳴を上げてしまった。四、五人すますと、

 『もうだめです。体が続かない』

と前を押さえしゃがみ込んでしまった。それで係りの兵が『今日はこれまで』と仕切ろうとしたら、待っていた兵士たちが騒然と猛り立ち、殴り殺されそうな情勢になってしまった。恐れをなした係りの兵は、止むを得ず女性の手足を寝台に縛り付け、

 『さあどうぞ』

と戸を開けたという。」(総山孝雄『南海のあけぼの』)

 最初は自発的志願だとしても、これは売春の強制、性交の強要以外のなにものでもありません。極度の性的虐待といってもまちがいないでしょう。

 なお、総山孝雄氏は2003年に亡くなられましたが、東京医科歯科大学名誉教授、日本学士院会員で、近衛師団の通信隊員として南方に従軍した経験をもち、『インドネシアの独立と日本人の心』という著書をおもちです。

 というわけで、秦氏のあげた9例のほぼすべてが、じつは「強制売春」の例なのでして、とても「自由売春」などといえるものではありません。

 ところが、秦氏は「千差万別」「各人各様」と言いながらも、そのあとにこのような推測をくだします。

「おそらく、(略)大多数を占めるのは、前借金の名目で親に売られた娘だったかと思われるが、それを突きとめるのは至難だろう。」(386頁)

 秦氏が信頼できる証言としているもののうち、「前借金の名目で親に売られた娘」であると認定できるのは、先ほどあげた6例のうちの1例にすぎないのですが、しかし秦氏は、このケースを一般的なものだと結論しています。その結論そのものはまちがいではないでしょうが、その結論にいたる論証手続きには、いささか無理があると言わざるをえません。

 実証史家の手法としては、これは問題のある方法といわざるをえません。なぜなら、自分が根拠にあげている資料からは必ずしも直接には引き出せないことを結論しているからです。秦氏があげている9例でいちばん多いのは、就業詐欺慰安婦にさせられたケースです。

 しかし、慰安婦制度を「公娼制度の戦地版」とみなし、「強制連行はなかった」と断定する秦氏からすれば、「大多数を占めるのは、前借金の名目で親に売られた娘だった」との結論に達するのは、ある意味で必然だと言えましょう。

 さらにその結論を提示したあと、秦氏は、在日朝鮮人作家柳美里の、朝鮮人慰安婦のほとんどは、貧しさゆえに親によって身売りされた娘であるが、「様々な慰安婦のなかに強制連行されたと思い込むに足る状況証拠があったのだろう」という言葉を引用しています。

 つまりこの柳の言葉を引用することによって、その大多数が「前借金の名目で親に売られた娘」である朝鮮人慰安婦は、その事実に目をつむって、自らを強制連行されたと思いこんでいるのだ、というニュアンスを伝えようとしているわけです。

 もっともここで私が重視したいのは、秦氏の論証手続きではありません。秦氏が、その結論を採用することによって、じつは朝鮮人慰安婦のほとんどが、「身売り」によって慰安婦になったことを認めているというか認めざるをえなくなった事実のほうです。

 つまり、秦氏のいう「公娼制度の戦地版」である慰安婦制度は、公娼制度がそうであったように、「身売り」という事実上の人身売買によって支えられていたのであると、秦氏が主張している点こそが、ここでは何よりも重要なのです。

 さて、以上のことから、ebizoh様が「2b・3b説の元祖」と評価される秦氏も、じつは先にあげた下村氏、坂氏、池田氏とおなじ立場に立っていることがおわかりになったかと思います。秦氏もまた、決して「一部には、売春を強制された例もあったが、基本的には従軍慰安婦の実態は、自由売春であった」などと言っているのではありません。

 ebizoh様のお勧めにしたがって、3b説の論者の言とくにその元祖である秦氏の議論をを調べてみたわけですが、以上からいずれも2b・3b説ではないと結論できます。

私は秦説こそが2b・3b混合説の元祖だと考えています。

根拠は、秦郁彦慰安婦と戦場の性』

ebizoh様は上記のように言いますが、秦説は2b・3b説ではなくて、2a・3b説です。また、ebizoh様の、秦郁彦慰安婦と戦場の性』の解釈は正確ではないと、言わざるをえません。

返信2007/04/15 11:23:42
  • 4秦氏の説も3b・2a説 nagaikazunagaikazu 2007/04/15 11:23:42
    次に、ebizoh様が「秦説こそが2b・3b混合説の元祖だと考えています」と評価される秦郁彦氏の議論を検討してみましょう。秦氏が3b説であることは、私もebizoh様も等しく認めていますので、この場合 ...