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2008-08-20

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尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』(明石書店、2003年)、295~298ページより*1


<表 5 - 1 >朝鮮人元慰安婦の被徴集における時代状況からの被徴集要因*2

名前徴集形態関連事項徴集当時の状況徴集年度
裴 就職詐欺官憲介入女工募集人という人が区長宅で酒宴をした翌日いなくなったあと、班長・区長が勧誘。実母と継父黙認。親たちに虐待されており、家を出たかった。1938
黄 詐欺・強制班長の妻は女中先の女主人(「養母」に日本の軍需工場に3 年契約で行けば金儲けもできるし、各戸で一人は必ず行くべきと強制した。結果、父の薬代による負債を返済したいと思い、「養母」の娘代わりに「志願」1941
金 詐欺・強制村の区長・班長と日本人軍属(?)が息子がいないなら、挺身隊に娘を出せ!そうしないと「非国民」であり、ここには住めなくなると脅迫。テイシンタイは軍服工場で3 年間働くことだと言われ、書類に印鑑を押せと強要された。姉3 名は日本人に連行されるとすでに結婚。1941
崔 詐欺・強制(1)町内会の男が家に来て無職だと挺身隊に行かされるし、就職すれば稼げて挺身隊に行かなくて済む (2)徴用されて広島にいる兄にも会えると言われた。(3)母は反対したが隠れて「応募」1945
尹 詐欺・強制警官良い所に就職させてあげるから座って待つように言われた(女工の転職先を訪ねた帰り道、警察署の前を通ったら巡査に呼ばれた。夜になって軍用トラックが来て2 名の軍人に連行された。警察署にいた3、4 名の女性と一緒に)1943
李 就業詐欺処女供出「処女供出」という噂があり、それを避けるために書類上の結婚をしたが、既婚者の振りをするのも苦に思われ、反対する良心を説得。1938
呂 拉致日本人が女性を連行していくとの噂があったが、病気の父のために在宅。家に来た朝鮮・日本人巡査と軍人5、6 人に銃剣をつきつけられて連行。他の女性は皆隠れたので、同村では本人のみ。1939
姜 拉致処女たちを連行するとの噂があり、火葬場で隠れていたが、祖母が皇国臣民誓詞が暗唱できなくて配給をもらえないと弟に言われ帰宅。母に年齢が低い(13 歳)から大丈夫だと言われた。配給をもらった数日後、巡査1 名と憲兵3 名が家に来て暴力的に連行。1941
金 詐欺・暴力1944 年9 月初め頃、伯父に「最近処女を連れていく人が多いとう噂がある」と言われ、天井裏部屋に隠れていた。お腹がすき降りて昼ご飯を食べていたら、伯父宅に来た朝鮮人と日本人2 組が日本の工場で1 年間働くと言いながら、両脇を掴み強制的に連れ出した。1944
朴 就業詐欺慰問団慰問団募集(夫が人事紹介所に身売り→他の人事紹介所に転売→本人の前借金は朝鮮では稼げない大金だと言われ返済したい)1942
姜 憲兵の逮捕・連行女子勤労挺身隊女性勤労挺身隊の富山不二越工場から逃走中憲兵に逮捕(44 年6 月、吉野国民学校高等科1 年の担任に挺身隊は勉強も金儲けもできるといわれ志願、母は猛反対)1945
金 (女子勤労挺身隊)富山不二越で働き、空襲により作業ができなくなり青森県に移動、軍隊慰安所。(1944 年4、5 月頃の6 年生のとき、ソウルの光熙初等学校の校長に挺身隊として行けと言われた。母は猛反対したが、勉強できると言われて決めた。壮行会はなく、ソウル駅が集合地)1945 ?
朴 女子勤労挺身隊慶南の陜川初等学校6 年の担任に日本で勉強させてあげると言われて志願、母は猛反対。約一ヵ月後、担任と見知らぬ男性が家に来て連行。神社での壮行会後、日本の富山で半月間訓練をうけたが、工場には行かず軍隊慰安婦にされた。1944. 9

出典:『証言 強制的に連行された朝鮮人軍慰安婦たち』、『証言II 強制的に連行された朝鮮人軍慰安婦たち』


尹明淑氏の解説より

 官憲や警察による徴集は、強制や暴力をともなう場合が多かった。同時に、軍隊慰安婦であることは知らせず、「挺身隊」、女工募集や軍需工場への職業斡旋であるかのように詐欺を働いていた。「挺身隊」は、様々な労務動員の歳に用いられた言葉であり、班長や区長の「介入」による徴集の場合、より強い強制力を発揮したであろう。

・・・人員動員のための様々な戦時政策が公布されていく時代状況は、官憲の「介入」による軍隊慰安婦の徴集のみならず、民間人徴集業者による徴集にも巧みに利用された。日中戦争後、朝鮮民衆のあいだでは、官憲が戦争のために未婚女性の体を犠牲にしているという「流言」が流布していた。民衆の「流言」は、マスコミとはほとんど無縁の生活をしていた朝鮮の大多数の民衆にとって、もっとも身近な情報源であった。また、「流言蜚語」「造言飛語」「不隠言動」という名で呼ばれた民衆相互の口コミは、生活実感からの「驚くほど鋭敏で、積極的な反応を示した」ものであった*3。民衆は、未婚女性の動員に対して強い不安や反感を持っていたのであり、徴集業者はこのような民衆の心理を巧みに利用したのである。

 当時の新聞には「徴用」の同意語として「供出」という用語が用いられており、一般民衆は未婚女性の動員を「処女供出」と表現していた*4。朝鮮語で「処女」は未婚女性を指す総称であり、「供出」は官憲による強制的な動員を意味する言葉である。また、「挺身」という言葉自体の意味は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」であり*5「挺身隊」という用語は、男女の区別なく用いられ、特定団体を示す語ではなかった。「挺身隊」という用語が使用され始めたのは、1940年11月13日付け『毎日新報』に「農村挺身隊」の結成が報じられた記事のようである*6。また「挺身隊」は、「婦人農業挺身隊」、医師や看護婦を対象にした「仁術報国の挺身隊」、「漁業挺身隊」、文化、商工、報道、運輸、金融、産業などの32団体で結成されたという「半島功報挺身隊」というふうに、女性動員を含む、さまざまな人的動員に対して用いられていた*7

 「女子勤労挺身隊」、「女子挺身隊」、「勤労挺身隊」、「挺身隊」、「処女供出」という言葉がそく軍隊慰安婦を指す言葉ではない。しかし、朝鮮の解放以降、軍隊慰安婦問題が社会的問題として表面化した1990年代初めでも、一般民衆が「挺身隊」を軍隊慰安婦の同義語として認識していたことは事実である*8。朝鮮人のこのような認識がどこから由来したか確かではない。しかし少なくとも、当時の民衆にとって、「挺身隊」や「処女供出」は「徴用」と同義語であった。そして、「処女供出」を避けるため、家や村を離れて隠れたり、親たちは年頃の娘の結婚を急がせた。

 <表 5 - 1 >の「処女供出」という言葉から察せられるように、一般民衆の中に未婚女性の動員に関する情報が流れており、既婚女性なら「徴用」されずに済むと認識されていた。

 同表の「官憲介入」と「処女供出」欄にあるように、「国のため」の勤労動員や「挺身隊」であると脅迫されて徴集されたり、逆に、「挺身隊」を逃れることができるという詐欺で徴集されたりした。軍慰安婦の徴集は「挺身隊」の名の下で行なわれたのである


関連資料


*1:強調は引用者

*2:引用者により一部改変

*3:宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』11~49頁(未来社、1985年)

*4:1943年9月、女子挺身隊の結成が次官会議で決定され、その内容が次のように報じられている。「女子勤労挺身隊を結成させ、供出させる」。「女子挺身隊をつくってそれぞれ緊急なところへ供出します」(強調は引用者、原著では著者による傍点)(『毎日新報』1943年11月26日、27日

*5:新村出編『広辞苑 第四版』(岩波書店、1995年)の定義による。

*6:余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」2頁

*7:『毎日新報』1941年3月4日、9月18日、1942年3月19日、1944年1月26日。

*8:「韓国挺身隊問題協議会」(1990年11月16日発足)の名称からうかがえるように、1990年代初頭まで、韓国で挺身隊は軍隊慰安婦の同義語として認識されていた。韓国の全国紙の記事にも軍隊慰安婦のことは挺身隊という用語をもって報道された。このような認識は、日韓両国において軍隊慰安婦問題が本格的に社会問題として浮上する以前の、1980年代の韓国の歴史研究書でも同様であった。軍隊慰安婦問題は、「女子挺身隊(または女子勤労挺身隊)」の項目で記述されていたり、「女子挺身隊(または女子勤労挺身隊)」として動員された女性は、軍需工場に送られる場合と慰安婦として連行される場合があると説明されていた。あるいは、ルポや証言集などに「女子挺身隊」は「従軍慰安婦」を意味する言葉として使用されていた。このような認識から、「女子挺身勤労令」の資料が一般にも広く知られるようになった90年代初頭には、同法令が軍隊慰安婦の徴用のための法令として認識されることさえあった。(1)姜萬吉「日本軍『慰安婦』の概念と呼称問題」13頁(韓国挺身隊問題対策協議会真相調査研究委員会編『日本軍「慰安婦」の真相』歴史批評社、1997年)、(2)余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」2頁、(3)韓百興『実録女子挺身隊、その真相』(芸術文化社、1982年)、(4)韓国史辞典編纂委員会編『韓国近現代史辞典』(カラム企画、1990年)、(5)李炫煕「今年度の韓国近現代史の争点・1992年4月~9月」199~204頁(韓国近現代史研究所『争点韓国近現代史』第1号、1992年、(6)伊藤孝司編著『証言従軍慰安婦・女子勤労挺身隊』10~72頁(風媒社、1992年)